2017年 4月... Here's what I think. I think we can't go around measuring our goodness by what we don't do. By what we deny ourselves, what we resist, and who we exclude. I think we’ve got to measure goodness by what we embrace, what we create, and who we include....(Chocolat)  2 3 4 5


 1日 穀雨を呼び起こす清明前の雨。今日は入学式。エイプリルフール。2時からパソコンに向かう。いくつかのメールを送信するのに1時間ほどかかった。今年から入学式の登壇者は大学で用意する(上に着る)アカデミックガウン着用がなくなり各自略礼服で登壇するようにとのことだったので,雨中,略礼服持参で熊谷へ向かう。7時45分研究室着。8時半,学部事務室へ。東川学事部長とばったり。その後,情報システム課に情報SA+所用で出かけしばらくお話。その後,一旦研究室へ帰室。11時より入学式(午前の部,仏教,法学,社福,地球,心理)で登壇。12時に閉会。12時過ぎより,学科ランチミーティング。新任教員のご挨拶や新旧サバティカル教員のご挨拶。しばらく休憩の後,13時半から学科会議。15時半に終了。研究室に戻って入学式や図書館長業務を終えた友永昌治図書館長より連絡が入り,・・・結局,そのまま帰京されるとのことだった。17時より大学院専攻会議。17時40分に終了。



 2日 2時半より雑務。授業準備をいくつか・・・と思いつつ,納得のゆく仕事はあまり出来なかった。新年度に入ったばかりなので,休日にも関わらず情報システム課や学事担当者の業務メールが飛び交う。決裁メールもいくつか。休日出勤の皆さまお疲れ様。「シャチの息に異例の病原体,耐性菌も,経路不明」という記事を見つけた。もっとも疑われる生息域近辺の環境汚染とは関係がなく,どこで感染したのか研究者にもよくわからないという。海洋生物/海にはまだまだよくわからないことだらけでミステリアスな部分が多すぎる。


 3日 1時頃まで待って,WebClassでの今年度担当授業科目表示を確認しようとしたけど,まだ連携されてなかった。昨年度は4月1日だったけど,今年は遅いな。4時,廊下に出たら,大学へ出かけてきたばかりの吉岡茂教授にばったり。驚かせてしまった。メンゴ。午前の学生生活ガイダンスは情報システム課のメンバーにお願いして先日撮ったビデオ+PPTを流して頂く。16時半過ぎより,新入生ガイダンス。6月に実施される統計検定の案内をF氏に配布して頂く。ガイダンスは最初の教員紹介だけ参加して帰室しようとしたら,突然の土砂降りに見舞われ,情報システム課で傘を借りて帰室。


 4日 清明。2時前から研究室で雑務。昨夕の驟雨。にわか雨というには少々長く降っていた。雷鳴もあったので,春雷かなと思い,確認のため色々と調べていたら面白い記事を見つけた。『「春雷」を「春に鳴る雷」とだけ説明する辞書は手抜きだと思う』という記事だ。よく読んでみるとなるほどと思えた。件の語釈は三省堂国語辞典だけど,これはライバルである『新明解』による『(冬の終わりを告げる)春先のかみなり。寒冷前線により起こる。』に軍配が上がる。『春雷というのは,季節の変わり目に「しばしば」目にする(耳にする)雷なのだ。「春に鳴る」のではなく,「春の訪れを告げる」ものなのだ。せめてそれくらい説明しろ・・・』とイジってた。今日は,「4」と「4」が合わさって「しあわせの日」なのだそうだ。毎月29日が「幸せの日」というのとは違うらしい。「幸」から一本横棒を摂ると「辛」という字になるナ。幸せも辛さも紙一重・・・。9時半,新入生の数学プレイスメントテストが実施されている教室へ。しばらく確認してから,情報システム課へ。個人契約しているWebClassコンテンツ「一次救命処置とAEDの基礎知識」の年度更新をゼミOGのNDP社・小澤氏に依頼。15時,午前のテスト採点が終わったようだった。しかし・・・。今年度は,演習授業で手話のできるSAがいないと授業運営がスムースに運ばないかもしれない。このことを斟酌してくれたのか,F氏がT氏指導によるの手話の学習をおこなっている。そのF氏に来室願って研究室雑務を依頼。遅くまでかかった。夜,先日心配してた数学科後輩のH氏より電話。消灯前の個室病室からだった。自宅で倒れ意識不明のまま1週間後に令兄に発見されたそうだ。危なかった・・・。で,まだまだしばらく入院中なのだそうだ。それでも2期授業には復帰できるとのことだった。すこしばかり安堵。四国を旅行中の石松前学生部長よりメール。高知の名旅館・三翠園に宿泊されたそうだ。母校の茶道部から春の茶会の案内がきた。ボクらの頃の席料はどこの大学も150円から200円,高くて300円だった。それでも,当時,根津美術館内茶室で催される慶應大学の慶應茶道会だけは−ボクらには驚天動地の世界で−1500円もした。たしかに他大学とはまったく「格」の違う雰囲気だった。部に送られてくる招待券1枚を皆でほしがった。この頃,関東の大学茶会はチケット制,関西の学生茶会は無料招待状だけの案内でチケットはなかった。席料を頂くことはせず,招待された客だけとの茶会だった。ボクは関西のこの持成しを気に入り,部長任期中は無料招待状を数多く出し,部の会計担当と対立したことがあった・・・。


 5日 2時前からパソコンに向かう。昨日のテスト結果の各問ごとの集計。ゼミ生F氏の誕生日。おめでとうございます。昼過ぎ,熊谷駅ビルに所用で出かける。ついでにコージーコーナーで桜シリーズのケーキ等6点を買って研究室へ戻る。夕方,X社Y課長が遠路遥々来室。種々アドバイス等も頂く。謝謝。何人かの先生方に査読を依頼した。その先生方は「厳しく書きました」とエクスキューズしているのだけれど,殆どの方から−人が変わったかのように−冷徹なコメントが届く。今春卒業し北海道大学大学院に進むことになった(立正大学)地球にやさしい会北斗泉氏が来室。これから北海道に出かけると言って,自主制作「地球にやさしい会・卒業アルバム」CDを持参して来てくれた。謝謝。


 6日 0時前から研究室で仕事。定年制が年齢差別という新た社会な問題になってくるのでは・・・というニュースを拝見。閑話休題,「差別」という言葉も(何にでもくっ付けられて)便利だな・・・と思う。10時過ぎ,学事課で依頼していたファイルを受け取り,早速WebClass(学習カルテ)に処理。次に文書押印や宅配便受取等で学部事務室へ。その後,情報システム課へ。某お手紙の件,天納之士講師から心配されていた出席管理システムの件,学部で利用する認証カード発行の件,学部3号館Wifi設置スケジュールの件等その他いくつか。13時半より,品川−熊谷遠隔で,情報SA事前研修。冒頭の挨拶と辞令交付を担当して,その後帰京。実家経由で品川校舎へ。新人の牧野氏にご挨拶。峰内課長からApacheアタックの方向を受ける。岩場部長は会議が長引いていたので峰内課長にメモを渡して帰宅。その後,就活中の学生とオークラ・カメリアで会い,就活状況を伺う。今月のスイーツ・セレクションは苺だった。帰宅後,明日から稼働予定のSシステムの不具合が生じたと−午前の確認時と打って変わって−連絡が入る。あれだけ心配してたのにな。スケジュールも1年前から分かってたはずなのにな。Who's sorry now...。紙の出席票という代案が提案されてたけど,とりあえずWebClass(携帯)でも利用可を提案し忘れている。今日はセンター決裁事項が多かった。先日,O学院大学の履修抽選に関する問題がネットで流れた。その後,この大学の学長からのメッセージが大学HPで流れ,デマであったことが判明したが・・・。高校同級のO氏がこの大学で哲学の教授を務めているので,どうしてるかなと思い久しぶりに氏のHPを開いてみた。20数年会っていない。この前会ったのは,情報文化学会設立記念パーティを開催した今は無きゆうぽうとの宴会場だった。「情報文化」について哲学者らしいコメントを頂戴したことを覚えている。。


 7日 授業開始日。3時からパソコンに向かう。今年の九州大学入学式でロバート=キャンベルが述べられた祝辞が公開されていた。「共感の落とし穴」。よいスピーチだと思う。ボクらも気をつけなければ。午前,実家近くのセイワ理容室へ。夕方,研究室の初代研究室秘書を務めてくれたディズニーに勤めるH氏と赤坂・祢保希で会う。先日高知を旅してきた話を伺った。土産で買ってきたという馬路村のゆず漬の素を大変気に入ったということだった。昔,個人的に主催していた談話会に話がおよび,初めて談話会のお手伝いしてくれた時に,岸本葉子先生の品川校舎ー五反田駅間の送迎を担当したことを不可忘の思い出だと話してくれた。このときからH氏は岸本先生の大ファンとなった。21時に帰宅。


 8日 2時過ぎから雑務。昼過ぎ,研究室へ。諸雑務を済ませ,情報システム課へ所用で出かける途中学事課へ寄って東川部長と立ち話。諸事情で引越しされた話を伺った。ちなみに葛飾北斎は生涯引越し回数が90回以上だったとか・・・。システム課では担当課員がお休みだったので,また後日。再び研究室に戻って雑務の続き。夕方帰京。研究室3代目秘書だったNDP社・大平麗子氏とカメリアで会って20時に帰宅。


 9日 少し遅めの4時から始動。午前中は学会関係の雑務。いくつかの授業資料を更新。次第にエスカレートしてPPTも2倍近く増える。夕方になって,明日5時限目の授業のことをすっかり忘れていたことに気付く。様々な予定・打合せを変更/キャンセル。少々焦った。夜,授業サポートの件でF氏より種々連絡が入る。


10日 1時過ぎから雑務。自宅を出るギリギリまで頑張ったけど,予定していた雑務は終わることなかった。残念。7時40分研究室着。今日は1年生が他の一斉授業でフィールドワークに出かけているので担当授業は自動休講扱い。10時,F社T氏がセミでの沖縄の工場訪問の件で来室。10時,学部事務室と情報システム課へ出かけ情報SA勤務体制のことで再確認。稼働始めた学事のシステムの件で,菅野課長と色々とお話。研究室へ帰室後,来室したF氏に研究室雑務を種々依頼。14時半より,授業運営の件で,担当情報SAのF氏+2年生2名とACパソコン室で打合せ。Cloud LaTeX は障害が生じていたためか,動きがおかしかった。その後,熊谷−品川遠隔での学事+情報システム課+担当業者との打合せに少しだけ顔を出し,授業へ。その後,帰京。18時半からのシェラトン都ホテルで開かれた学長室主催の大学役職者懇談会へ。入室した時にはもう始まっていた。隣席が大津教職教育センター長だったので,30年ぶりの全大学での教職課程審査のことを詳細に教えてくれた。今回は学会発表は不可だとか,担当科目に資する業績が必要だとか,非常勤の先生方も審査対象だとか・・。科目名称変更を余儀なくされると思うので学則改正の準備だとか・・色々と厳しいことだけはは理解できた。19時40分に記念写真を撮って閉会。そのまま,東京駅へ戻り帰熊。新幹線車内で吉報を受け取る。21時15分,研究室着。雑務に向かう。


11日 1時半から研究室で雑務を始める。窓の外は雨。冷たい雨。昼,数学の授業を終えた天納之士講師が来室。ゼミ実験室に氏より寄贈して。頂いたパソコンの保守点検を行って頂く。午後の授業を終えた後,所用で学部事務室へ。今日がお誕生日の石松前部長より四国旅行のお土産,万能おかず「しょうが」(高知),小豆島で炊いたうまいで「しょうが」(香川)を頂く。謝謝。情報システム課へ出かけ,菅野課長に今度の日曜日に実施する授業のことで相談。それなりに解決。次に,学部ICT教育研究実習室受付へ。教務補助員・宍戸氏と打合せ。(公社)土木学会より委員委嘱状が届く。2年間。


12日 1時半からパソコンに向かう。3時11分,地震。研究室もそれなりに揺れた。1時限目のゼミの後,熊谷市内へ所用で出かける。駅前ならバスで出かけるけど,駅から結構離れたところだと駅から歩くよりは大学からタクシーで出かけた方がよい・・・。数ヵ所所用で出かけ再び大学へ戻る。12時半過ぎ,青木和昭助教が来室。先日の富士山への学生引率フィールドワークでのお土産・甲州・牛みそを頂く。謝謝。その後,教授会だと思って会議室に向かう途中,岡村前副学長に会った。話をしている内に頓珍漢に思えた・・・。よーく考えると,教授会は来週だったことに気付く・・。踵を返して研究室へ逆戻り。ペギー葉山の訃報が流れた。「南国土佐を後にして」は昔の高知出身の人間にとっては不可忘の歌。「・・都へ来てから幾歳ぞ 思い出します故郷の友が 門出にうたったよさこい節を・・・私も負けずに励んだ後で唄うよ土佐のよさこい節を・・・」。彼女の歌った「学生時代」も思い出の歌。学生時代の茶道部の部歌はこの歌の替え歌(1年先輩のK氏が作詞)だった。懐かしい日々は帰らず・・・。その後,仕事しながらヴェラ=リンの昔の美声を聴いた。先月で100歳を迎えたヴェラ=リンはまだまだ元気なのだそうだ。英国出身の昔の女性歌手は声が素直できれいだ。Who's sorry nowを聴いた。しばらくして急用で熊谷市内へ。


13日 4時から研究室で雑務。今日も熊谷市内へ所用で1時間ほど出かける。毎日市内に出かけたくない。午後,情報システム課へ。カードの件もあったけど,WebClassで集中講義関係の科目が「未分類」カテゴリーになっていることの変更依頼を伝えた。旧態然としている学事システムの不自由なところが他のシステムにも伝搬してゆく悪い例・・・。特に学事関連のシステムは運用主体は学事課もしれないけれど,教員にも常にチェックさせる体制を準備しておかないと学事独りよがりのシステムで,結局は使いかってのよくないものになってしまう。帰室後,2年生・K氏が新歓パーティの件で来室。ニコリの回答は避けた。F氏は終日勉強していた。


14日 3時過ぎからパソコンに向かう。未処理の仕事がまだまだ沢山。急用ができて少し早めに大学を出てしまい,品川から熊谷校舎に見えていた岩場部長とは会えずじまい。申し訳ありませんでした。熊谷駅でATMに立ち寄ると,その前に立っていた警官が利用者一人一人に「お振込みですか?」と声をかけ,「現在,振込詐欺が多発していますのでお気を付けください」と注意を促していた。帰京後,実家経由で,五反田駅前へ。そこで所用を済ませてから品川校舎へ。その途中,スターバックスを過ぎた場所にあった名古屋が本店のあおい書店のシャッターが下りていたままだった。お休みなのかなと思っていたら,傍を通った数人の学生が「あおい書店,潰れたんだって・・・。」。絶句。後で調べてみると1月に閉店してた。気が付かなかったなぁ。書店も厳しい時代を迎えているんだろうか。品川校舎で情報システム課や学事課・石田氏のところへ出かけ当面の用事を済ませる。キャンパス内で学科の学生に会い,「こっち(品川校舎)にもいるんですか?」と驚かれた。よーく考えると,お互い様では・・・。夕方,都内に出てきてたゼミ生等と美々卯・新橋店で食事して19時に帰宅。美々卯では季節の「にぎわい蕎麦」が始まっていた。


15日 3時前から仕事。まだまだ3/4山積。しばらく読み続け考えていた某氏の論文のコメントを書き終える。いつものように早朝自宅を出る。神谷町駅近辺で,平素見慣れないパトカーや警官。こんな早い時間に捜査しているのかな?電車内で某数論関数のゼータ関数の計算をアタマの体操代わりに続けていたら,乗り過ごしそうになった・・・。。教務補助員・宍戸氏が明日の授業実施の件で確認その他で来室。研究室のOfficeはアカデミック版なので,Proに比べ不便なところがいくつかあり,明日の授業事前確認のため学部ICT教育研究実習室でしばらく確認作業。来週の水曜日に巨大小惑星が地球に最接近するらしい。といっても,通過するのは月までの距離の5倍くらい先のあたりだそうだけど,地球の引力に何か影響は有るんだろうか。今日も遅くまでF氏は試験勉強をしていた。F氏に最近の僕の書く文書に誤字脱字が多いと指摘される。トシなもんで,指の動きもいまいち,お目目もいまいち・・・。都内で開催される高校同窓会の案内が届く。今年はボクらの代が幹事担当で幹事代表はY氏。退職後,中小企業診断士をされているH氏はかっての職場で経済学部・H教授とは同僚だった。


16日 1時半から研究室で雑務その他。学内のWebClass表紙がまた変わっていた。なぜだろうか。安定していない。今朝はほかにも,昨日,問題なくOKだったtexプログラムが,今朝はエラーを検出して動かない・・。ご機嫌斜めのようだったので,再起動して,再確認すると,先ほどの症状は出なかった。ご機嫌回復。パソコンもトシちゃんだったのか・・・。8時半,情報SAの濱田氏+鈴木M氏+教務補助員・宍戸氏が来室。揃って授業のパソコン教室に向かう。9時より,16時まで4コマ連続授業。予想されたログインパスワードを忘れたという学生は一人もいなかった。夕方,お疲れさまも兼ねて,授業アシストの3人+昼間都内に所用で出かけていたF氏とで熊谷市内のラ・ベットラ・ダ・ジータで食事。それぞれの田舎トーク。田舎あるある。食事を終え,研究室へ戻る。今日は夏日だった。熊谷もド暑くなるなぁ・・・。


17日 1時過ぎから仕事。8時半前,授業教室へ。2コマ連続授業。研究室へ戻り,石松前学生部長が来室。カゴメの春のポタージュセットパーカーのボクの名前が刻印された万年筆セットを頂いた。謝謝。令夫人との四国旅行のお話を伺った。数ランク上級の旅行だったようだ。13時前に大学を出て,帰京。実家経由で品川校舎に14時55分着。15時過ぎより,情報環境基盤センター・管理者ミーティング。17時半前に終了。外は既に雨のお湿り状態だったので,情報システム課・小川課員の傘を借用して大学を出る。そのまま帰熊。19時前に到着。熊谷駅の改札口で帰京寸前の東川学事部長とお会いする。19時過ぎ,白木洋平准教授+学内で履修登録サポートのバイトをしていたF氏と駅ビル内の鉄八はっかいで食事。21時を過ぎてお開き。ボクは大学へ戻る。


18日 3時過ぎからパソコンに向かう。渡部昇一先生が亡くなられたとの報せがネットにあった。学部生時代,フィリップ=ギルバート=ハマトンの影響を受けて著された(ある意味)HowTo本「知的生活の方法」を読みながら,真似をした。ワインの勉強を始めたのもこの本の影響だった。院の頃,あることが新聞に載り,渡部先生の授業の試験監督をしているとき「君があの学生か。」と話しかけられたことがあった。3号館の学部コピー機の認証カード一式31枚を受け取る。天納之士講師より果物の缶詰2缶頂く。謝謝。授業の後,石松前学生部長が来室。石松農園で育てたかき菜を湯がいて味付けし切りそろえたものをパックに詰めて持参して来てくれた。謝謝。早速,夕飯のお伴として頂く。子供のころ,湯がいた青菜を葉の部分を小さく握ったごはんに巻いて食べる静六巻きを良く食べた。その頃,本多静六の伝記を知り,なぜか勝手に「静六巻き」と名付けた。だから,一般には通用しない・・・。朝方の雨が嘘のような昼間の暑さだった。終日,熊谷がメディアに登場し,お店でかき氷を食べている様子も紹介されてた。


19日 3時過ぎから研究室で雑務。某先生から「繰り返し授業はペッパーが講師代行,静岡大学の反転授業支援システムとは」の記事を教えてもらった。その先生曰く「私は,ほぼ同じ内容で科研に出したり,研究支援課の助成金に出したりしてました、でも当たらず仕舞いでしたが,今回の記事で”我が意を得たり”感は持てました(ほ〜ら,やらしてくれさえすれば社会から注目を集められる研究だったじゃん,という感覚です(笑))。 もっとも,他がやりはじめたので,もう自分でやる意義(先駆的オリジナリティ)はほぼ失せてしまいましたが。」本学の研究支援審査の先生方,ご自分たちの不明を大いに恥じよ。1時限のゼミは各学生プレゼンの後,日曜からの沖縄研修の注意点その他。集合が朝6時15分に羽田というのが学生にとってはキビしいらしい・・。13時より,環境科学研究所所員会議。13時半より,教授会。続いて16時10分より,研究科委員会.17時半前に終了。17時55分に学部教職員が正門前に集合して,四季の湯温泉・ヘリテイジ・リゾートの送迎バスに乗車して,新任教員歓迎会会場へ向かう。18時半より開会。20時半にお開き。再び送迎バスで大学へ戻る。


20日 3時半より研究室で雑務を始める。教科として教える「情報」の英訳に「information」は不適切だと情報処理学会が指摘した。「information」では名詞のままであり,学問の領域分野として考えれば指摘は当然のことだろうけど,国際会議でも「information」は普通に使用されているのにな。昔,情報文化学会を創設した時,「information and culture」だとか「info-culture」等が議論されたのは,研究者としては浅はかだったのかもしれない。その後,名称は「Information-Culturology」と文学研究者からの指摘によって「文化」部分が変更されたんだけど・・・。その頃,名古屋大学に情報文化学部が設置されて,英文表記名が「informatics and science」だったにも関わらず,「informatics」は無視されていた。本来ならば「informatics and Culturology」としたほうがよかったのかもしれない。午後,情報システム課へ出かけ,菅野課長に情報セキュリティ関連の確認。帰室後,中里課員が課への忘れものをわざわざ研究室まで届けに来てくれた。謝謝。遠路遥々申し訳ない。その後,今日がお誕生日の天納之士講師より珍しく電話,内容は「(本日,その発生に気付いたと思われる)学内システムの某トラブルについて」だった。うーん。念のため,品川の課にに確認。今回もという気がしないでもないけど,新システム導入にはシステムの運用経験/履歴をきちんと見極めておかないと・・・。頭のよい人ほど,スペックによるパフォーマンス評価だけで判断してしまうという・・・かもしれない・・・。一方,そこが営業の売り込みどころでもあるのだけれど・・・。晩上,我終于放下了心頭大石。


21日 2時半より研究室で雑務を始める。ここ2週間ほどの整数計算。一喜一憂の連続・・・。整数計算一喜一憂の顛末を共同研究者の千葉商科大学・宮田大輔教授に送付。OIST高科直氏より来週のセミナーの件で電話が入る。午前帰京。実家経由で,五反田駅前へ。所用を済ませて,品川校舎・情報システム課へ。所用その他。16時半より,EP委員会チーフ連絡会議。あっという間に終了。その後,五反田駅前のGメガネに「立ち寄り,一旦帰宅してから19時過ぎに新橋・美々卯へ。5時限目の授業を終えた千葉商科大学・上山俊幸教授と会う。美々卯の閉店寸前,白木洋平准教授が大事な急用があると入店されてきた。話は相互とも確認了解でき,お店の人に急かされて21時半前にお店を出る。夜遅く,春先ご体調を崩されながらもMapleのサイトで数学の連載を続けられている守谷両時名誉教授より,線形代数の稿のサマリー(現物は情報システム課に届いていた)の件で連絡が入る。これから解析系の原稿に着手とのことだ,次第に守谷先生の専門領域に迫ってきた。


22日 3時からパソコンに向かう。福島大学・中村洋介准教授より,明日の件で連絡遣り取り。指定国立大学というのが始まるようだ。申請大学を見ると必ずしも旧帝国大ばかりではないようだ。北海道大学や九州大学はどうしたのだろう。土曜日のキャンパスは静か。GW前でこのような静かさでいいのか・・・。研究室でのF氏が論文の修正作業を見届けて,夕方帰京。


23日 亡父の誕生日。NDP社の創立記念日。朝1時から雑務。今朝の羽田空港6時15分集合。熊谷から向かう学生等は熊谷駅3時50分発の高速バスらしいので,そろそろ起き始める頃だろうか。浜松町に5時半頃を目指すには電車は無理なので,タクシーを探すべく5時前に自宅を出ることにする。運よくタクシーを捕まえることができ,5時半には羽田空港ターミナルには到着。全員6時15分に集合。早速チェックインカウンタで荷物を預け手荷物検査場を通過して訪問先への土産物を白木洋平准教授とともに購入。8時前の便で沖縄へ。しかし,便は30分遅れた。那覇空港で,琉球大学医学部・青木一雄教授+ご子息,先に沖縄入りしていた福島大学・中村洋介准教授と落合いレンタカー事務所へ。手続きに手間取り,到着から1時間半経って手続きが終了。レンタカーは3台借り,白木先生+,中村先生,青木先生のご子息がそれぞれ運転。結局,14時に予約していた美ら海水族館の教育セミナー+バックヤード見学に15分ほど遅れることとなった。事前に時間厳守と厳しく伝えられていたので焦った・・・。流石に,飼育スタッフS氏によるセミナーも充実し,N氏によるバックヤード案内やジンベエザメのショー等も丁寧に説明していただいた。17時前に水族館を出てホテルへ。19時過ぎに到着。ゼミミーティング。結局20時くらいのスタートで学生等はホテル内のバイキングへ。教員等は20時半から市内の首里天楼でコース料理。ゼミOBで沖縄科学技術大学院大学(OIST)のポスドク研究員をしている高科直氏も合流。店内では琉球舞踊のライブもあった。初めて堪能した。記念写真も。1時間ほどでお開き,ホテルへ戻る。パシフィックホテル沖縄泊。


24日 3時起床。ちょっとしたトラブルがあってフロントに電話。応急措置をとってもらった。6時半,朝食バイキング。6時50分,白木洋平准教授は,非常勤講師の仕事で帰京される福島大学・中村洋介准教授を那覇空港まで送っていった。8時半,OISTへ向かってホテルを出発。10時前に到着。出迎えてくれた高科直氏の案内でセミナー教室まで構内を歩いたけど施設設備が充実しすぎの感。うらやましいの一言。構内のほとんどは外国人。さながら海外の大学を訪問したようだった。10時すぎより高科氏のセミナーを45分ほど受講。質疑応答の後,11時からOISTのキャンパスツアーを1時間ほど。最後は高科氏の所属するエコノミーユニットへ。館内の電話は固定電話機でなく,すべてiPhoneだった。ボクはその間,高科氏のパソコンで仕事。その後,皆でOIST内のレストランで昼食を摂り,高科氏に別れを告げて,沖縄データセンターへ向かう。流石にIT系会社らしくセキュリティは厳しかった。見学だけで入域証と入館証の両方のカードが必要だった。ここで,今回の見学にご尽力してくださったF社田中氏と落合った。T氏は20年ぶりの沖縄らしかった。セミナーの冒頭,幸田社長からご挨拶を頂き,このセンターが「沖縄県21世紀ビジョン」の実現に向け,平成24年にクラウド型サービス事業として発足したとのことだった。セミナーの後。館内の見学。終了後,質疑応答。15時半過ぎにセンターを出てホテルへ戻る。ゼミミーティングの後,再び自由行動というか食事。ボクと白木先生+琉球大学医学部・青木一雄教授とF社田中氏とで国際通りのPAIKAJIへ。食べ飲み放題のコースを選択。三線ライブがあった。2時間ほどでホテルへ戻り,白木先生によるレビュー。パシフィックホテル沖縄泊。


25日 8時半過ぎに,琉球大学の学生等がホテルまで見え,一緒に大学へ向かう。キャンパス近辺の海岸・浜で水質検査やフィールドワーク。ボクは所用でこの間少しばかり離れた。昼食はそーきそばを摂り,地祇の目的地。琉球大学医学部へ。ここで,青木一雄教授によるセミナーを受講。16時半に終了。ホテルへ戻る。その後,19時より,琉球大学・安元純先生や学生さん等が予約してくれた「鬼さん」で先生方や琉球大学の学生さん等と情報交換会。琉球大学のバム=ラザフィンラベ先生も合流。体調がすぐれないので,ボクは少し早めに退席,ホテルへ戻る。パシフィックホテル沖縄泊。


26日 午前のスケジュールが予定変更。結局,医学部・青木教授+ご子息と白木先生とでGS経由でレンタカーを返却に出かけ,空港に向かう。途中,情報法環境基盤センター・岩場部長よりセキュリティインシデントについての連絡が入る。しばらくして菅野課長からも数回詳細な報告が入る。今年度初めてのケース。空港内は修学旅行の高校生・団体が多かった。同じ便でなくてよかった。皆で帰京後,恒例となっている美々卯(今年は新橋店)へ。ここで,白木ゼミ・4年のA氏と山下ゼミ・4年のF氏が熊谷から見えて合流。皆で反省会+にぎわい蕎麦。今年は皆で208枚+αのわんこそばを食べ切り,昨年度の160枚余の記録を大幅に更新。お店の方に伺うと個人記録は80枚なのだそうだ。上には上があるもんだ。2時間弱でお開きの後,ボクとA氏+F氏はホテルオークラ別館のカメリアへ少し出かけ喫茶。帰宅。


27日 3時半起床。ここしばらくの記録をWeb日記に思い出し出し記述。早朝熊谷へ向かう。病院へ。沖縄へ出かけてから喉の痛みがヒドかったので,風邪薬を処方して頂く.その後,キャンパスへ戻り,13時半過ぎから情報システム課で菅野課長とともにセキュリティインシデントのヒアリング。終了後,しばらく菅野課長とここ数日間の未決裁案件の確認。研究室のF氏には沖縄土産の配賦を依頼。沖縄疲れで早めに就寝。


28日 3時から研究室で雑務。7時過ぎに大学を出て帰京。実家経由で,品川校舎・情報環境基盤センターへ。岩場部長+峰内課長+菅野課長と少しばかり打合せし,10時40分からの第1回情報環境基盤センター運営委員会に臨む。11時40分に終了。その後,岩場部長+峰内課長と品川案件で打合せ。入れ替わりに,友永昌治図書館長が見え,図書館運営委員会に出かけて行った。しばらくして心理学部・櫻井広幸准教授が来室。櫻井先生の最近の研究成果を伺う。その後,帰熊。16時過ぎに研究室着。研究室バイトのF氏が不在だったので,独りで研究室雑務で学部事務室や教務補助員M氏の元へ出かけ久しぶりの事務処理等。明日がお休みのせいか,夜遅く,学生の歓声が研究室まで響いてきた。


29日 昭和の日。いつかは平成の日という日が出来るんだろうか。1時過ぎから雑務。大学の先輩から,「近々入院しますので,(某件を)よろしく。」と連絡が入る。あまり他人のTeX原稿を拝見することはないのだけれど,先輩のTeX原稿は(ボクにとっては)独特の流儀というか。書法だった。先日,地方の大学に勤務する友人から,「ある本を失くしてしまい,その本はここでは手に入らないので,その本の付録の部分をコピーして送ってくれないだろうか」と複数の友人等に宛ててメールが届いた。直ぐに信州大の友人から送付する旨のメールが送られていた。僕も名著といわれるその本は自宅には置いてあるが,たしかにその本は(今の時代)入手困難ではある。ただ地方であっても入手方法はいくつかあると思うので,研究上で余程緊急に必要としたのだろう・・・。先日沖縄で頂いたマンタとエイの絵葉書を見た人から「マンタとエイの違い知ってますか?」と問われ答えられなかった。折角,美ら海水族館に出かけたのに恥ずかしい。結局,その人から解答を教えて頂く。無駄とは思ってないけど,今日のトリヴィアその1.夜遅く,F氏よりA教授のTeX原稿入力バイトの某章某節原稿が届く。お疲れサマンサ。


30日 4時から雑務開始。夜が近づくについれ他のゼミ室から学生の奇声・・・。どういうことかな。明日の授業の1時限目は外部講師を招聘しての特別授業。そこで配布するプリント類の印刷。夕方近く,F氏がひょっこり来室。A教授の論文所要部分を80頁弱ほどスキャンしてあっという間に帰宅。