2017年 8月 ... for within that summer place, your arms reach out to me ... and the sweet secret of A summer place ...  2 3 4 5


 1日 八朔。水の日。最近は純水を飲んでいる・・・。3時から研究室で雑務。昼間,研究室出入りを繰り返している間に,数学ゼミの打合せで訪れた学生とすれ違いの連続。すれ違いというと,当時皆がイライラしたという映画・有楽町で逢いましょう(1958年)のお話を思い出す。16時過ぎから,情報システム課内で岩場部長等と学内ICT整備の勉強会。18時,大学を出て熊谷市内数ヵ所で所用を済ませる。タクシーの運転手はTさんだった。フィリピンの話を色々聞かせてくれた。19時から,熊谷市内・酒蔵はっかいで情報システム課の歓迎会。岩場部長,授業支援室/RillForeスタッフ,図書館・野田氏も出席。僕は1時間ほどで退席。研究室へ戻り雑務。IIARSの第2巻第1号の論文投稿受付始まる。



 2日 2時2分,地震。福島大・中村洋介准教授に寄れば,正断層型地震ということだ。結構な揺れだった。3時より研究室で雑務を始める。7時16分,再び地震。昼,A大学Z教授が来校来室。久しぶりだったので2時間弱ほどお話。ここしばらくeラーニングや経営情報工学的な論文を書きつづいけていたZ教授,帰り際にテーブルの上に置いてあった後藤−渡辺著「可換環論」を手にとって一言「そろそろ,数学もやらないとな・・・・」と呟いて帰っていった。夕方帰京。W係長への残暑見舞いにベルアメールショコラ水羊羹持参で美々卯・京橋店へ。W係長には久しぶりに会った。店内で17時半に待合せをしていた山形コンベンションビューロー・阿部孝志幹事+千葉商科大学・上山俊幸教授とお会いする。阿部氏より,山形のお土産・そば焼酎・山形そば街道と花笠てぬぐいを頂く。謝謝。20時過ぎにお開き。今日もそのまま熊谷へ。22時前,研究室着。パソコンに向かい少しだけ仕事を片付ける。


 3日 3時過ぎから研究室で雑務。明日の委員会資料の作成等。16時より品川−熊谷遠隔で第2回教学情報化推進委員会。熊谷からは青戸副局長,栗田学長室部長,東川学事部長の出席だった。遅ればせながら,松下佳代先生の「ディープアクティブラーニング」や小川賀代先生の「大学力を高めるeポートフォリオ」を読む。


 4日 3時から研究室で雑務。早朝大学を出て,帰京。実家経由で10時半前に品川校舎・情報システム課着。10時半より,品川−熊谷遠隔で実施される情報SA事後研修会に出て,池上副学長とともに冒頭の挨拶。挨拶を終え,入試課へ寄ってから,EP委員会。12時半前に終了。情報環境基盤センターへ戻り雑務。14時,学長室へ。齋藤学長と池上副学長と雑談。その後,佐々木学事部長に某件の相談に伺い,センターへ戻る。そこへ,心理学部・櫻井広幸准教授が来室。雑談。15時より品川−熊谷遠隔による情報セキュリティ関連・センター内WGに出席。友永図書館長にもお願いして出席して頂く。謝謝。ただし,今後のデフォルト出席はイヤがられていた。16時半に終了。17時に大学を出て帰宅。帰宅して直ぐ,先ほどセンター内で話し合ったことが試行される件が発生し,菅野課長から連絡。対応について確認。


 5日 1時半過ぎからパソコンに向かう。某整数計算,原点に戻って厳密に計算してみることにした・・・。5時半自宅を出て熊谷へ。(学生は夏期休暇が始まり,事務室関係もこの期間は土日はお休みなので)キャンパスは静か。3号館は賑やか。


 6日 広島平和記念日フロイド=シュモーのことを最近知った。大学構内では担当業務のあるオープンキャンパスが開催される。9時からコンピュータ室で3年のゼミもある。2時過ぎから研究室で雑務。9時過ぎから4年生1名も参加してゼミ。途中退室して,11時過ぎからオープンキャンパス業務を担当。昼休み休憩時,ゼミ生が質問に業務担当場所近くまで見えた。業務は16時前には終了して,再びゼミ生とあーでもない・こーでもない・・・。結局,3・4年生の研究テーマはフラクタル関係となりそうな気配。明日は1名だけ午前中続きに精を出してみるとのこと。


 7日 立秋。あの雲は稲妻を待つたより哉(芭蕉)。稲妻に悟らぬ人の貴さよ(芭蕉)。3時過ぎから研究室で雑務。今から丁度45年前の今日,吉田拓郎の旅の宿オリコンチャート1位に。10時から12時まで,昨日のゼミの続き。夕方,白木先生にArcGIS関係でご指導を乞う。


 8日 夜来の雨の窓叩く音で眠れなかった。秋来ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞおどろかれぬる藤原敏行朝臣)。2時過ぎより研究室で雑務。「大学教育への投資は理系文系、地方中央でどこに重点を置くべきか」の記事を読んで思った。日本の私学教育はやはり圧倒的に文系に偏り過ぎ,だから学費も高い高いといいながらもアメリカの1/10で済んでいるのではないだろうかとも思える・・。遅い午後,名古屋へ向かい,そこから近鉄で四日市へ。18時にユマニテク短期大学・田中雅章教授と千葉商科大学・上山俊幸教授と待合せ,駅近くの松阪牛の焼肉・吟へ。学会大会の件を打合せしながらコース料理を堪能。さすがに地元だ。美味しいものが東京に比べれば安価に頂ける。2時間ほどお話。四日市都ホテル泊。


 9日 2時半から部屋でパソコンに向かいながら仕事。7時から朝食バイキング。家族連れや中高生の団体が溢れていた。10時前に,千葉商科大学・上山俊幸教授とユマニテク短期大学へ。出迎えてくれた田中雅章教授の案内で大学構内を見学。その後,大橋正行学長,鈴木建生副学長の下へ表敬訪問。12月に開催するIIARS全国大会の会場として貴学の教室設備をお借りする件のお願い等。後で,それぞれの方々のご経歴をネットで拝見したら,それぞれの方々と浅からず遠からずのご縁があったことが分かった・・・。その後,3人でレビューの後,学外にある法人施設の見学。そして,近鉄四日市駅隣接施設で笹井のなが餅等お土産を購入。このなが餅,4日間しか持たないそうで,長持ちしない「なが餅」?・・・。そこで,上山先生と田中先生に手を振って,ボクは帰京。東京駅からの新幹線車内でイヤな光景を目にした。2組の親子連れが3連シートの座席を回転できないからと前に座っている3人を立たせて座った。そこまでは仕方ないかな・・・。車内は通路にも人が経つほどの混み具合。その6人連れの2組の若い親子は熊谷駅まで乗車したが,下車する前,そのシート元に戻して行かなかった。次に着席する人が座り辛いだろうに・・・。子供が1人の母親に向かって「シート,元に戻さないの?」。母「今さら戻せないから,いいの!」。もう一人の母親は全く知らん顔。混雑時には元に戻すよう,車内アナウンスしてるのにな。熊谷で降りたので,もしかして熊谷市民なのかな・・・と思うと情けなくなってきた・・・。夕方,研究室着。帰省中の4年ゼミ生Y氏から卒論で必要なターゲットをメヒシバにすると連絡が入る。


10日 故・山本宗一氏の命日。2時半過ぎより研究室で雑務。早朝から外出。昼,品川・情報システム課・水上氏より電話が入る。AADCサーバの監視接続失敗によるアラートが発生しているとのこと。部長,品川・熊谷両課長がお休みとのこと,峰内課長が急遽出勤して対応。今のところ,ユーザへの影響はないようだ。その後,熊谷情報システム課へ。先日,某研究室で発生したマルウェアによるセキュリティインシデントの事後対応が取られていた。で,熊谷市内へ所用で出かけようとしたとき,正門近くで,石松前学生部長より,家族旅行のお土産・うま塩枝豆あられ+めかぶの糸つくり味噌汁+のどぐろ味噌汁等沢山戴いた。謝謝。17時,A大学Z教授よりAIシンポジウムのお知らせが入る。夜,授業支援室・I氏と熊谷市内・左門で暑気払い。お店を出ると雨だった。タクシーで大学へ戻る。


11日 祝日。山の日。2時から研究室で雑務。今日から来週水曜までは大学特別休暇。品川校舎では今日明日とオープンキャンパス。午前,3号館の館内清掃が始まる。清掃担当の方々,休日にも関わらずお疲れさま。「都市のゲリラ豪雨は排ガスなどの大気汚染物質が影響か」という報告があった。薄々感じていた人がそれなりにいたのではなかろうか。ゲリラ豪雨発生要因の研究は数多くなされているようだけど,単に気象学視点だけでなく,更に幅広く学際的な視点で見つめる必要もあるのだろう。これ以上はいわずもがな。夜遅く雨が降り始める。


12日 2時半過ぎからパソコンに向かう@研究室。TeX用動的幾何ソフトKeTCindyを使用してみる・・・。午後,久しぶりにF氏が来室。しばらく長瀞での実習授業があったのだそうだ。少しだけ会話してボクは帰京。実家経由で帰宅。


13日 迎え盆。亡父の命日。七回忌。2時過ぎから机に向かう。早朝,自宅を出て家族で柏の寓居へ。その後,墓参を済ませ,昼前に帰京。自宅へ戻って直ぐ研究室へ向かう。14時前に研究室着。隣の研究室の先生も含め,何人かの先生方も見えていた。文科省が「23区私大,来年度から定員増認めず」との方針を固めたそうだ。このようなことは以前から想定されていて,5-6年前には23区内の一部私大は−文科省が「(数年後から)大学の定員超過抑制のため,私学助成不交付基準を厳格化」するとの情報が流れ始めたときには−定員増を申請していた。不満を募らせている大学やそこに在籍する教職員ともに,文科省の動きや時代の流れに対する感知力に欠け,遅きに失したというべきだろう。補助金頼りの私学経営なのにどこを向いてるのだろうか・・・。


14日 夜半から雨。3時過ぎから研究室で雑務。某委員会資料の作成に取りかかる。17時前に粗方終了・・・。天皇のご学友・・・の記事を見て,そういえば,昔,近所にそんな人がいたなぁ・・と。大学入学当初住み始めた六本木一丁目は−当時−まだ年配の多くの人々からは「麻布市兵衛町」と言われていた。「六本木一丁目ってどのあたり?」と聞かれても,「麻布市兵衛町・・・」と答えると,そのほうが通りがよかった。この六本木一丁目あたりから神谷町駅への(急坂の)近道は小さな(鬱蒼とした)森を歩き抜けなければならなかった。その雑草生い茂る坂道の途中に,その森の占有者であるかのように(所有者だったのかもしれない・・・)古びた木造の一軒家が佇んでいて,時々,黒塗りの高級車と黒の礼服?)の男性が老齢のご主人を迎えに来ていた。近所の人の話から,(昭和)天皇のご学友で時々皇居に・・・ということが分かり,(上京間もないボクは)天皇のご学友って凄いんだなぁ・・・と嘆息していたことを思い出した。家の近所には永井荷風が「断腸亭」の次に移り住んだ「偏奇館」跡もあった。孤独感漂っていた荷風によれば,(今は桜坂という名前で残っている)この辺は桜がきれいだったらしい。とりとめもなく,昔の光景を想い起こしている間に雨が落ちてきた・・・。


15日 終戦記念日。某卒業生が卒業後に別大学へ進学し,そこの大学のHPで「がん細胞の培養と遺伝子の発現調査等」に頑張っている姿を紹介されていた・・・。3時前より研究室でパソコンに向かう。プログラミング言語別平均年収が発表されていた。トップは最近増えている「Scala」だった。日米比較にも見られるように,日本ではやはりプログラム開発等のSE年収は低すぎる。開発工程は昔の職人芸的ソフトウェア生産から工業製品としての管理が出来るようになってはいるけど,未知の新規開発に伴うプログラミング自身は職人芸的頭脳に頼るところが大きい。このような開発を工業製品と同じような対価を払っているようだとSEは哀しすぎる・・・。IT企業全体が見直しをして業界全体で正当な単価にしてくれないと,IT企業の製品単価が歪な形で提供されることになるし,享受し対価を支払う側のユーザにも誤解を与え,未来のIT世界を希望の無い夢の無い世界にしてしまう・・・。


16日 4時から研究室でパソコンに向かう。粗方終わってたはずの資料作成が,残りの部分で結構な時間がかかることが判明。資料そのものを作成し直すことに・・・・。午後遅くに,再度粗方終了。雨日が長く続き,長月のよう。tenki.jpが7月25日に発表した年一度の3か月予報は嘘だった・・・。年一度の清水寺の千日参りの最終日。(素人っぽい分析が多いような気がしている)ベネッセ教育総合研究所によれば「大学教育では楽な授業を好む学生が増加」しているとのこと。もしそうだったらというか,そういう気がしないでもないけど,授業料を履修科目・単位毎に徴収することにして,前年度実績に基づき,(受講学生数を含め)単位取得率(閾値/計算式を決めておいて)が異常に高い科目に関しては徴収授業(料)単価を高く設定する・・・というのはどうか。極論かもしれないけど,履修が(実質は)カフェテリア方式になってるのだから,こうするのが当然だと思える・・・。整数には様々な関係式が現れる。だから,(先人が発見していても,自分だけが)発見した(と思っていることが多いが・・・)喜びもあり楽しい。飯高茂先生+広尾学園高校・数論研究チームの発表内容を久しぶりに眺め,徒然に思った・・・。今日で大学一斉休暇(8/14−8/16)も終わり。キャンパスも少しは賑わい始めるんだろうか。


17日 1時前より研究室でパソコンに向かう。昨日眺めた広尾学園高校の学生を別視点で拡張したら,きれいな形での見通しの良い拡張となった。ボクもそうだったけど,中高時代はなぜ冪和に拘泥するんだろうか・・・。この頃特有の誰もが罹る熱病なのかもしれない・・・。午後,学部事務室,情報システム課へ出かけた後,以前UPしていたWeb成績を再確認し「提出」のボタンを押下。その後,熊谷市内に所用で出かける。10月初旬に沖縄出張の案件が入る。どうすべきか悩む。


18日 2時前から雑務@研究室。公開鍵暗号が登場して40数年。量子コンピュータ用の新方式の案出もしのぎを削っている。最近も,非線形不定方程式の最小解求解を元にした新方式が発表された。しかし,RSA暗号のように明快でスカッとした方式はもう生まれないのだろうか・・・。今日は糸ようじの日らしい。8時前に研究室を出て帰京。実家経由で,品川校舎に10時過ぎに到着。EP委員会に少し顔を出し,情報システム課へ。急遽,部課長+M氏と11時半まで打合せが入り,その後からEP委員会へ。14時に終了。情報システム課へ寄り,2期授業でのMaple利用やLaTeX数式/Officeの件をM課長に確認。10月14日のeラーニング研究会(WS)のプログラム(案)が届いていた。隣席の友永図書館長にも転送して帰宅。白い歩道が雨粒で黒く濡れ始めていた。


19日 3時からパソコンに向かう。早朝自宅を出て熊谷へ。いつもより電車内は若者で混んでいた。Σ_{(k,n)=1}k(m)関連の計算を続ける。昨日に続き,10月14日のeラーニング研究会のプログラムが残り1題を残すだけとなった。14時過ぎより2年H氏と数学自主ゼミの打合せ。雑談中,ボクの好きな球団が同じだということが判明。珍しい・・・。H氏のお父さんの影響らしい。音楽のご両親の世代の音楽を好んで聴いているとのことだった。14時過ぎより学部コンピュータ室で行っていた3年自主ゼミのほうへ。17時半に終了。


20日 0時過ぎから研究室でパソコンに向かう。2時から3時まで仮眠。再びパソコンに向かう。6時半過ぎ,熊谷市内へ所用で出かける。8時前に研究室に戻る。11時より熊谷キャンパスでのオープンキャンパス業務。15時過ぎに終了。東大のオープンキャンパスは2日間で2万人参加したそうだ。


21日 0時から研究室で雑務。2時から1時間半ほど仮眠。IIARSの論文誌第2号投稿締切日。私立上位大学の志願者寡占が進んでいるとのことだ。38位の武蔵野大学は20年ほど前は仏教系大学で文学部だけだった。それが,工学部,薬学部,看護学部,・・・と9学部+通信教育を揃え,いつのまにか同じ仏教系の立正大をはるかに凌駕する総合大学となっている。何をか況や・・・。情けなくなる・・・。この20数年間,立正はどのようなビジョンを描いていたのだろうか。失われた20数年間だ。大学として(今もそうなのかもしれないけど,)KYだ(った)と言われても仕方がない。朝,3年ゼミ長M氏より3年自主ゼミ第3回目を今週木曜に行うと連絡が入る。F氏が北海道登山行で研究室不在なので,研究室雑務を孤独にこなす・・・。昼前後,eラーニング研究会の件で,学内外との相互連絡やり取りが続く。15時より,白木洋平准教授によるArcMapミニミニ個人講座を20分ほど受講。事前学修をしていたので,ナンとなく独り立ちは大丈夫かも。その後,学部コンピュータ室夏期定期更新作業を担当している青木和昭助教+宍戸氏にMaple2017への更新作業を確認。夕方,後藤研に貸し出していたピクニックテーブルが新品に変身して戻ってきた。謝謝。


22日 2時より研究室で雑務。今日もeラーニング研究会のチラシ校正の件で学内外でやりとり。某先生(@ris.ac.jp)によるとその先生からの添付ファイル付きメールが不達だった。二度目に届いた添付ファイルは開けなかった。結局,直接USBでもらった。メールシステム(MailTap)がワルさしたんだろうか・・・。午後,石松前学生部長が来室。四方山話。その後,H社T氏が来室。依頼していた件の打合せ。その後,計算進まず。17時半,1週間の北海道登山行から帰熊したF氏が来室。お土産・あずき雪を頂く。謝謝。F氏と卒論,IIARS発表,AXIES発表,来週のRIMS出張の件等,当面のF氏のスケジュールについて簡単な打合せして,F氏は帰宅。


23日 処暑。2時過ぎから研究室で雑務。7時前,熊谷市内に所用で出かける.8時前には大学へ戻り,今年度3年ゼミ研究用ArcMap/Catalog利用資料を作成。終了後,学内郵便局,学部事務室,情報システム課と寄って帰室。亡き高校時代の友人Y氏のご母堂よりクール便が届いた。


24日 亡妹の誕生日。2時45分から研究室で雑務。11月に実施される統計検定の案内が届く。現在のところ1名受験希望者がいる・・・。5名以上いないと団体受験は無理なんだけど・・・。後1ヶ月ほど猶予がある。九州工業大・林戦士絵より「教育フォーラム2017」の案内が届く。立正大でのeラーニング研究会の前日だ・・・。後藤四郎著「可換環論の勘どころ」(共立出版)を一通り眺める。学生時代にはとりあえずこんな書籍も読みたかった・・・。あの頃は,難解な永田雅宜著「可換環論」や「Local Rings」,成田正雄著「イデアル論入門」,松村英之著「Commutative Algebra」くらいしかなく,論文を読んで[学習するしかなかった。昔には戻れない・・・。午後,青木和昭助教が学部コンピュータ室のMaple2017のアクティベーションをうまく対応してくれた。謝謝。14時から学部コンピュータ室で3年自主ゼミ。


25日 1時半から研究室で雑務を始める。今日は川柳の日ということだ。8時すぎ,4年ゼミ生/Y氏より卒論の件で連絡が入り,明日進捗状況の確認等をすることに。昼前,4年ゼミ生F氏より,来週のRIMS研究出張の件で連絡が入る。昼過ぎ,直接は関係なかったけど,国内で大規模ネット障害が生じたらしい。1年前のデータだと現状だとネットユーザが34億なのでネット1経路当たり平均5400ユーザ。その経路数65万のうち約1割について某社が影響を与えたということだから相当なユーザ数・・・。午後,学部事務室へ出かけた際,学部コンピュータ室の話題が出て,M事務長とI氏と少しばかりご相談。その後,情報システム課へ。静かだった。ネットで「同期の東大生が初めて女の子とデートしたときに共通の話題がなく,『ま,いうて複素関数なら一般人でもわかるやろ』ということでディズニーのアトラクションの待ち時間にずっと留数定理の話をしてたらしい。−−−では何の話題なら正解だったのか」というのがあって,書き込みがいくつかあった・・・。書き込みには『ディズニーに行った場合,東大生:複素関数論の講義を始める,東工大生:そもそもディズニーに行かない,理科大生:並びながらレポートを書く,早稲田:途中で泥酔して退場,京大生:USJとディズニーの区別がつかない,ってな感じなのでノリよく付き合ってくれる上智大生はプレシャス』等もあった。それをFBで流したら,数件反応があった。皆,数学科出身の方,もしくは数学科在籍の子女をおもちの方だった。因みに,学生時代,複素関数論を受講したのは2年(演習)・3年(講義)次だったな。先生は森本光生先生や英語で板書し,配布プリントも英語だった南雲道夫大先生だった。学部コンピュータ室で,教務補助員・宍戸氏と数件打合せと確認。


26日 1時過ぎより研究室で雑務を始める。4時20分,地震で研究室が揺れる。4年ゼミ生Y氏は来室予定が延期となった。京大院・林晋教授の「日本のAIは本物か?」という講演資料を読んでみた。教育シーンでも−既に政府や官庁のフィルター越しにオリジナルとは程遠い各種制度が導入されて−同様の経験をしているが,AIでも同じようだ。皆が薄々感じてはいるものの,米国の現場とボクらのとらえるそれら(米国でのFDやSAや・・・,果てはAI等あまりにも違いすぎとらえ方等)が−悲しいかな−あまりにも違いすぎる・・・。竹内純子氏がNHKの「ニュース深読み」に出演されてたということだ。どんな話をされたんだろう。


27日 気象予報士試験日。学科の学生も何人か受験するだろう。0時半より研究室で雑務。終日学部コンピュータ室と往来しながら計算。昼前,地震有り。研究室が揺れた。夜,急遽訃報を受けて帰省することになった4年ゼミ生F氏と熊谷駅ビル内の鉄八で会い,夕食を摂りながら来週のスケジュール調整といくつかの学会発表論文の下打合せ+使えるかもしれないMCMC×ベイズ統計の話+STEMプラットフォーム・Mapleについてのお話。90分ほどで研究室へ戻る。


28日 2時半から雑務@研究室。Euler関数に関するある計算している間に85年近く未解決だというLehmer's tortient problemに辿り着き,この問題を考えてみた。簡単に解けた・・・ということはボクの解答のどこかに間違いがある・・・ということだ・・・。それに気付けてない自分が情けない・・・。8時前に大学を出て,新幹線車内で整数計算をしながら帰京。実家経由で品川校舎へ。10時過ぎより10時半までEP委員会。その後11時半まで,情報システム課で雑務。11時半から再びEP委員会。14時に終了。終了後,15時半まで情報システム課で雑務をこなす。課内のミーティングルームは満員御礼だった。そして,仕事に没頭している友永図書館長を横目に帰宅。


29日 0時過ぎより1時半までパソコンに向かう。体調いまひとつにより,1時間仮眠をとり2時半過ぎから再びパソコンに向かう。4時過ぎ,地下1階のごみ集積所にゴミ等を持っていって部屋に上がろうとしてドアのロックを外し振り向いたら朝帰りらしき住人が気配なくたっていたのでビックリ・・・。気まずく,それぞれ別々のエレベータで部屋へ戻る。5時半前に自宅を出て熊谷へ向かう。午前中eラーニング研究会のチラシの件で連絡が入る。NDP社の責了ということで・・・。今年も12月のAXIES年次大会に地球環境科学部でも参加するという話を後藤教授より伺った。元々は文科省主導で始まったAXIES。本来なら立正大学としてブースを出すべきだと思う。10万円ほどのお金をケチるような考え方では,評価点数がいつまでたっても合格しないのは当然かも。夕方,2時間ほど仮眠して23時過ぎから研究室で雑務。ゼミ4年・F氏から明日の件で連絡が入る。


30日 そういえば先日,久しぶりに航空チケットを予約しようとしたらなかなかつながりにくく,途中まで進んで再び逆戻り・・・。計100回以上はクリックした。めったに国内便は予約しないけど,こういうことはよくあるのだろうか。結果,同じ便を二重に予約してたことになった。1日後同社よりお詫びメールが届いていたけど,あのような場合,システム上の対処の仕方ってもう少し考えた方がいいのでは。ある便を検索し,往便を予約し,復便を予約しようとしたら「システム混雑でしばらくお待ちください」。で,前画面に戻ると,再び往便の予約メニューとなり・・。こんなことが,予約,購入も手続きごとに繰り返されて,うんざりした。で,最終画面にやっと辿り着いたと思ったら,二重予約してたことになっていた。おいおい。午前研究室を出て京都へ向かう。12時に帰省先から向かってきた4年ゼミ生F氏と京都駅で待ち合わせをして,一緒に京大RIMSへ。13時からの「数学ソフトウェアとその効果的教育利用に関する研究」が始まる。サイバネット社・K氏も見えていた。終了後,大阪へ向い,TG大学・F教授とF氏とで美々卯・本店にて鱧鍋。美々卯の夜のメニューは種類しかなかった。そうしたのだそうだ。アラカルトも無くなっていた。もちろん,賑わいそばも。心配になってお店の方に伺うと,昼は以前通りのメニューで,17時以降は・・・ということだった。ホンの少しだけビールを頂く。90分ほどで食事は終わり,F先生の案内でANAクラウンプラザホテルザ・ライブライーバーへ。40分ほどでお開き。京都へ戻り,ダイワロイネットホテル四条烏丸泊。


31日 RIMSでの研究集会2日目。久しぶりに大島先生のご尊顔を拝した。昼食はボクは弁当。F氏は京大生協北部食堂へ。立正の学食と比較して若干羨ましい・・とのご感想。そもそも比較してはいかん・・・,比較すべきでない。夕方,研究集会終了後の懇親会は遠慮して,八起庵に出かけ,鶏会席を頂く。90分ほどでお店を出,ホテルへ戻り,サッカー観戦。よかったよかった。