2008年 5月  and the world is like an apple ... spinning silently in space ... like the circles that you find ... in the windmills of your mind ...

 1日 朝,大崎校舎情報メディアセンターへ。1・2時限と遠隔で授業。カードアンケートのデータ整理。まだ終わらない・・・。その後,学内FD講演会の件で連絡が入る。夕方,新橋・美々卯でC仲間のH氏+K氏+T氏等と会う。帰宅後,情報メディアセンターに派遣で見えているI氏が作成した立正大学用LaTeX統合環境インストールキットの確認。これで各先生方に安心してLaTeX環境を配布できます・・・。



 2日 朝8時半,大崎校舎情報メディアセンターへ。学内FD講演会の件でいくつか連絡。11時より,JPCATS副会長&論文誌編集委員長の千葉商科大学上山俊幸教授とともに論文誌編集委員会作業。12時半に終了。その後,政策広報課より講演会資料を受け取って,私学会館・アルカディア市ヶ谷へ出かけ,学内FD講演会のご講演依頼でD大学教授にお会いする。先ほどまで,私情協の委員会で委員長である山崎和海副学長とお会いしてたということだった。T先生との打合せを終えて,上山先生とともにニッセイエブロへ出かけ,S課長にお会いして論文誌印刷の件で打合せ。で,上山先生とともに新橋・美々卯へ出かける。しばらくして,四谷の土木学会での委員会に出席していた中村洋介助教が見える。そして,千葉商科大学宮田大輔専任講師が見え,さらにしばらくしてNDP大平麗子氏も。


 3日 雨で始まった連休。新橋での2度の所用で自宅を出入りしながら原稿を書きながら過ごす。本学元教授で詩人の嶋岡晨先生の講演情報が入る。お元気でご活躍のようだ。深夜,環境システム学科卒業OGでHP写真提供常連のO氏より久しぶりにメールとともに写真が届く。


 4日 HP表紙を更新。読書と原稿に向うことを交互しながら一日を過ごす。読書しながらいろんなことを考えた・・・。自分がはたして学問を真に教えているのかどうかということはさておいて,少なくとも日本社会においての大学はそのような役割を負っているのだと思う。礼記の学記に『教学相長ず』という言葉があるように大学で教えながら専門分野でも人間としてでも学ぶことは数多い。今日久しぶりに読み始めた本には次のような一節があった。『・・・資格や技能や知識ならば比較的容易に我々の認識の対象となるけれども人格はなかなかそうはならない。まず我々に不純な功利的な意志や,低級な美的要求や,あるいは浅はかで薄っぺらな知的評価心があれば,十分に人を察知することはできない。・・・』。周囲の多くの先生はこうしたことと現実の間で悩んでいるのだと・・・思いつつ読み進んでゆくと,次のような小文に突き当たった・・・。『英国人の自慢の一つに次のような話がある。「人間について,とかくフランス人は何の試験に受かってどういった資格免状を有しているのかを問題にし,ドイツ人は何についての知識を有しているかを問題にし,アメリカ人は何ができるかという才を問い,英国人はいかなる人物かという本質を問題にする。・・・』。英国人の自慢はある意味当然のことなんだろう・・・。最近巷の大学によく見られる安易に安酒に酔ったような○○の安売りは決して△△にとってよくはないのだと・・・。


 5日 先日,いくつかの出版社の編集諸氏から次のような話を聞いた。既に[故人となられた数学者・Irving Kaplansky著「Commutative Rings」はあまり評価されていない・・・。数学に明るくない編集者にアメリカ数学会会長まで務めた数学者の名著を理解できることもなかろうに・・・と思いながら,Kaplansky先生が85歳当時の“How I got into commutative rings”という講演メモを読むと,やはり付値環が原点だったんだなということが理解できてナンとなく嬉しかった・・・。


 6日 ボクは所用で出かけられなかったけど,14時半より神宮球場東都大学野球1部リーグ戦・立正×青学第1戦。5時半前,青山学院大に勝ったとの報せが入る。学長をはじめ先生方も応援に駆けつけてきていたらしい。明日も連勝で勝ち点ゲットなるか。夕方のニュースワイドショーを見てて,5月3日にエド・はるみ熊谷市内の吉本銀座二丁目劇場へ営業に来ていたことを知った。今年は例年と違ったゴールデンウィークでなんだかなぁ・・・ってカンジで終わりそう・・・。東京工業大学名誉教授で本学元教授・吉田夏彦先生の卒寿お祝いの会の案内が届く。明日から勤務なので早めに就寝。


 7日 深夜0時頃起床して仕事を始める。途中テレビをつけるとWOWOW高杉良原作の映画「不撓不屈」が流れていたので横目で見ながら仕事を続ける。内容は実在の人物・飯塚毅博士のものだった。飯塚博士のことを調べると15歳のときに立正大学・片山随英教授に出会って心身が鍛えられたという話が出ていた。興味をもって片山教授のことを調べたけれど,昭和3年4月当時,専門部に天台学の講師として片山英岳先生という人がいて,昭和8年10月当時,専門部に天台学担当として片山随英教授が在職されていたところまでつかめた・・・。多分,片山英岳先生も片山随英先生も同じ人物なんだろうな・・・。飯塚博士は立正大学にお見えになったことはあるんだろうか・・・・。また,お招きしたことはあったんだろうか・・・。また,先日・・・ある事件の特集をしていたので,その裁判を冤罪として被告を救う会の発起人のことを調べてたら,小説家である発起人の娘さんが立正大学中退の女優・森川千恵子氏であることもわかった・・・。結構あるんだね・・・縁ゆかりを調べてゆくと・・・。朝,5時半前自宅を出て,熊谷に向かう。定刻の7時半に研究室到着。1時限目の授業を終え直ぐに10時半過ぎより学科会議。昼休みをとりませんか?という意見も出たけど結局昼休みなしで14時に終了。3時間半かかった。研究室に戻るとメールがたくさん届いてた。1月に実施された立正大学芝浦工業大学とのVR遠隔授業の様子ソリッドレイ研究所のHPで公開された・・・と連絡が入る。メールをいくつか返して,5時限目の大学院オムニバス科目「地球環境科学総論」の配付資料準備。途中,野球部がさよなら勝ちで連勝,勝ち点1を上げたことを知る。やったネ。これで1部2位に上昇。6時過ぎよりオムニバス講義。フラクタルとカオスを気象系絡みで話して定刻に終了。熊谷駅までタクシーに乗ると,運転手のMさんが「今日は暑かったですね。今からこんなだと夏はどうなるんでしょうかねぇ・・・」。ツムアインホルンのカウンタでシュヴァルツ・ビールとヴァイス・ビールを飲んで帰宅。隣のグループは日経新聞の方々だった・・・。


 8日 午前1時45分頃地震。結構長く揺れたので,これは危ないかな・・・と感じて,外に出ても恥ずかしくないよう直ぐ着替えた・・・。収まったので,再び寝巻きに着替える・・・。朝8時前,大崎校舎情報メディアセンターへ。午前中は大崎−熊谷遠隔で授業。昼,先日高校時代によく一緒に遊んだ仲間・イオン東京本社・公文節男人事企画部長)が日経新聞に出ていたというので,学術情報サービス課・Y課員にお願いして調べてもらう。5日の11面に出ていた・・・。午後,稟議起案1本確認の後,図書館システムの件でS課員+M課員より説明を受ける。終了後,ゲーム学会理事で大阪電気通信大学長江勝也教授の訃報が届く。中国・江南大学での講義終了後倒れられたそうだ・・・。ボクはいつも笑顔だった長江先生しか知らない。ご冥福をお祈りいたします。所用を済ませ帰宅。そのまま眠りに就く。目が覚めると21時前だった。携帯にも気づかなかった・・・。携帯メールに1本返事して・・・再びいつの間にか眠ってしまう・・・。


 9日 1時に起きる。再び携帯に昨夜の返信メールの返信が入ってた。時刻を見るとボクが送信してから20分後だった。ということは昨晩21時前に目が覚めてから20分以内に再び深い眠りに就いていたということだ・・・。3時過ぎてから,某局の近未来予報 ツギクルの「東京でブレイクするご当地グルメ」は・・・行田フライと予報していた。朝,実家Aに寄ってから,大崎校舎情報メディアセンターへ。家を出たところから,共稼ぎの若い夫婦が手を繋いで神谷町の駅まで歩いてた・・・。同伴出勤・・・?。片時も手を離さなかった・・・。お互いにライバル視して手を強引に繋いでたのかな・・・。でも,家の中でも常時手を繋いでるわけでもないだろうに・・・。人前だけでしてるのか・・・?11時,ゼミ生で大崎校舎の近くに住んでいる崎田祐貴氏が見え,来週の上海セミナーについて資料とともに説明。


10日 10時頃,大崎校舎情報メディアセンターへ。先日,センターで申請提出検討のあった某研究補助金の案をいくつか検討。13時前より,千葉商科大学上山俊幸教授&同・宮田大輔専任講師とJPCATS・総会&役員会開催についての準備。終了後,新橋・美々卯へ出かける。


11日 母の日。夕方,京橋・美々卯へ出かけ,A社O氏と会う。5月6日(火)から今日11日(日)まで毎日出社して仕事に追われていたそうだ・・・。少しお話をしてお開き。実家Bへ寄って帰宅。


12日 早朝,熊谷校舎へ。定刻の7時半に到着。種々準備して,9時より3時限連続授業。14時半過ぎより1時間ほどKケーブルテレビやN社と打合せ。帰宅前に,ツムアインホルンをのぞくと小林亜星さんがご夫婦で事務所スタッフの方々とシュパーゲルを召し上がりに来てた。


13日 8時前,大崎校舎情報メディアセンターへ。1時限目,遠隔で授業。少し延びた・・・。いつの間にか10時半からの(熊谷−大崎遠隔利用)熊谷再開発別途工事・情報分科会に間に合わず,気づいたときには終わりかけていた・・・。で,雑用等していると,今度は12時10分からの。学部CPU小委員会へ遠隔参加催促の電話が入る。忘れてた・・・。その後,14時半過ぎより大崎−熊谷遠隔利用で教員対象のLaTeX講習会。参加していただいた先生方には,F課員より大学と同じLaTeX環境を構築できるインストールCDを配布。16時に終了。雑用を済ませた後,某件で東海大学短期大学部(高輪)狩野正信准教授に電話。結局会うことになり,高輪校舎に出かけ,新橋・美々卯へ。先日は新幹線で寝過ごして新横浜で降りるところを名古屋まで行ったそうだ。狩野先生の名古屋まで寝過ごして誤乗車スタンプを押された話はよく聞く・・・。美々卯で食べながら,狩野先生は実はシュパーゲルを食べたいとのことだったので,予約で満席のツムアインホルンに入店を試みるにはお客さんが帰り始める時刻に出かけるしかなく,少し時間をつぶしてからお店に。狩野先生にお目当てのシュパーゲルを食していただいて30分ほどで帰宅。お店のVIPルームには,聖路加病院日野原重明理事長G,フロア席には,若山弦蔵氏G,某社社長夫人G,有名政治家の姉妹G等が見えていた。お昼には,小林亜星さんと高倉健さんが見えましたよって,野田浩資オーナーシェフが高倉健のピンクの文字で印刷された名刺を見せてくれた・・・。あの高倉健の名刺がピンク色・・・。悩ましい・・・。


14日 朝,実家Aに寄ってから大崎校舎へ。1時限目,遠隔で授業。咳がひどい・・・。鼻水も・・・。13時過ぎ,山崎和海副学長に面会して某件についてのご相談。風邪薬その他を買いこんで帰宅。いつも通り水分を沢山とって寝込む。深夜になっても−新陳代謝が悪くなったのか−汗の出方が少なかったので,さらにミネラルを2リットル・・・。


15日 こういうときは夢見がよくない・・・。朝方,さらに生姜湯を飲んで只管寝る。少しずつ汗が出始める。横臥しながらすることがないので,頭の中で整数計算ばかりしていた。その中できれいな関係になりそうなものがありそうだったので,深夜起き出して実際に紙上で計算してみることに・・・。何かありそうだ・・・と思いつつ素数の小さい範囲だけ計算して予想形をあれやこれやと類推しながら眠りに就く。


16日 早朝実家Bへ。一旦自宅へ戻る。10時前,大崎校舎へ。情報メディアセンターで雑談後,10時半過ぎより清水千尋副学長と30分ほど打合せ。昼過ぎ,熊谷情報メディアセンターの石松課長が見えたので,ここんとこしばらくの進捗状況を伺う。その後,学術情報サービス課へ出かけ,佐藤課長+M課員+S課員に先日の件についてご説明。夜,ツムアインホルンレッドハット・藤田会長,今月の店内のアートフォーラムを担当している画家の桜庭春來先生,EE氏とともにシュパーゲル料理を頂く。10時半にお開き。お店には横浜FCゼネラルマネージャ・奥寺康彦氏がご家族とともに見えていた。その後,EE氏とホテルオークラ別館・カメリアに出かけて〆る


17日 朝9時前,TCAT経由で成田国際空港第2エアターミナルへ向う。ゼミ生・崎田祐貴氏,高科直氏,佐藤友紀江氏や上海での企業を紹介してくださるA社O氏+D氏,東海大学短期大学部(高輪)狩野正信准教授等とCA930で上海に向かう。到着後,日系企業チャンネル乾亘董事長の案内で宿泊先のWashingtonInnに直行。


18日 皆で上海市内・賽博数碼広場等を見学。午後風雨に見舞われ予定が少々変更・・・。


19日 朝Webメールを開くと,佐久間二郎学事部長の訃報が飛び込んできた・・・。佐久間さんが学部事務長時代・学事部長時代には色々と大変お世話になりました・・・。ご冥福をお祈りいたします。朝9時に復旦大学・日本研究中心へ。聖学院大学石部公男教授の紹介で戴暁芙教授に会い,ゼミ生や他の同行者とともに経済も含めた大学全般のお話を伺う。10時より,計算机学部の陳雁秋教授とそこの院生2名に情報教育等をヒアリング。12時前に終了し,学内の教員食堂「旦苑」で皆で会食。14時半に立派社へ。会社に着いてすぐ14時28分から3分間四川大地震被災者に対しての中国全土での黙祷が始まった。ボクらも全員黙祷。中国におけるオフショアについてのレクチャーを質問などしながら2時間ほど・・。レクチャーの冒頭で祝社長から日本の援助に対してのお礼をいただいた。17時より,ASE上海事務所にでかけ,やはりオフショア関連のお話を伺う。後になって知ったことだけど,中国での遊興的なお店は四川大地震被災者に哀悼の意を表する意味で今日から3日間営業を自粛するとのことだった。


20日 早朝,ホテルを出て,CA929で帰国。帰国後,新橋・美々卯東海大学短期大学部(高輪)狩野正信准教授と出かけ,うどんすきを食べる。その後,土木学会・委員会に出席してた中村洋介助教も加わって一緒に食べる。その後,中村先生とともにツムアインホルンに寄る。カウンタで奥村有敬氏と久しぶりにお話。上海の話もたくさん聞かせてくれた・・・。


21日 早朝熊谷へ。1時限目授業終了後,上海で4日間お世話になったマイクロバスの運転手がボクらの支払ったチャーター代金をそのまま持ち逃げして困っている・・・というメールが届いた。ボクのところまで請求が来るんだろうか・・・。その後,ここんとこしばらくの件で熊谷情報メディアセンター・石松課長と1時間半ほどお話。13時半より教授会。冒頭,先日亡くなられた佐久間二郎熊谷学事部長に対して全員で黙祷を捧げる。教授会を途中退席して,16時半に大崎校舎情報メディアセンターへ。カードアンケートの事後処理。18時より,JPCATS・総務委員会で副会長の千葉商科大学上山俊幸教授等とともに昨年度会計の内部監査作業。19時に終了。新橋・美々卯で上山先生と賑わい蕎麦を食べる。帰宅前,ツムアインホルンに寄ると,先ほどまで東海大学短期大学部(高輪)狩野正信准教授が同僚の先生と見えていたとのことだった。池内淳子さんの妹さんご夫妻も見えていた。シーメンス・元役員のKご夫妻も見えていた。また,以前五反田の某カラオケスナックで常連してた人も来てた・・・。先日の整数計算の続きをして就寝。


22日 朝8時20分頃,大崎校舎情報メディアセンターへ。1・2時限と遠隔で授業。予定していた午後のセンターの合同管理者ミーティングは中止。今日発売の週刊新潮を読んでいたら,大学茶道部後輩の作家・今野敏氏が16日に“果断 隠蔽捜査 2”で第21回山本周五郎賞を授賞していたことを知る。おめでとうございます。夜7時,新橋・美々卯で短期大学図書館協議会に出席されていた大阪国際大学総合メディアセンター長福田真規夫教授と会う。31日にも上京されるので,そのときに同僚の先生方と予約されているツムアインホルンへも下見に同行。志る角にも少しばかりご案内。


23日 早朝実家Bへ。12時前に大崎校舎情報メディアセンターへ。13時より14時10分まで山崎和海副学長との月例打合せ。帰宅前,ツムアインホルンをのぞくと,今日はVIPルームで18時過ぎから,いつも4家族で見えられる常陸宮両殿下ご夫妻,豊田章一郎ご夫妻,安田不動産顧問で安田商工教育会理事長・安田弘ご夫妻,(社)日本ビリヤード協会理事長(財)日本オペラ振興会役員・高清一郎ご夫妻が会食されるということだった。昼には池内淳子さんがスタジオ入り前にお店のサンドイッチをテイクアウトしていったそうだ。夕方の開店前だったので賄い食を一緒に頂く。謝謝。こういう日はSPが両殿下より早めに見えるので,賄い食の後,少し雑談を続けて17時過ぎに帰宅。


24日 9時半過ぎに大崎校舎情報メディアセンターへ。大崎校舎では今日明日と中国経営管理学会第8回全国大会が開催されている。「経営管理」なので,経営学部の先生方が関係しているのかなと思いきや,経済学部の苑教授が学会理事をされている関係らしかった・・・。それで,経済学部のHPをのぞいたら,スタッフ紹介,ゼミ紹介,研究科委員長メッセージ,研究所長メッセージ等,2週間ほど前からまだリニューアル中らしく未完成のままだった。13時,竹本宜弘先生,A社O氏と大崎広小路駅で待合わせして,竹本先生が時々参加されているという日本橋DENでのイタリアワインの会に初めて出かける。イタリアで修行したというシェフの料理と6種類のワインを堪能して15時過ぎにお開き。ここでは料理教室も開いているとのことだった。帰宅後,メールを開くと2年生のIさんから基本情報技術者試験に合格しましたという報せが入っていた。おめでとうございます。今回の合格者数は未発表なので,公開されている合格受験者番号を30分ほどかけてすべて数え上げてみた。すると(数え上げに自信ないけど)12960名・・・。これはここ4回の合格者数では一番低い数だった。ということは今回の受験者数も例年通りだったとすると合格率はかなり下がったのかな・・・。


25日 整数計算の実験結果を見ながら,どのように解釈すべきかで一日中悩み続ける・・・。まいった・・・。


26日 早朝,実家Bへ寄ってから熊谷駅へ向かう。1−3時限と授業。昼休みに情報メディアセンターに出かけて石松課長と話してたら結局休みをとらず3時限目へ突入。昼休みを挟んで授業をしてたら,先生なら誰でもしてること・・・。その分,夜ドカッと食べたり飲んだりするから・・・。授業終了後,帰京。新橋・美々卯中村洋介助教と蕎麦メニュー。しばらくして,上智でゼミをしていた和田秀男先生,谷口肇先生,大学教授,大学准教授が見える。その後。NDP大平麗子氏も見えて賑やかに・・・。


27日 実家Aに寄ってから,大崎校舎へ。1時限目遠隔授業。終了後,社統括部長&部長&課長の方々から本学導入システムの件でH課長&S課長とともに説明を受ける。その後,H課長と会話中にツムアインホルンの話題がでてきたので一緒にランチ&シュパーゲルを食べに出かける。今日はH課長のお誕生日なのだそうだ。で,野田浩資オーナーシェフの著した“ビールの国の贈り物”を・・・。食事後,H課長はアルカディア市ヶ谷での(社)私情協の通常総会へ。ボクはLABI新橋デジタル館などへ出かけて気になってた新製品等の実物を・・。


28日 朝8時過ぎ,大崎校舎情報メディアセンターへ。授業終了後,昨日と同様,社課長&主任の方々から導入システムの件で最終的なご説明をいただく。毎週,読んでいる週刊誌4誌“サンデー毎日”,“週刊朝日”,“週刊文春”,“週刊新潮”。サンデーと朝日は発売日は火曜日で(東京)駅売りが月曜日,文春と新潮は木曜日。月曜・火曜発売でなぜサンデー毎日なのか?って調べてたら,サンデー毎日&週刊朝日は創刊が1922年4月2日(日曜日)だった。実際,サンデーの号は日曜日(の日付)号になっていたので納得。ところが,朝日のほうは金曜日(の日付の)号。実際の創刊は2月25日(土曜日)で1ヶ月ほど旬刊後,週刊となったとされているけど,金曜日の号にしている根拠がいまいちわからなかった・・・。文科省からJPCATSへ依頼のあった件で,夕方,副会長の千葉商科大学上山俊幸教授と新橋・美々卯で会って相談。19時過ぎ,出張帰りのNDP大平氏も見える。その後,ホテルオークラ別館・カメリアに寄って21時過ぎに帰宅。


29日 雨。早朝,実家Bへ。一旦自宅へ戻り,仕事を少し済ませてから大崎校舎へ。8時頃到着。1・2時限は遠隔で授業。13時半より,大崎−熊谷遠隔利用で遠隔WG。15時より,大崎−熊谷遠隔利用でF社との月例ミーティング。16時よりやはり遠隔利用で各ベンダーさんにご出席いただいて新事務システムキックオフミーティング。17時前に終了。その後,雑用などを続け,20時過ぎに五反田・多幸安社会学科友永昌治教授&文学科・矢野教授と会う。厚揚げが美味しかった。帰宅前,ツムアインホルンに立ち寄ると,翻訳家をしている野田浩資ご夫妻のお嬢さんが見えていた。お店には今日も横浜FCゼネラルマネージャ・奥寺康彦氏がスタッフの方々と大勢で見えていた。ビール1杯だけいただいて帰宅。


30日 13時半,大崎校舎情報メディアセンターへ。石松課長より連絡のあった文科省へ提出予定の某計画書等の作成。夕方,実家B近くのミナト理容室へ出かけてすっきりしてからツムアインホルンに寄って帰宅。


31日 朝8時半,大崎校舎情報メディアセンターへ。昨日の続きで計画書案について石松課長と相談。11時より,JPCATS・副会長の千葉商科大学上山俊幸教授と役員会・総会の事前打合せ。12時半には武蔵野学院大学木川裕専任講師も見える。14時より定例役員会。15時より定例総会。終了後,役員10名ほどで新橋・美々卯に出かけ懇親会。その後,総会終了後にツムアインホルンで食事していた常任理事の大阪国際大学総合メディアセンター長福田真規夫教授と同僚の喜多野宣子講師&喜多野先生の教え子で管理栄養士の篠原真起氏とケントスで合流。喜多野先生と篠原氏は日本食育学会学術大会で見えられたそうだ。篠原氏のお姉さん2人とも立正大学社会学科卒業だと伺う。ホテルオークラ別館・カメリアで締める。