2018年 2月 ...... the night we met I knew I needed you so... and if I had the chance I'd never let you go ... so won't you say you love me I'll make you so proud of me .. ...  2 3 4 5



 1日 1時過ぎから研究室で雑務。CSV(Comma-Separated Values)の在り方についてcommaが色々と不満の対象となっていたと思っていたら,Character-Separated Values と説明されるようになっちた。ウマいなぁ・・・。京大のグループが,従来の説を覆す「人の祖先はいきなりに足歩行」だったという説を発表した。ボクは個人的には***説を受け入れているので,或る意味当たり前だという気もする。W先生がブログで回想していた日高敏隆博士はどう考えていたのだろう。13時半より,品川−熊谷遠隔で情報SA事後研修会。池上副学長の冒頭の挨拶に続いて,ボクのほうからSA制度の説明をし,具体的なプログラムに入る。4年・ゼミ生F氏が講師になって昨冬ノAXIES@広島での発表「SAから眺めたSA制度の課題」を再講演。続いてKJ法のような手法で「SAがもっと活躍するためにはどうすればよいか」についてグループディスカッションと発表。次からキャンパスごとに事例発表。情報システム課からのコメント。ボクは途中退席し研究室へ戻ったけど,結構時間が押したようだった。活発な議論に終始したことはいいことだ・・・。残念なのは今回も学事課の参加が(忙しくしてるとのことで)無かったこと。研究室に戻って,しばらくして,2年・M氏が地球にやさしい会の件で来室。敢闘賞や福顧問の件。続いて,2年・S氏が取り寄せていた生気象関連の本の件。夕方,研究室へ寄ってもらったF氏に,入ゼミ生の件での依頼をし,雪の中F氏は帰宅の途につく。また雪か・・・。今日は血圧が100を切って90くらい。原因不明。根基の導来対数値の評価がなかなかキツい・・・。京大の入試ミス。指摘された問題について「受験の問題として良問ではないかと思う」「言いがかりに近いのではないか?」という擁護論が出始めた中,結局17人が追加合格らしい。「埼玉県熊谷市でおすすめ!人気のラーメン店5選」が出てた。かってゼミ生が長くバイトしていたスミレ食堂がかろうじて5位に入ってた・・・。S大学S教授の呟き「(今どきの大学生は)授業時間教室にいるだけで評価してもらえるに慣らされている」。



 2日 2時から研究室で雑務。血圧やはり低い。塩なめるかな・・・,といっても研究室に塩はない・・・。昨日からの雪で大学も再びうっすらと雪化粧。明日からの入試に備え,入試会場となる教室棟は午後から閉鎖。K大学の学食が予告なく突然の閉鎖。例のはれの日のようだ。このK大学に限らず,学食の撤退はよく聞く話だ・・・。学食も−必ずしもそうではないが−大型キャンパスでなければ採算が成り立たない時代になっていいる。キャンパス人口が少なくても近隣住民にもオープンしていればいいのだろうけど,現状の熊谷キャンパスだと難しいな・・・。大学前のコンビニが退散してゆく立地だから・・・。駅近辺からわざわざ大学の学食まd食べにくる人はいないだろう。.。.バス代を無料にすれば別だろうけど・・・。奥村晴彦氏によれば新井紀子氏の新著「AI vs. 教科書が読めない子どもたち」の中で『一方,教育学部や工学部の教員の大半は入試の作問や採点や教養教育に携わらないのが普通です』と書いていたらしい(まだ,届いていないので読んでない)。奥村氏も,所属大学ではそんなことないと呟いていたが,これは新井氏の誤解ではないのだろうか・・・。少なくとも私大ではありえないだろう・・・。


 3日 2月入試第1日目。節分。2時半から研究室で雑務。或る人(nothingbutajoke)がこんなことを呟いていた。「学生さんの意見で「教養教育意味ない」ってのが複数。でもね二十歳やそこらで役に立つと分かることだけ学んでたら,10年もすれば頭打ちだよ。「35歳の壁」を越えてその先に進むには,色んな引き出しが必要なんだ。」。専門も教養あっての専門だからね。今の大学で教養科目が少ないのは致命的。多分数十年前の大学生は大学で教養をノルマ的にも多く学んでいたし,自らも貪欲に教養を身につけようとしていたと思う。早朝始発のバスで大学を出て,帰京。実家経由で品川校舎へ。8時過ぎに到着。情報システム課へ入るとロックがかかっていたので,防災センターへ戻って鍵を・・・と引き返そうとしたらM課員が鍵を持参で見えた。しばらく雑務。その後,岩場部長といくつか打合せ&相談。10時から品川課員の業務改善報告会があるとのことだったけど,丁度,その時間から入試業務開始だったので,資料だけ後で・・・。で,学内での入試業務に入る。終了後,情報システム課へ戻り,部長といくつかお報告と相談。急遽,午前の業務改善報告会の一部(3課員)のヒアリング40分ほど。具体的な事務フローを作成するようお話しした。また,可能な限りICT化を図るようにとも・・。残りの2課員は明日以降にして帰宅。入試期間中地方順次出張で忙し某課長が「ももクロ のニッポン万歳!」を聴いてテンションを上げていると呟いていた。確かにテンション上がるぜ。特に東北・・・。


 4日 2月入試第2日目。立春。4時からパソコンに向かう。雑務処理ご,品川校舎へ。7時半前に情報システム課着。岩場部長が見えてから,情報セキュリティ研修の件を確認。その後,入試業務へ。業務を終え,友永図書館長と役職室へ一旦戻ってから熊谷へ戻る。大学へ到着した頃には,もう熊谷校舎での入試は終了していた。新井紀子氏の「教育のための科学研究所」,しばらく注視。


 5日 2月入試第3日目。2時前からパソコン@研究室に向かう。研究室書架の奥の方に埋もれていた「柔らかい頭と強い腕(河田敬義追想集)」を見つけ−寄稿していた自分のところも含め−しばし読み耽る。永田雅宜先生も寄稿されていた・・・。午前の所用を済ませてから,午後品川校舎へ向かう。情報システム課でしばらく待機。しばらくして岩場部長と峰内課長から,「熊谷でネットワーク障害が発生し。一時全構内で不通となった。原因は3号館のエッジスイッチでのループ発生」と報告が入る。今日は2階のコンピュータ室は閉鎖しているので,考えられるのは1・3・4階のどこかの研究室での単純な接続環境設定ミス。その後,対応してくれている小林課員と連絡やりとり。その後,入試業務に入り,終了後,19時過ぎに大学を出る。熊谷の研究室へ戻ることに。電車の接続がよく,21時過ぎに研究室到着。


 6日 4時からパソコン@研究室に向かう。年賀状のやり取りはあるものの20年来直接連絡をもらうことのなかった数学科時代の友人からemail。元気そうだ。10時前,昨日のネットワーク障害発生の件で情報システム課へ。その後,小林課員の3号館コンピュータ室での作業確認。青木助教と白木准教授に現状報告。その後,一旦帰京。都内でランチを摂っていた4年・F氏+2年・A氏+2年・H氏とカメリアで待ち合わせをし喫茶。2時間ほど都内に滞在して帰熊。17時前には研究室へ戻る。京大の生命科学研究科の研究グループが「可聴域の音に対して細胞レベルで遺伝子応答が起こる」ことを示したとのことだ。細胞も音を聴いているのか・・・。


 7日 2時から研究室で雑務。7時前に清掃のスタッフの方々が現れ,年に1度の廊下ワックス掛け。しばらく(約3時間)は研究室から廊下に出られなくなる。10時前に2年・M氏が地球にやさしい会の件で来室。とりあえず副顧問の届け出書類を作成して,学生課へ届け出に出かけて貰う。10時半過ぎより学科会議。13時10分終了。14時,T社・W取締役とA社・H部長が来室。W取締役は中高大・社会人と野球を続けられたそうだ。会社の野球部には立正大野球部出身者もいて,現在営業部長をされている方もいる・・・というお話を伺った。しばらく色々とお話。お話を終え,H部長は旧知の東川学事部長や菅野情報システム課長にご挨拶に出かけられるということで,4年・F氏が当該部署までご案内。遠方までご足労頂ありがとうございました。終了後,事務室へ。藤村書店からは取り寄せ不能だった絶版書籍。Amazonから早速沢山届いてた。その後,H社・T氏が来室。研究室の消耗品納品の件。夕方,本日付で地球にやさしい会の副顧問になって頂いた李盛源先生と2年・M氏とでサークル運営の件等でしばらく打合せ。打合せが延びたせいで,今日が某件出欠についての学生生活課提出締切だったことに気付き,課に電話して明日まで待って頂くことに。謝謝。その後,20時過ぎまで,M氏からの連関係数/相関比の質問や卒業研究の相談+F氏の校正作業にお付き合い。その後2人は帰宅。F氏は明日・明後日とスキーに出かけるそうだ,お気を付けて。21時過ぎ,渡来先生が昼間の学科会議の(学長室からの(教務事項の)諮問の件)取りまとめで来室。ボクなりの意見を伝えた。お疲れ様です。


 8日 2時過ぎから研究室で雑務。昨日届いた書籍数冊をいくつか眺めてみる。午後,情報システム課へ出かけ,中里課員から入学前教育用に準備しているWebClass利用の注意点を伺う。その後,所用で熊谷市内へ出かける。新井紀子氏が「最近,数学の最先端成果は国際論文誌に掲載されずに単にarxiv公開される傾向。他の研究者が査読を試みると5年以上かかることはざら。人間の脳はハードとしてもう最先端数学は理解する限界に近づきつつあるのかも。そのことを誰よりも実感していただろうVoevodskyは51歳で昨年亡くなったし。」とツイートしていた。最近というより。ここ20年ほど前からだろう。有名なところでは,ポアンカレ予想を証明したペレルマン博士やabc予想を解決したとされる望月新一教授もジャーナルに投稿することなくまずWeb上で論文を公開した。その後,世界中の数学者が(或る意味の)査読を試み「正しい」ことを認めた・・・。特に数学に限っては,少し難解なものになれば査読に数年はかかるし,望月論文のように5年(以上?)かかるものもある。すでに,数学論文はジャーナルに投稿して査読を受けたものという概念は既に崩れつつある。数学の論文では「査読」=「主張定理の証明が正しい」ことなので,それ以外の理由で返戻はあり得ない。たまにジャーナルの分野とは異なる投稿等は行け付けをしないということなろうが,解釈の違い云々で返戻されることはない。そういう意味で数学の論文の投稿は気が楽であるともいえる。正しくありさえすればいいのだから。一方で(側聞だが)昔多かったのは(計算の多い)数学論文は結構査読が難しいようで・・・時々,博士論文受理後/ジャーナル掲載後に計算ミスが見つかって定理が意味をなさなかったこともあると聞く。博士論文の場合はその後どのようになったかは知らないが,噂に上がる先生等はそのまま博士号を取得したままになっている・・???。


 9日 故・永田雅宜先生のお誕生日。3時半から研究室で雑務。最近は三高より三優・・・らしい。最近は根気のいる整数計算が長続きしない。困ったもんだ。3月18日の研究会での発表予定件数が10件を超えた。もっと増えないだろうか・・・。IIARSでもアウトリーチを積極的に始めるかな・・。


10日 大学院入試。2時から研究室で雑務。13時半から入学前有志会で来学された学科入学予定者対象にWebClassでの入学前学習用リメディアル教材(マイステップゼミ数学)の操作方法の紹介。一旦帰室後,臨時研究科委員会に遅れて出席。終了後,来週出張中の再試験実施の件で地理学科・S先生と簡単な打合せ。先日S先生の誕生日だった。ボクの知り合いで「S」という姓の方は皆2月生まれだ・・・。


11日 建国記念日。1時過ぎから研究室で雑務。最近はノートに書きながらの計算よりホワイトボードに向かって板書しながらの計算の方がアタマが働いているような気がする。午後,4年・F氏がゼミ生用にとスキーのお土産持参で来室。ボクは小谷村の蜂蜜を頂いた。謝謝。来週の京大RIMS出張の打合せと自身の当面の印刷校正を済ませて帰っていった。


12日 振替休日。1時より研究室で雑務。午後,地球にやさしい会の副顧問・李盛源先生来室。会の某申請書の件で打合せ。夕方,A大学Z教授と「S先生を偲ぶ会」の件で打合せ。


13日 1時から研究室で雑務。3号館はこの時間帯も賑やかだった。午前の所用を済ませ京都へ向かう。遅くなったので,RIMSでの本日の研究集会出席はあきらめ,先に上洛し,RIMSでの研究集会に出席していたゼミ4年・F氏から概要を伺う。チェックイン四条烏丸泊。


14日 2時から部屋で雑務。ホテル前で4年・F氏と待ち合わせてからRIMSへ。久しぶりにお見かけする一松信・大先生もすでに来場されていた。現・城西大・大島利雄先生(東大名誉教授)の講演の時には独り言のようにしきりにボヤかれていた・・・。昨秋亡くなられた守谷両時先生は一松大先生の最後のお弟子さんだった。午後の討論が始まる前,統計学の大御所・松原望先生が見えられ。飛び入りで20分ほどスピーチをされた。先日のセンター入試(数学)の講評だった。酷評だった・・・。また、高校で教えられている確率は(極端に)程度が低いことも指摘されていた・・・・。一方,午前のMAM(数学月間)の話も興味を引いた。アメリカではレーガン大統領宣言によって1986年4月17日からNational Mathematics Awareness Week(昨年から,Mathematics and Statistics Awareness Month)が始まり,以降毎年テーマを決めて数学と社会の関係性について啓発されている。こういったことを初めて進めたレーガン大統領の見識をボクは評価する。一方日本では政府主導のそのような雰囲気は未だにない。民間の一組織が進めている。残念なことに日本数学会も協力はされていない。また,アメリカでは1990年代からSTEM教育(当時はSMET)の重要性が認識され,2006年1月31日にはブッシュ大統領が一般教書演説の中で「米国競争力イニシアティブ」を発表し,STEM教育支援を強化する政策プログラムをいくつか発表している。よくいわれることだけど,欧米ではそもそも,数学は全学生が学ぶべきものであって日本のようなガラパゴス「文系理系」の発想をもちあわせていないことにも言及された。研究集会終了後,祇園店で冷やし天そばを食べてホテルへ戻る。お店の外装工事中のためとかで,ワンドリンクサービスがあった。チェックイン四条烏丸泊。


15日 2時から部屋で雑務等。京都市内で所要を済ませてからRIMSへ。松原先生は早めに帰られたようだった。今日は統計数理研究所北川源四郎前所長や樋口知之現所長のご講演があってボクなりに勉強になった。データサイエンティスト輩出は目下の急務だ・・・。大学はその整備から遅れているというより,そもそも気づいていないことが情けない・・・・。いち早く気づいた滋賀大学は今年度データサイエンス学部を立ち上げ,既に,北大,東大,京大,阪大,九大と並びDS(データサイエンス)教育拠点大学となった。情けないったらありゃしない・・・。終了後,入ゼミ予定者の2年・A氏が京都に見えていたので,4年・F氏と3人で京都駅前の北欧料理のバイキングで食事。A氏は五社巡りをしているとのことだった。チェックイン四条烏丸泊。


16日 2時半から部屋で雑務。9時前にRIMSへ。午後後半の討論には参加せず帰京。そのまま熊谷へ。白木洋平准教授が院に合格された4年・N氏と来室。来年度の件でご挨拶を受ける。おめでとうございました。教務補助員の松井氏より両口屋是清の和菓子を頂く。謝謝。


17日 1時からパソコンに向かう。月曜に福島大・中村洋介准教授が来学されると連絡が入る。渡来靖准教授との研究打合せらしい。午後,帰京。実家へ。その後,最近転居したばかりの実家近くのセイワ理容室へ。帰宅すると,1期卒業生のY氏(旧姓・M氏)からお手紙が届いていた。援農ボランティアを募集しているとのことだった。Y氏のご実家のマヨネーズは時々頂いております。


18日 3時からパソコンに向かう。早朝自宅を出て熊谷へ。7時半過ぎ研究室着。ネット上で「フィールズ賞級「ABC予想」を証明した日本人天才数学者は廃人になるのか」と,生存している人を名指しで「廃人」という言葉を用いての見出しはどうなんだろうか・・・。20代にして輝かしい業績をあげ,フィールズ賞を受賞したアラン=ベイカー教授が先日亡くなられたが,藤原正彦氏が「週刊新潮」先週号にベイカー教授の思い出を綴られていた。寂っし寂しさが込み上げてきた・・・。


19日 1時から研究室で雑務。10時過ぎ,出張時,自分宛に送った宅配物等いくつかの受取り等。午後にも届き,事務室との往復で疲れた。夕方遅く,福島大・中村洋介准教授が来室,しばらく,4年・F氏+須田研・2年S氏等と一緒に雑談。中村先生は以前に比べ少々痩せられた感が・・・。その後,皆で,熊谷駅ビルの・鉄八へ出かけ一緒に食事。途中から,鉄板メンバー・渡来靖准教授+白木洋平准教授も合流。ボクは一足お先に大学へ戻る。


20日 1時から研究室で雑務。整数計算少々。午後,品川校舎へ。16時前に到着。到着して直ぐに定例管理者ミーティング。終了後,部課長d打合せがあったので,センター長室へ戻り,夜,開催される部長歓送会のために時間潰しをしていたら,「歓送会はなくなってランチ会になった」ということを聞いたので熊谷へ戻ることに。ところが,新幹線乗車中,歓送会は開催されていることを知らされ−先ほどの情報は何だったのかと・・・−少々戸惑う。このまま戻っても遅すぎるので,そのまま熊谷校舎へ向かう。研究室で雑務をこなしていると,4年・F氏が入職手続き等の件で来室。先ほどまで,都内で諸手続きをしていたのだそうだ。F氏は所用を済ませ,白木研究室のコンパへ。数学科時代の同級生・Y氏より某家電を寄付してくれると連絡が。研究室で頂くことに。謝謝。


21日 2月中期入試。今回は担当業務を外れる。4時より研究室で雑務。ゼミ卒業生の高科直氏の大学院での指導教官・巌佐庸九州大学教授の退官記念シンポジウム&パーティが開催された。高科氏も前列右から2番目で記念写真に収まっていた。望月新一教授の宇宙際タイヒミューラー理論のサーベイ最新WIKIが出来ていた。眺めるだけで理解することはできないだろうけど,一応確認だけ・・・。


22日 2時処理研究室で雑務。昼過ぎ,情報システム課へ所用で出かける。13時半,コンピュータ室アルバイトの円dえT氏が来学。事務室で手続きの後,コンピュータ室へ案内。宍戸氏から業務内容を説明して頂く。14時半,石松前学生部長が来室。野球部の高松合宿に出かけられた時のお土産をい沢山(「こんぴら銘菓」「半生うどん」「栗林のくり小栗」「しょうゆ豆」)頂く。謝謝。しばらく四方山話。入ゼミ予定の2年・M氏が卒業研究の相談で来室。


23日 1時よりパソコン@研究室に向かう。しばらく雑務。大学始発のバスで駅に向かい,そのまま帰京。実家経由で品川校舎へ。8時すぎ情報システム課着。10時半過ぎより第5回センター運営委員会.終了後,即熊谷へ。電車の接続がよかったので13時には研究室着。事務室へ出かけ所用を済ませ帰室。13時半,ゼミ合宿を終えたばかりのA大学Z教授が来室。友人を偲ぶ会の打合せを1時間ほど。草津温泉名物・富貴堂の温泉まんじゅうをお土産に頂く。謝謝。草津温泉の風評被害は収まりつつあるようだ・・・。Z教授と入れ違いに4年・F氏が来室。しばらくしてS大・K先生より学会の件で連絡が入る。


24日 深夜,友人よりご尊父訃報の連絡が入る。ご愁傷さまでした。お悔やみ申し上げます。1時から研究室でパソコンに向かう。友人を偲ぶ会の正式な案内が届く。


25日 0時から研究室で雑務。9時から2・3年合同のゼミ研修会。途中から4年・F氏も参加。16時に終了。途中の昼休憩ではピザーラのデリバリーで皆で昼食。夕方は,熊谷駅ビル・鉄八で簡単な打上げ。ボクは1時間弱で大学へ戻る。


26日 2時から研究室で雑務。大学始発のバスで熊谷駅へ。新幹線で帰京。実家,自宅,芝郵便局と寄って品川校舎へ。9時10分過ぎに情報システム課着。課の鍵は開錠されていた。多分,早朝の清掃の方が施錠し忘れたのだろう。10時過ぎからEP委員会.13時前に終了。大崎駅で中川清隆教授とすれ違った。これから品川校舎で大学院研究科長会議なのだと話してくれた。東京駅で所用を済ませ熊谷校舎へ。15時過ぎに研究室着。学部事務室,情報システム課,学事課で東川部長にとそれぞれで所用を済ませ研究室で雑務。研究室不在の間,4年・F氏が2年・A氏に研究室内の種々雑務の引継をしてたそうだ。謝謝。19時前,F氏+A氏とで熊谷市内に食事に出かけ,2時間ほど雑談して研究室へ戻る。


27日 2時過ぎから研究室で雑務。来年度情報SA配置の件で憂慮されることが発生したので,この件で事務室へ。阪大入試追加合格の件では学内で支援金寄付募集の(学部長連名による)案内が出ているそうだ。大学の合格者決定プロセスや補償の在り方に一石を投じるかのように様々な意見出始めている。然もありなむ。必要があってThue−Siegel−Rothの定理を復習。もっと計算しやすい不等式はないものか・・・。明日の件で数学科友人Y氏より連絡が入る。f氏が19時過ぎに急遽来室。疾風のように 現れて疾風のように 去っていった・・・。月光仮面は誰でしょう・・・。


28日 3時から研究室で雑務。10時半過ぎから学科会議,終了後,続いて大学院専攻会議。12時15分終了。13時半より臨時教授会。終了後,続けて臨時大学院研究科委員会。14時過ぎには終了。情報システム課経由で帰室後,鈴木裕一教授より数学系専門蔵書50冊ほど頂く。謝謝。15時,数学科同級生・Y氏が独り暮らしをしていたご子女(看護師)が結婚で冷蔵庫(3年弱の使用)が不要になったから・・・と研究室に寄付・・ということで,わざわざ大学までに運び入れに来てくれた・・・。謝謝。洗濯機も余ってるとのことだった・・・。1時間ほど,久しぶりの雑談で,Y氏が帰宅の途に。その後,2年・Y氏が来室。統計検定2級に合格してたことが判明。多分本学で唯一初めての合格者。お祝いに−研究室に未開封のまま置いてあった−彩果の宝石をプレゼント。22時頃より,窓を叩く雨粒・・・春の嵐の前触れ・・・。