鳥羽先生が今でも宝物にしているという,旧制姫路高校の先輩・藤井智明氏からの手紙と,恩師である海洋物理学の速水頌一郎先生の手紙と言葉の一部を紹介しておきます。
藤井智明氏よりの手紙の一部より抜粋:
「もともと,高校が独特の存在,特殊な意義があるものとして自他ともに許していたものは何か。それは弊衣にあらず破帽にあらず,高歌放吟にあらず,自由な意思の自主性に立った,自立の生活なのです。いやしくも真実なるものを求め,学に志すものである以上,その主張なり,思想なりが,他人からの借物であってはならないのです。われわれは『権威ある人の言であるから正しい』と信じてはならない。校長がこう言った,博士がこう言った,大臣がこう言った,私もそう思うでは,日本は再びこの敗戦を繰り返すでしょう」
速水頌一郎先生の手紙と言葉からの一部抜粋:
○(京大から銀閣寺通まで歩きながらの)お話
「教授たちの部屋へ行くと,みんな書棚にたくさんの本を並べている。しかし,それらの本や論文は,すべて創造活動の結果としての,いわば『かす』のようなものだ。価値があるのはだれもが想像していなかった新しい真理を発見したり,新しい考え方をつくったりする,創造活動そのものなのだ。一度創造の喜びを知った者にとっては,それ以外の喜びは赤ん坊の喜びのようなものだ。あなたも早く創造の喜びを知る人になってほしい」
○お見舞いの手紙より
「学生生活だけが人生であるわけでもなく,種々の環境に身を処することによって未知の世界を理解し,人間的生活内容を豊富にすることができるのだろうと思います」
「生きるということは矛盾を含むものであり,生々発展の世界を論理的に完結した閉鎖系によって表現することはできません。貴君がこの得がたい静養の期間において,生命の神秘を感得せられ,自己創造の光明を胸裏にともされることを期待いたします」
「自然科学の真理でさえも,その多くは大学の研究室で発見されたものではありません。自己の存在するところがすなわち研究の場であります。お元気な姿を教室において見られる日の近からん事をお祈り申上げます」