6月 1日 最近では朝の4時にもなれば外は明るい。家を出る頃いつも思うが,こんなに明るいのに誰一人(は言い過ぎだけど)働いている姿を見ない。店も開いてない。6時過ぎまでこんな状態が続いているのは異常な気がした。みんなもっと早く起きて仕事しよう!



 6月 2日 虎ノ門の文部省のでかい垂れ幕に「著作権,新たな文化のパスワード」。気に入らない。パスワードを持たなければ享受できない文化なんて・・・勘違い。み〜んなどう思う?このキャッチ・コピーを作った人は似非文化人かもしんないネ。でも著作権とは別の話よ。夜,丸紅乾亘課長と談話会の件で打合せ。


 6月 3日 午後学科会議。学部事務室でもネームカードの普及率100%。秘書の保科氏,朝7時過ぎからの仕事で疲労困憊のご様子。山下反省しきり。夜,画家の長谷川佳子氏と妹,工学院大学の竹本宜弘先生と会う。長谷川氏は現在,銀座の画廊・ギャラリー「舫(ぼう)(beaux)」で6月12日まで個展を開催中。おひまなら出かけてあげてネ。


 6月 4日 夜,東北文化学園大学助教授青木智子氏,大東文化大学助教授永田清氏と学会発表の件で打合せ。ただ,青木氏は仙台市から戻ってくるので,スタートは9時。ツムアインホルンで打合せ。研究グループの年齢ギャップの件が話題になる。ある意味では仕方のないことかも。永田氏は明日も空手・・・タフすぎる・・・かも。


 6月 5日 あと1ヶ月余りで1期(春セメスター)の試験,そろそろ問題の準備しなくちゃあね。


 6月 6日 学会事務局で郵便物・その他の整理。夜,三井信託銀行の善平徹也氏に談話会その他の件で電話。


 6月 7日 明日課題の締切なので臨時のオフィス・アワーのため熊谷出向。朝7時20分過ぎ熊谷駅で,熊谷・総務部長の田村氏を見かける。大崎出向なんだな・・・。夜,四谷で上智大学でのセミナー後の城西大学・渡邊透氏,東北文化学園大学の河本進氏,立正大学の細谷順二氏と軽く飲む。河本氏7時過ぎ新幹線に乗り仙台へ。


 6月 8日 課題提出日のため朝から端末室が混んでいる。情報処理センターの堀口事務長のお話だと,昨日は異常なほどの混み具合だったとか・・・。課題を出しているボクにも責任の一端はあると思う・・・。平にご容赦を・・・。センターの皆皆様方。6時城西大学の渡邊透先生等が来室。論文別刷りと使用テキストを頂く。


 6月 9日 熊谷泊の予定を急遽変更して帰京し,拓殖大学の金山茂雄助教授と学会および学会発表の件で打合せ。片方善治情報文化学会会長より事典出版の件で連絡頂く。


 6月10日 ボーナス支給日。うれしさも中くらいなりおらがボーナス・・・字余り。環境情報数学TA,やっと微積に入る。TBは二次曲線とEulerの公式。榊原るみ氏の談話会の件で友永昌治氏と打合せ。お隣の後藤研究室(衛星地球工学研究室)の東康雄氏,友永氏とユニデンス2階でカラオケ。


 6月11日 午前10時帰京。ツムアインホルンで昼食をとってから,大崎校舎へ。夕方,(社)パソコンユーザ利用技術協会の総会。通産省機械情報産業局の原山課長挨拶。麗澤大学の高橋三雄先生に久しぶりに会う。最近はGPSのポケナビに凝っているとのことだった。放送大学の講義はいつもテレビで拝見しております。小淵沢の別荘へ今度お邪魔する約束。懇親会終了後,富士通大谷重光氏,大東文化大学の永田清氏等と二次会へ。論文査読,論文執筆の「良心」で盛り上がる。


 6月12日 県立岩手大学・柴木恒一氏のご尊父の訃報が同大学の岩田智助教授より入る。月曜日に魚津市で告別式。代々木ゼミの2000年度用私立大学入試ランキング発表。環境システム学科は51点。昨年度より1点上昇。理工系学部学科では総合で40位くらい・・・。夜,高橋麻奈氏,永田清氏と会う。その後経済学部の関係で今井賢先生に高橋氏を紹介。


 6月13日 柴木家のお通夜で魚津市に。柴木氏のお姉様の目が真っ赤だった・・・。享年74歳。日本海側のトンネルは多かった。26本。ところで「魚津」は「うおづ」なのに何故に市内至る所「UOZU」なのだろう。


 6月14日 午前5時帰京。午後大崎に。その後工学院大学の竹本宜弘先生と。昨日の疲労残滓がヒドいため早めに就寝。


 6月15日 立正大学創立記念日で休校。自宅で仕事。夜,近所のツムアインホルンで食事。そこで,ツムアインホルンの野田寿子氏より東北大学名誉教授の鳥羽良明先生をご紹介頂き,環境文化情報科学会の話題になる。本学部の須藤英雄先生とは海洋物理学会では旧知の仲ということを伺う。鳥羽先生が1才若いらしい・・・。今年初めてのartichoke(朝鮮あざみ)を食す。先日,ツムアインホルンの野田浩資氏が出演されたNHKのテープを返却。


 6月16日 夕方,建設省系にお勤めの神谷某氏と東海大学短期大学部助教授の狩野正信氏と。美々卯でそばを食して,ツムアインホルンに。ベンツのVIPルームで・・・。早稲田大学名誉教授の伊達邦春先生にお会いする。先生のご趣味である昆虫の標本を拝見。昭和30年代に立正大学経済学部で教えられていたそうだ。ご縁だなぁ・・・・。


 6月17日 定例教授会。早めに終了したので熊谷宿泊を諦め自宅に。東京駅までは保科氏と一緒に帰京。その後1人でツムアインホルンに。カウンタに2人。1人はボク。もう1人はベンツのヤーン社長。その内数名と共にツムアインホルンのベンツのVIPルームに。


 6月18日 明日平成12年度入試説明会と第2回平成11年度文部省情報処理教育研究集会共同研究打合せがダブルブッキングしているので,午後大崎に出かけて資料などの準備。


 6月19日 午後1時より2時からの共同研究打合せの事前打合せ。午後2時より入試説明会事前打合せ。午後2時30分より入試説明会。終了後,午後7時まで共同研究打合せ。随分と長い打合せだった。今年は例年になくテーマ数が増えた。みんな張りきってる。入試課の草川文博氏とツムアインホルンの話。野田浩資著「ドイツの森の料理人」を購入していたそうだ。今度一緒に・・・きっと野田シェフも喜ぶよ。


 6月20日 父の日。家族でメガネのフレームを贈る。


 6月21日 文部省の共同研究準備の件で熊谷に。アンケート用のマークカードは今年一杯でなくなりそう。来年からはやはりCGIでやるしかないな・・・。保科氏もTeX授業の準備で仕事。細谷順二氏来室。6時,細谷氏と妹で美々卯のにぎわいそば。7月3日の可換代数研究集会の件で関口晃司氏のことが話題になる。なぜか・・・。


 6月22日 夏至。高校時代の友人・森岡京子氏からのメールに「冬至は柚子湯とかあるのに夏至はないよね。」・・・たしかに。今年からTeXを「コンピュータ情報処理の基礎」の授業に取り入れる。学生は気に入っただろうか。夕方,城西大学の渡邊透氏等がアンケートの件で来室。保科氏や浅野幸子氏と駅前で食事+飲み物(?)。途中,駿河台大学から細谷順二氏が合流。


 6月23日 朝,事務室の高橋さん渡邊さんから「茶道やってたんですか?」と聞かれる。今度美味しいお茶を点てましょう。濃茶にしてあげまっせ。午後,地理学科の1年生・帝人99年度水着キャンペーンガール清水響美さんがHPの相談で来室。7月初旬までNHKBSの仕事でアメリカに出張だそうだ。立正大学のこともどっかで宣伝してきてね。お願い。早めに新幹線で帰ってツムアインホルンでビールとレバーケーゼを食して帰る。その後,秋山守男氏と美々卯で蕎麦。隣に衆議院議員・民主党副代表の石井一先生がいらっしゃったので,二人で「ご苦労様です」。名刺交換して環境関係の話題になる。ついでに,昔,中島洋次郎(元)代議士の家庭教師をしてたって話をしたら,お父さんの故・中島源太郎(元)文部大臣とは同期だったということだった。石井先生は令夫人と同伴されてた。ボクと秋山氏が会うとほとんどの確率で著名人と会うなあ。流石に−誰かと違い−サインはもらわなかったけど・・・。でも気さくな方だった。


 6月24日 大崎で会議その1。その後会議その2。経営学部の加藤吉則学部長に久しぶりに会う。志茂田景樹氏の話題になる。ツムアインホルンでビールを飲んで帰る。生温かい強風が話題になる。村下孝蔵氏の訃報を知る。別所毅彦氏も。


 6月25日 ジュリーの誕生日。今の学生でジュリーって知ってる人はどれくらいいるだろうか。保科氏が研究室HPの表紙改訂(第3版)。


 6月26日 エッセイスト・岸本葉子さんの誕生日。文学部・友永昌治氏の大崎での教員組合会議が終わった後,文学部助手の宮崎智絵氏とアンケート調査の件で最終打合せ。夕刻,IBMシステムエンジニアリングの天納之士氏と友永氏の3人で情報交換。


 6月27日 IE5.0をインストールしたら,サーバのファイル名を変更しないといけないことになり四苦八苦。ほぼ8時間を無駄にする。


 6月28日 ほぼ1週間くらい前からの風邪が次第にヒドくなり仕事はかどらず・・・。東大の毛利泰裕先生から談話会の件で連絡。明日の授業,風邪でキツそう・・・。休講するかも・・・。


 6月29日 アンケート調査実施。午前2コマの授業をして,午後とうとう休講。


 6月30日 朝,某氏より「もしかして,僕がうつしたのかも・・・」と電話。うつす前に言って欲しかった・・・。保科美和氏の原稿が「パソコンリテラシ」7月号に掲載される。読んであげてネ。今日は水無月祓へ・・・ボクはまだ輪をくぐったことがない・・・千年も生きたくない・・・。史学科卒業生のマンガ原作家・板本氏(ペンネーム:七月鏡一)より「交遊録リンク集」へのリンクOKとのメールをもらう。久しぶり。学生時代に少年サンデー大賞(はなかったので,次点だったかな・・・)をとって,1992年の少年サンデー42号からデビューした。ボクはその記念すべき雑誌を未だに持っている・・・。