2023年 2月  ... those were the days my friend...we thought they’d never end ...  2 3 4 5 6


 1日 Rice大物理卒後Harvard大Marshall Stone下"The Subspaces of the Conjugate of an Abstract Linear Space"で学位,角谷静夫と複素Hilbert空間についての共同研究(Kakutani-Mackeyの定理)他,数学と物理学双方からアプローチした群の表現論等に取組みSteele賞を受賞したアメリカの数学者ジョージ=ホワイトロー=マッケイ/マッキー(George Whitelaw Mackey),Basel大Sommerfeld下で実験助手,陰極線の特性に関する実験で学位取得後渡米Princeton大で理論物理研究,大恐慌後Zurich大へ戻り核子間相互作用の提唱やくりこみ群の予想をする等,理論物理学において重要な進展を齎す業績あるも評価されることなかった(:2度もノーベル賞受賞を逸した)スイスの数学者,物理学者エルンスト=カール=ゲルラッハ=シュテッケルベルク(Ernst Carl Gerlach Stueckelberg),Cambridge大卒後Liverpool大を経てCambridgeに戻り,実関数論に取組みBurkill積分を導入し曲面面積の定義に関するW.H.Youngの研究を拡張,解析の教科書"A First/Second Course in Mathematical Analysis"の著者としても知られるイギリスの数学者ジョン=チャールズ=バーキル(John Charles Burkill)の誕生日。R方式入試日。3時半過ぎからルーチン#3。DS流行で統計に向かう人が多いせいか$p-$値の唄という歌が登場してた。



 2日 Amsterdam大でBrouwerに学び卒後Gottingen大Emmy Noetherに師事,帰国後Hendrik de Vries下"De algebraiese grondslagen der meetkunde van het aantal"で学位,抽象代数学を専門とし,著書"Moderne Algebra"が古典的教科書として世界中で知られているオランダの数学者バーテル=レーンデルト=ファン=デア=ヴェルデン(Bartel Leendert van der Waerden),高卒後事務員勤務,30歳を過ぎてからNewYork大入学,卒後Cornell大Virgil Snyder下"Properties of the Veneroni transformation in S_4"で学位,全米標準局,空軍る航空宇宙研究所で数表作成に携わり数値解析とMathieu関数計算の先駆的な仕事に貢献したポーランド生アメリカの女性数学者ガートゥルード=ブランチ(Gertrude Blanch),Glasgow大入学後第1次世界大戦で帰国,Warsaw大Janiszewski,Mazurkiewicz下で学位取得後Lw?w工科大教授,以後グラフが平面的か否かの判定定理(Kuratowskiの定理),極限点の概念を用い位相空間を定義するための閉包公理を与える等トポロジーと集合論の分野で活躍したポーランドの数学者カジミェシュ=クラトフスキー(Kazimierz Kuratowski),Budapest大卒後Budapest工科大助手,Einsteinに感銘を与えた相対性理論研究で学位取得,後に数理物理学に取組み現在の高速フーリエ変換を発明,ナチス台頭で渡米,Purdue大,Boeing社で航空機設計へ数値解析応用で活躍したハンガリーの数学者コーネリアス=ランチョス(Cornelius Lanczos),16歳でEdinburgh大入学,修士取得後Leipzig大,Berlin大,Chicago大で研究,帰国後非可換有限体の非存在を示し,以後Princeton大で様々なWedderburnの定理を産出等代数(環論等,行列論)において重要な結果を示し発展させ,キャリアの殆どをPrincetonで過ごしたイギリスの数学者ジョセフ=ヘンリー=マクラーゲン=ウェダーバーン(Joseph Henry Maclagen Wedderburn),Berlin大Kronecker,Weierstrassに師事"Uber gewisse partielle Differentialgleichungen h?herer Ordnung"で学位取得後Jena大,Halle-Wittenberg大で微分方程式研究に取組んだドイツの数学者,教育者カール=フリードリッヒ=オーガスト=ガッツマー(Karl Friedrich August Gutzmer),Vienna大卒後教員を経てBerlin大でLegendre多項式やChebyshev多項式の一般形としてのGegenbauer多項式研究で学位取得後主に直交多項式の研究や保険数理等保険業界に積極的に貢献したオーストリアの数学者ジョン=チャールズ=バーキルレオポルド=ベルンハルト=ゲーゲンバウアー(Leopold Bernhard Gegenbauer),St Petersburg大修士取得後同大講師,特殊関数,Jacobi多項式とLame関数研究で学位取得後同大教授,Sokhotski-Plemeljの式等,複素解析とChebyshevの影響を受けた特殊関数研究活躍したポーランドの数学者ユリアン・カール=ヴァシリエヴィッチ=ソカツキー(Yulian-Karl Vasilievich Sokhotsky),Ecole Polytech.で学んだ後同校教授として活躍,Fibonacci数列におけるBinetの公式(※125年前にde Moivreが既に発見)でも知られ,行列理論の基礎構築に取組んだフランスの数学者ジャック=フィリップ=マリー=ビネ(Jacques Philippe Marie Binet),Cardanの助手として数学を学び,4次方程式の解公式で知られ,Bologna大教授就任半年後にヒ素中毒で亡くなったイタリアの数学者ルドヴィコ=フェラーリ(Lodovico Ferrari)の誕生日。2時過ぎよりルーチン#1。BP低すぎて直ぐには起き上がれなかった。久しぶりに奥原俊先生@三重大と某件で遣り取り。遅くまで(?朝早くから?)仕事されてるんだな・・・。先日来のメモを1/5ほど仕上げとく。今年の国際会議のサイトが公開された。故・鮎川誠氏が『探偵!ナイトスクープ』で披露した“大号泣の神回”話題が出てた。さすが博多な者。上梓された何冊かの数学書でゼミもさせてもらった雪江明彦教授の最終講義が案内されてた。昼,病院からA大学Z教授の新車で大学まで送っていただく。途中,国際会議の件で少し打合せ。ある大学教員の"ここ数年、学生が学内のイベントで就活体験談を語るのを聴く機会があったのですが、「この会社なら私のことをちゃんと見てくれると思いました」というようなコメントを聴くことが増えたように思います。それも「面倒見の良い会社」を求めているのかなと思ってしまいます。"というtweetに対し,他大の教員が"私が「面倒見の良い大学」というフレーズに違和感を覚える最大の理由はこれである。"とretweetしていたら,さらに別の大学教員も"私もいつも違和感もつ"とtweetし,いいねが沢山ついていた。"面倒見のよい"ってナンだろうね。日本社会はすべからく面倒見の良い国家を目指しているのか??。回転寿司店での迷惑行為が拡散している問題で旧知の東洋大・藤本貴之教授が『回転寿司迷惑動画は「性善説ビジネス」を崩壊させる産業テロ』とメディア批評を述べていた。性善説を前提としなくなった社会もさびしい・・・。


 3日 Uppsala大Anders Wimanに師事,兵役で暗号解読に従事後"Etudes sur un probleme de majoration"で学位,戦後Harvard大でも過ごし帰国後調和解析,複素解析,ポテンシャル論研究で活躍したスウェーデンの数学者アルネ=カール・オーガスト=バーリング(Arne Carl-August Beurling),物理学専攻目的でMoscow大入学,Luzin,Egorovの影響で数学に変更,学位教授資格取得後Aleksandrovと共に位相空間の研究,次元論で重要な結果を残しながら休暇中の溺死で夭折したウクライナの数学者パベル=サムイロヴィッチ=ウリゾーン(Pavel Samuilovich Urysohn),ENS(パリ高等師範)入学後兵役で顔面負傷,入院中およびColl?ge de Franceで研究後Emile Picard,H.Lebesgue,P.Humbertの"Etude sur les formes binaires non quadratiques indeterminees reelles ou complexes, ou a indeterminees conjuguees"の審査で学位,フラクタルで注目を浴びたジュリア集合で知られ,現代の力学系理論の先駆者の1人でパリ学士院院長も務めたフランスの数学者ガストン=モーリス=ジュリア(Gaston Maurice Julia)の誕生日。2月前期入試1日目。3時半過ぎからルーチン#0。グレブナー基底の文字を見るたび,30数年前のある出来事を思い出す。当時数式処理研究界でこの基底を求めるアルゴリズムで世界で圧倒的に著名だったBruno Buchberger教授をN大K教授が同大談話会に招聘し,ボクも院同期のN氏(現・某大学院教授)と共に10名弱参加していた会に出席していた。当時N氏はPDE系での所謂非可換でのグレブナー基底をBuchberger教授同様に開発していた。会が終わった頃に,N氏がBuchberger教授に"私はPDEでその非可換版を開発しています"と話したところ,Buchberger教授が怒り出し,"そのアルゴリズムには私の名前をつけるべきだ"と発言。2人の間で(英語で)延々と議論が交わされた。それまで数学者というものは,もう少し遠慮深い人々だと思ってただけに,なぜBuchberger教授はこれくらいのことで自分を強引に主張するのだろうか・・と。普通,数学上での名前のついた定理,公式,アルゴリズム等というものは周囲もしくは後世の数学者がその業績に対して尊敬の念もこめて名付けられることが多いものだけに・・・。半分がっかりした談話会だった。そんな思い出がある・・・。進化生物学者でChicago大名誉教授のJerry Allen Coyne氏が危惧する「左派からの科学への攻撃」のレポートを読むと,"アメリカ人の半数以上が創造論者であり、そのうちの40%が聖書の字義通りの創造を信じ続けています。33%は、人間は何百万年もかけて進化したと考えていますが、その進化も神の導きだと思っています"と書いてあった。日本人としてはアンビリ。データを活用し課題解決策を探る"データサイエンス"系学部の新設が相次いでいる。一橋大学(※72年ぶりに新学部設置)を含め今春少なくとも17大学で誕生するそうだ。どこもかしこもDS波。このDS波,これに対しても某氏が『とはいえ文理を問わずサイエンスであればデータを扱うのが当たり前、定量的に分析できて当たり前だろうという気もする。問題は道具たるデータサイエンスだけ学んだところで役に立つのか?分析対象の知見なり足回りの計算機科学、プライバシーや情報倫理も知らないと困るのでは?』とtwitterで呟いていた。戦前の感覚でいえば,今の大学は戦前の高校と同じなのだから,本来は大学にしっかりとした文理に偏らない教養科目を64単位以上学ばせる環境を用意しておくのが普通だろう。高校での文理に偏らない科目履修を止めさせたのは戦後の私大の入試制度にあるのではないかとも思う。学部内でアナウンスされたけど,渡辺美智子教授が司会を務める日本学術会議公開シンポジウム「数理・データサイエンス・AI 時代における統計科学の教育及び研究について」が日本数学会でもアナウンスされた。機械学習の研究がメインになっているけど,機械学習での研究には数学における(超難関分野といわれる)代数幾何学を研究することに等しいといわれている。いまのままでは,機械学習の既存プログラムにデータをぶち込んで操作する人材を排出させるだけで,新しい機械学習のステージに歩みだす人材を作ることは絶対にできない。代数幾何学という分野の学習には数学の様々な分野の学習が必要とされるからだ。多分,5・6年すれば機械学習の新しいアルゴリズムが提供されるようになるだろう。その時は。代数幾何学を学んでない人々は何も考えることなく出回っているアルゴリズムやプログラムを何の疑いもなくコピーして使用することによって(中身のない)機械学習の専門家と自称している・・・そんな光景が目に浮かぶ。


 4日 Czech工科大2年修了で同大数理研究所講師,2年後統計工学も修了,5年後サンプリング調査で学位取得,渡米後California大等で研究後帰国,以後もノンパラメトリック統計およびHajekの畳込み積や不等式で知られる漸近理論で国際的に活躍したチェコの数学者,統計学者ヤロスラフ=ハイェク(Jaroslav Hajek),Cambridge大Shaun Wylie下学位取得後,Chicago大,Princeton大で研究,帰国後Warwick大数学研究所設立後,幾何学的トポロジーと特異点理論,カタストロフィ理論研究で知られLondon数学会長を務めたイギリスの数学者エリック=クリストファー=ジーマン(Erik Christopher Zeeman),Oxford大GH Hardy下で修士,1年間教員勤務後Aberystwyth大助教後,気象庁でLF Richardsonの古典的研究を下に大気の乱流等研究,第2次大戦でも研究応用で貢献,戦後も気象力学で気象学に数学を適用する上で重要な貢献をしたイギリスの数学者オリバー=グラハム=サットン(Oliver Graham Sutton),Oxford大GH Hardyの下で研究後渡米,Chicago大L.E. Dickson下"Minima of Indefinite Quadratic Quaternary Forms"で学位取得後帰国後Raffles大教授,第2次大戦で日本軍捕虜を経験,2次形式に関するOppenheim予想(Margulisが解決)等で知られるが,主に数論で活躍したイギリスの数学者アレクサンダー=オッペンハイム(Alexander Oppenheim)の誕生日。2月前期入試2日目。節分過ぎ立春。3時前からルーチン#3。起き掛けのフラフラを熱いコーヒーで立て直す。26日から動かしているPCでの計算は目標1週間で2日までの予定が未だに延々と続く。このままでは電源チョット切れないな・・・。分数階の微分は昔から研究されていることは知っていたけど,あらためて$\displaystyle \frac{d^{\frac{1}{2}}}{dx^{\frac{1}{2}}}x$を問われて,$\displaystyle\frac{2x^{\frac{1}{2}}}{\sqrt{\pi}}$と求められなかった。遠い昔の自分の理解がいまいちだったな・・・。最近,昔の数学専門書をネットから取り寄せることが多い。殆ど絶版になってることもあり多くはPOD。昔の数学専門書は難解だったけど,その分,内容に品格があった。最近の専門書の一部はわかりやすいんだけど,その分。所謂品格というものを余り感じられない・・・ボクの感覚だけなのかな。誰かが一生のうちでトイレで過ごす時間を計算してた。約1年140日ということらしい。時々見かける今日の一病息災の特集記事を読んでみた。予約していたタクシーが日にちを間違えていて病院到着が30分以上遅れ,病院ではいつもの時間にいないということで,また何か(救急車とか,入院とか等)あったのかと心配してくれてたらしい・・・。すんまそん。

 5日 Harvard大卒後MITのChia-Chiao Lin下"Applications of Conformal Mapping to Boundary Perturbation Problems"で学位後生物学が数学者にとって豊かな宝庫であるかを認識,Rensselaer工科大を経て実験生物学を世界的にリードするWeizmann科学研究所で細胞生物学を中心として生物学における数理モデルの有効性の啓発に努めたアメリカの数学者リー=アーロン=シーゲル(Lee Aaron Segel),Wroclaw大Marczewski下"Sur les espaces complets s?parables de dimension 0"で学位,確率過程,情報理論,統計物理学,普遍代数学の研究でよく知られているウクライナの数学者カジミェシュ=ウルバニク(Kazimierz Urbanik),Frankfurt大Max Dehnに師事し"Uber unendliche diskontinuierliche Gruppen mit einer definierenden Relation"で学位後Princeton大Carl Siegel下で研究後帰国するも戦後再度渡米しCourant研究所,NY工科大で組合せ群論,リー代数,数理物理学,楕円関数,タイリング等の研究で重要な貢献を残したドイツ系アメリカの数学者ハンス=ハインリッヒ=ウィルヘルム=マグナス(Hans Heinrich Wilhelm Magnus),Gottingen大Edmund Landauに学びHans Rademacher下"Uber Caratheodorys und Minkowskis Verallgemeinerungen des Laengenbegriffs"で学位,渡米時解析的整数論に惹きつけられ"Introduction to Modern Prime Number Theory"を著し,晩年London大教授となったドイツの数学者セオドア=エステルマン(Theodor Estermann),Ecole Polytech卒後法学を学び,Massin研究所等で数学教員を勤め37歳で"Theorie mathematique de la chaleur"で学位取得後,Ecole Polytech.やPris大理学部でPDEに取組み,熱方程式,力学,音響学に適用したフランスの数学者ジャン・マリー=コンスタント=デュアメル(Jean-Marie Constant Duhame)の誕生日。2月前期入試3日目。2時過ぎからルーチン#3。最近のDS流行りについて,twitterで誰かが"問題はデータサイエンスのいずれの領域とも無関係な専門の人が何故か教えているということがチラホラあることですね"と呟けば,他大教員も"そしてそういった教員の講義の酷さは恐らく多くの人の想像を超えてる。学生のとんでもない間違いすら指摘できない。びっくりしたのは一度や二度じゃない。"とReTwitte。DSが俄か分野だから仕方ないけど,DSの専門家と名乗るのは止めて欲しいな。名乗るなら,せめてDSの関連分野とか,DSのすそ野分野とか・・・。DSは統計学,情報科学,数学等様々な分野が学際的に交叉して出来上がってるものだから・・・。早稲田大学・早水桃子教授が"YouTubeの収益+αを自分の研究室宛に寄付"し,早稲田大学から感謝状を頂いたとtweetしてた。最近ではよくあるようだけど,新しい研究費獲得例だな・・・。


 6日 Manchester大Lawrence Bragg, Douglas Hartreeに学び修士,戦時は弾道学研究,戦後Courtaulds基礎研で数理物理を研究し学位取得,L.F.Richardsonの数値解析手法を改良する等,熱方程式やその数値解析に取組んだイギリスの数学者ジョン=クランク(John Crank),13歳でBasel大入学,Bernoulli家伝統の法学位を15歳で取得,更に数学も学び,以後NewtonとLeibniz間の有名な論争の背後にある数学的議論に関わり,また対数螺旋等の曲線,微分方程式,確率にも取組みながら夭折したスイスの数学者ニコラス=ベルヌーイ(Nicolaus (II) Bernoull),Bologna大で学んだ後同大講師,3次方程式の解公式を最初に発見し,分数の有理化についても貢献したイタリアの数学者シピオーネ=デル=フェロ(Scipione del Ferro)の誕生日。2時前からルーチン#3。BP低め。26日から整数実験で動かしていたPC。一旦止める。twitterにUPしている数学・統計学者誕生日。昨日と今日を間違えていた。今野敏氏より某件で連絡。年明けに入院されたとのことだった。ボクらと違って普通に原稿書き上げ,サイン会とかあるようだし無理されないようにと・・・。11時前,研究室雑務でM氏来室。その後,白木教授バイタルチェックで来室。謝謝。16時半にはM氏より依頼雑務が終わったとの連絡が入る。謝謝。『世界の頭脳集まる沖縄科技大学院大、「論文の質」東大抜き日本一…「ノーベル賞」輩出も』の記事。現東大院助教のゼミ卒業生がポスドク時代助教でOIST滞在中ゼミ生等と幾度かお邪魔したけど,確かに(沖縄への思いやり予算の中から莫大に投資された)研究環境は素晴らしかった。ただ那覇空港からは離れすぎていてクルマのない研究者には不便かな。と,もう一つ,これからの大学予算,国と県議会がどのように判断するか・・・もポイントになると思う。舛添要一氏が三浦瑠麗氏の肩書きに違和感。「研究・勉強しなくなったら学者ではない」と。舛添氏が言うまでもなく,たしかに「研究・勉強しなくなったら学者ではない」は当たり前。ボクも現役を離れても脳が機能するうちは(いままでしてきたことの社会への還元もあるけど)研究だけは続けてゆきたい・・・。多分そうでないと生きている意味を感じなくなるんだと思う。


 7日 東大・吉江琢児に師事し研究,卒後同大助手後大阪大で角谷静夫とエルゴード理論の共同研究,同大で学位取得後Washington大,日米開戦で帰国後名大,阪大教授,再度渡米Princetonで過ごし帰国後東大,京大数理研所長,日本数学会理事長等務めHille-Yoshidaの半群理論等の関数解析と確率論の世界的業績で知られる日本の数学者吉田耕作(Kosaku Yosida),航海研究所卒,Padua大院修了後Comessattiの助手,Florence大,Padua大でレジタンス活動と共に古典的代数幾何学と抽象代数学の研究,戦時はレジスタンスに身を委ね戦後は数学教育注力の傍ら(成功しなかった)政治的活動でも活躍したイタリアの数学者ウーゴ=モーリン(Ugo Morin),ENS修了後渡独後学位取得,Marseille大講師,Bresan?on大教授,Pascal研究所でOCR開発で所長,ブルバキ創設者の1人乍後にWeilとの個人的事情もあり脱退,ゲーム理論,コンピュータ科学への貢献が顕著だったフランスの数学者ルシアン=アレクサンドル=チャールズ=ルネ=ド=ポッセル(Lucien Alexandre Charles Rene de Possel),戦時中Cambridge大入学,独系故姓変更兵役拒否後大学へ戻った後Vienna大でReidemeisterに以後の研究での影響を受け帰国後数理論理学講義でTuringを育て,次の大戦中は暗号解析にTuringnアドと携わり戦後,組合せ的トポロジーと計算機科学の基礎理論で活躍,De Morgan賞,Sylvester賞等受賞したイギリスの数学者マクスウェル=ハーマン=アレクサンダー=ニューマン(Maxwell Herman Alexander Newman),Diophantine解析,発散級数和,Fourier級数,Riemann zeta関数,素数分布等長期にわたるJ.E.Littlewoodとの共同研究で高品質な結果を産み続け,E.M.Wrightとの共著"An Introduction to the Theory of Numbers"やRamanujanの才能を見出す等,様々な分野をカバーしたイギリスの数学者ゴッドフレイ=ハロルド=ハーディ(Godfrey Harold Hardy),ENS,Toulouse大で学び同大で空間曲線におけるFrenet-Serretの公式を示した"Sur les fonctions qui servent a determiner l'attraction des spheroides quelconques"で学位取得後Lyon大教授,同天文台所長で気象観測も継続的に行っていたフランスの数学者ジャン=フレデリック=フレネ(Jean Frederic Frenet)の誕生日。2時過ぎからルーチン#2。BP昨日より10高め。低めが続いてた中,それはそれで不安。暗号に関する新刊本を眺めながら思った。新しい現代暗号(公開鍵系)が誕生して約50年。B1の時には,そんなことも露知らず今でいう近代暗号の書籍を多数読み,暗号学は終わった感を抱いていただけに(※実際,平凡社百科大事典での"暗号"欄にはそのように書かれていたと思う)2年後簡単な数学で新しい発想の暗号が登場した時には驚きと共に,発想さえ変えればこんなところでも簡単な数学が役立ってるんだと,変に数学徒である自分に自信を持ったことを憶えている。16時過ぎ,血圧低下を感じ1時間ほど横臥。机に戻って仕事を続行。


 8日 Yale大修士後Smith大で教鞭を執りながらDonald Frank St Maryの勧めでMITのThurlow Adrean Cook下"Measures on empirical logics and the properties of their associated dual Banach spaces"で学位取得後Smith大数学科を関数解析,動的システム系研究で牽引したナイジェリア系アメリカの数学者,教育者イエワンデ=オルバンモ(Yewande Olubummo),Mainz大,Munster大で学びETHのBeno Eckmannの影響を受け,"Charakterisierung der Holomorphiegebiete durch die vollstandige Kahlersche Metrik"で学位後Munster大助手,Princeton高等研,IHESで研究後Gottingen大准教授,以後複素多様体上の岡-Grauert理論等,層の理論を多変数複素関数論,複素多様体への応用,Reinhold Remmertと共同で複素解析空間の理論を確立発展させたドイツの数学者ハンス=グラウエルト(Hans Grauert),Columbia大で"On Ordered Divisible Groups"で学位取得後,Purdue大助教授,Ribenboimとの出会いでMITでの研究後Rochester大教授,順序群の理論から超現実数を含むリーマン面,Surreal数体の基礎構築まで,幅広い数学の分野で活躍したアメリカの数学者ノーマン=ララビー=アリング(Norman Larrabee Alling),Rome大入学後工学から数学へ変更,Mauro Piconeに師事,学位取得後Piconeの助手,Messina大,Pisa大でNashとは独立にHilbertの第19番目の問題にへ解決を与え,PDEと数学基礎論研究でWolf賞等受賞したイタリアの数学者エンニオ=デ=ジョルジ(Ennio De Giorgi),Mauro Piconeの助手を務めた父の影響を受け育ちCatania大Pia Nalliに師事,2年後Rome大Mauro Piconeに師事,戦時中に学位取得するもナチス協力が災いし投獄逃亡,戦後教授資格を取得,Trieste大,Rome大でPiconeの仕事を引き継ぎながら解析,線形弾性,PDE,多変数複素関数等の研究で活躍したイタリアの数学者ガエターノ=フィケラ(Gaetano Fichera),13歳でBasel大入学,16歳で修士,20歳で数理物理の医学への応用で医学博士,イタリアで医学の研究後ベルヌーイの定理等の流体力学,確率・統計に先駆的な貢献をし,感染症(当時は天然痘の蔓延)を説明する初期の数理モデルを提供したことでも知られるスイスの数学者,物理学者ダニエル=ベルヌーイ(Daniel Bernoulli),UBCで保険数理士を目指し卒業するも説得され数学の修士取得,修了後Chicago大LE Dickson下"Analytical Investigations in Waring's Theorem on number theory"で学位取得ポスドク後UBC数学科を牽引,数論と解析に取組みPerron積分の理論とVinogradovの手法を適用してGoldbach予想の解決に貢献,カナダ数学会長を務めた英系カナダの数学者ラルフ=ダンカン=ジェームス(Ralph Duncan James)の誕生日。0時過ぎ,再び血圧低下を感じると共に大量の嘔吐。我慢できず救急車。救急隊員の説明が不適切だったのか,受け入れ病院はその程度なら直ぐに処置が終わるので(この時間帯だとタクシーもなく)病院から帰宅するクルマが手配できれば受け入れるということだった。何人かの知人に連絡して、やっとM氏が引き受けてくださることになり嘔吐しながら病院へ向かう。病院でいくつかの検査を受検。まさかの即手術となった。すでにオペスケジュールが決まっていたので夕方に手術。初めての開腹手術だった。2時間半ほど。


 9日 名古屋大中山正に師事同大修了後助手を経て京大へ,Hilbertの第14問題の反例を示し否定的に解決,"Mr Counterexample"で知られ,抽象代数学,特に"Local Rings"著で知られる可換環論,不変式論,代数幾何学(京都学派)の分野で多大な貢献をし,フィールズ賞受賞者広中平祐,森重文を育て,IMU副会長も務めた日本の数学者永田雅宜(Masayoshi Nagata),Athens工科大卒後Berlin大Schmidtに師事学位取得するも戦時中は職に就けず,戦後Berlin自由大学教授,同大数学研所長を務め,Schmidtの仕事を引き継ぎ関数論。Nevanlinna理論等から幅広い数学分野でドイツで活躍したトルコ系ギリシャの数学者アレクサンダー=ディンハス(Alexander Dinghas),Cambridge大Henry Baker下"Some contributions to the theory of regular polytopes"で学位取得後Princeton大往来でWeylに研究ヒントを得,諸事情で帰国予定を止めToronto大で幾何学,特に超多面体,非ユークリッド幾何,群論,組合せ論において重要な貢献をしたイギリス系カナダの数学者ハロルド=スコット=マクドナルド=コクセター(Harold Scott MacDonald Coxeter),Budapest工科大,Berlin大Hermann SchwarzとのFourier級数収束性議論の中でFejerの定理を示し学位取得後Budapest大でFourier級数とその特異点に関する調和解析,Caratheodoryと整関数,Rieszと等角写像についての重要な共同研究等で知られるハンガリーの数学者リポート=フェイェール(Lipot Fejer)の誕生日。手術のせいかどうか不明だけど,平素通院治療している治療が不能であることが判明(担当医師は手術のせいかどうかのところは説明を曖昧にして,今回の色んなことが・・・誰が悪いということもなくって説明だった。)。カテーテル検査や処置でも復元が難しく,明日別途右足に応急血管接続することに。結果40日間にわたる右足ベッドに固定,起き上がりも(意味のない)傾斜20度まで。殆ど食事はできなかった。


10日 Ural州立大で学位取得後,計算機数学科助手,同大Lev Shevrin下半群論研究で学位取得,Evan予想,Tarski問題解決後Sverdlovsk教育大,ソ連崩壊後イスラエルのBar-Ilan大教授,63歳でグラフ理論における道路着色予想も解決したロシアの数学者アヴラハム=ナウモビッチ=トラトッマン(Avraham Naumovich Trahtman),Fisk大で医学専攻から数学に転向修士取得後教員勤務,アフリカ系学生を受入義務のあったTexas大でDon Edmonson下"A Structure Problem in Asymptotic Analysis"でアフリカ系アメリカ人で博士号取得した5番目の人間となり取得後曾って入学拒否されたBaylor大初のアフリカ系教授として関数解析研究および教育で活躍したアメリカの女性数学者,教育者ヴィヴィアン=マローン・メイズ(Vivienne Malone-Mayes),Charlottenburg工科大1学期でBerlin大転校,Schurに師事しKonigsberg大Knoppの助手の立場で学位取得,ナチス台頭で渡米,Princeton大Weylの助手で共同研究後E.Noether推薦でToronto大で生産的で活発な研究,戦後Harvard大で教鞭を執り有限群誘導指標のBrauerの定理等,指標理論を発展させたドイツ系アメリカの数学者リヒャルト=ダゴバート=ブラウアー(Richard Dagobert Brauer),Palermo大Giuseppe Bagnera下学位取得,教員勤務の傍ら教授資格取得後,大学入職に様々な妨害を受けながらも,Cagliari大,Catania大で代数幾何学,関数解析,テンソル解析の研究,ICM招待講演も務め,Romeに名を冠した通りのあるイタリアの女性数学者ピア=マリア=ナリ(Pia Maria Nalli),Ecole Polytech.でFourierに学び卒後大叔父Emiland Gautheyの業績編集業務で国立土木学校(Ecole des Ponts et Chauss?es)後同校で教鞭を執り,Ecole Polytech.教授,Fourierの熱方程式教授法を巡りPoissonと論争に巻き込まれる中,非圧縮性流体の挙動を説明するNavier-Stokes方程式等応用数学,土木コンサルタントとして活躍したフランスの数学者クロード=ルイ=マリー=アンリ=ナビエ(Claude Louis Marie Henri Navier),出羽国最上で中西流を学び江戸で関流に入門を断られ,以後最上流を名乗り関琉人対峙,数論と幾何学の分野での多大な貢献,連分数計算の簡略化に取組み,年間50-60点,生涯で2000点ほどの著作物,算法天生法指南,対数表起源,(関流との論争本)改精算法等を著し,国内よりも海外でよく知られる日本の数学者(和算家)会田安明(Aida Yasuaki)の誕生日。右足血管応急接続。明後日の手術決まる。


11日 孤児院で育ちBabe大Tiberiu Popoviciuに学び卒後Popoviciuの助手,"A study of the polynomial interpolation of functions of several variables, with application to the numerical differentiation and integration"で学位取得後Babe?-Bolyai大教授,以後数値解析と近似理論研究で世界的に活躍したルーマニアの数学者ディミトリエ=D=スタンク(Dimitrie D Stancu),大阪大正田健次郎に師事,卒後名古屋大助手,戦時中にZassenhausの予想の反例を示し,局所対称空間のcohomology研究で松島-村上同型定理等様々な著しい業績で知られ,名大,阪大教授後渡米,Notre Dame大教授としてリー擬群/群・環研で活躍した日本の数学者松島与三(Yozo Matsushima),ETHでHopfに師事し"Fundamental groups and second homotopy groups of closed three-dimensional manifolds"で卒後助手,"Sur un probl?me de Sikorski"で学位取得後,Princeton高等研を経てETH教授としてトポロジー,代数,数理論理学,組合せ(集合)論,様々なアルゴリズム等の新しい方向性寄与と共に重要な貢献をしたスイスの数学者アーンスト=ポール=シュペッカー(Ernst Paul Specker),Jan Kazimierz大W?adys?aw Orliczに師事し戦後学位取得,教授資格取得後Poznan大で関数解析研究,国内の数学オリンピック組織結成にも尽力したウクライナ生ポーランドの数学者アンドリュー=タデウス=アレクセヴィッチ(Andrzej Tadeusz Alexiewicz),2月11日はChicago大卒,Nebraska大修士後,Illinois大Waldemar Trjitzinsky下"Some Problems in the Boundary Value Theory"で学位取得後Manhattan計画に参加,Los Alamos研,Bell研でShannon,Tukey等と研究,誤り訂正符号研究で画期的なHamming符号等を案出,情報通信分野研究に貢献したアメリカの数学者,計算機科学者リチャード=ウェズリー=ハミング(Richard Wesley Hamming),ENSでEmile Picard,Hamburg大でArtin,Marburg大でHasseに師事,帰国後"Sur la th?orie du corps de classes dans les corps finis et les corps locaux"でParis大から学位,ブルバキ最年少創設メンバーでアデールやイデールの概念を導入,,環論,群論,代数幾何学等数学の諸分野の発展に大きな影響を与えた南アフリカ生フランスの数学者クロード=シュヴァレー(Claude Chevalley),Westfalische Wilhelms大Heinrich Scholz下で数理論理学研究で学位取得,教授資格取得同時に幾何学基礎に目を向け,戦後Christian-Albrechts大, Kiel大で初期の数理論理学と数学基礎論研究を背景に幾何学や群論の公理的基礎分野研究で活躍したドイツの数学者フリードリヒ=バッハマン(Friedrich Bachmann),天文学専攻目的で入学したNY市立大で数学に触れ,卒後Columbia大Cassius J Keyser下証明論の萌芽を彷彿させる数理論理学研究で学位,以後精神疾患治療を受けながらN項群や今ではポストの問題として知られる再帰理論および決定不能問題研究に貢献したポーランド系アメリカの数学者エミール=レオン=ポスト(Emil Leon Post),Lund大Carl Fabian Emanuel Bj?rlingに師事,"Klassifikation af regelytorna af sjette graden"で学位取得後同大講師,Uppsala大教授,以後代数幾何学と群論の応用,整関数におけるWiman-Valiron理論に取組んだスウェーデンの数学者アンダース=ワイマン(Anders Wiman),Yale大で工学の学位取得後渡欧,Heidelberg大Kirchhoff,Helmholtzの影響を受け帰国後Yale大教授,区分的連続微分可能な周期関数のFourier級数の第1種不連続点付近で観察されるGibbs現象の発見で知られ,統計力学を確立しベクトル解析創始者の1人とされるアメリカの数学者ジョサイア=ウィラード=ギブス(Josiah Willard Gibbs),Cambridge大卒後St Paul's大で 代数幾何学と可換代数で活躍し,その研究アイデアが後のKrullのイデアル論,ZariskiとSamuelによって命名されたCohen-Macaulay環,Groebnerによる完全性やGorenstein環の概念を産出したイギリスの数学者フランシス=サワビー=マコーレー(Francis Sowerby Macaulay)の誕生日。建国記念の日。


12日 2時間強の手術。全身麻酔で入眠イマイチ。


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19日 手術は結局不成功に終わり2週間後再手術。


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