2017年 1月  ... and while the world is waiting for the sunrise ... in my heart is calling you ...  2 3 4 5 6


 1日 謹賀新年。新年は3時に起床。仕事始めで,レポートの採点を行う。4時間半ほどで某課題採点は終了。その後,頂いた年賀状を拝見・・・。しかし,ボク自身,昨年から,いまだに年賀状は書き続けている・・・。夜,一休みして整数計算。



 2日 年賀状が足りなくなって,早朝,コンビニに買いに出かけた。デザインされている賀状は3-5枚単位で数百円。やはり高い。時間を見つけたは,行くあて定まらない整数計算を続ける。吉田夏彦先生とのご縁だったと思うけど,いつの頃からかDDD(幹事:東大・東洋文化研・藤岡洋助教)という会の研究会案内が届くようになった。今回は,哲学科の村田純一教授による「感覚とは何か:生態学的現象学の観点から」(仮題)」だ。FBで,今年の2017が2017=73+73+113と分解できると誰かが書いていた。しかも,19世紀から22世紀の400年間の中で3つの素数の3乗和となる数は今年だけなのだそうだ。で,チョコッと計算してみた。来年の2018は2018=24+34+54+64となる・・。


 3日 2時起床で。雑務。所用で新橋に出かけた。駅前で壮絶な夫婦げんかの場面に遭遇・・・。アチャ・・・。所用を済ませ,ビアードパパでシュークリームを買って帰宅。数学科同級生の訃報が届いていた。バツイチになってからは困窮する生活に悩んでいた。友人等で一時期サポートもしていた・・・。ご冥福をお祈りいたします。年賀状が足りない・・・来年,今年の分もまとめて出そうかな。


 4日 早朝,熊谷へ向かう。7時50分,研究室着。昨年のカレンダーを外す。凄腕のギタリストといわれたジェフ・ベックレス・ポール・・・。The world is waiting for the sunrise での演奏を聴く限り,レス・ポールが断然上手い・・・と思える。米国の市場調査会社による「期待外れのウエアラブル市場」という記事が出ていた。ウェアラブル端末は早いものでいえば30年ほど前から出ていたし,10数年前でも,塚本昌彦先生のパフォーマンスを拝見してた頃はブームになるかなという期待もあった。この記事では,「ウェアラブル端末=スマートウォッチ」という構図で,それよりはフィットネストラッカーがブームだと断じている。日米の様々な違いもあるだろうけど,10数年前のボクなりの期待を引きずれば,ウェアラブル端末としては,そもそも時計を身につけない人々が増えている昨今を考えれば,スマートウォッチより,先にメガネ型端末の市場が伸びてきそうな気がするし,そうあってほしい。年末年始で帰省していたF氏も帰熊し研究室に見えていたので,夕方,熊谷市内の市場の食卓で90分ほど一緒に夕食を摂り,再び独り研究室へ戻る。ここ数日,少々食べ過ぎている感がしないでもない。そういえば,行きのタクシーの運転手の方は,地球環境大好き人間の方で,(いつもとお同じように)乗車するなり,3号館前の電光掲示板の気象データのこと尋ね,続いて,この辺の標高を尋ね,F氏が「たしか51m・・・。」と答えると,「すると,熊谷から,東京までは60kmだから,キロ80cmで川が流れてるってことですかねぇ・・・」。次に,この辺の地盤はどうなんですかね」。この辺は地震は来ないんでしょ?」・・・。いつものように,こんな会話は続いた・・。そのせいか,0時43分,ドスンと震度3−4の地震がお出ましに。ほぼ,2時間後,再度のお出まし。


 5日 小寒。今日から節分まで,寒の内。暦通りに寒い。今日から授業開始。数学/算数教育でコンピュータを利用する試みはソフト(利用料金)やハード構成の面から,普及が今一つというのはよくわかる。しかし,海外では,電卓を利用しての教育が多いらしい。中学以降では数よりも数式を扱う場面が多くなっていることを考えれば,数式計算の扱えない電卓はアウト・オブ・眼中だったけど,日本の非利用率が世界の中でとても高くなっているのは,算数/数学教育の内容の違いに起因するのではないだろうか・・。そういえば,ボクが利用しているアメリカの大学初年次の一般教育での数学教科者等(日本では高校数学U/散程度)では,微積の演習問題では,具体的数値(たとえば小数第4位くらい)をいくつか与えて,その時の関数値,その点での接線の傾きなどをキザミ0.001くらいで計算させる問題等が多い。


 6日 1時半頃から研究室で雑務。2名ほどの卒論を確認。ゼミでは卒論をLaTeX で仕上げるのがノルマとしているけど,今日は学生から「Excelで仕上がっている表を『簡単に』TeXでの表として移行できないだろうか」と質問されたけ。どのように受け取ったかは分からないけど,「そういうアプリはあるけど,自分で入力したほうが早い・・・」と回答しといた。明日のミニミニ数学科同期の集合場所が決まる。早めに就寝。


 7日 五節句の最初・人日の節句。七草粥。早めの就寝で少々寝過ぎた感がしないでもない。2時半起床だったけど,眼が腫れぼったい。3時から研究室で雑務。その後,帰京。一旦自宅へ戻ってから,16時に新橋・美々卯へ。数学科同期4名でそば点心を摂りながら2時間ほど会う。T氏,Y氏,M氏。話題は,定番の近況報告,同期の消息,健康問題,年金,母校の話題。健康人間のY氏は再び上野まで歩いて帰っていった。距離的には5kmほどなのだそうだ。学部の時に第1種情報処理技術者の資格を有していたM氏は,現在でもいくつか所有し,その中に情報セキュリティスペシャリストもあり,この4月から情報系資格では初めての「士業」である情報処理安全確保支援士には登録料さえ払えばの資格を得られるのだと話していた。でも登録料が高いらしい。でも情報系で「士業」というのは魅力あるな。今回の声掛けをしてくれたT氏に謝謝。


 8日 2時起床。最近の自分の睡眠パターンを分類してみた。睡眠は大体2−3時間が1セットなので,1)1セット,2)1セットで起きて,(このままではいけない,疲れが取れてないという自覚のもとに,30分後くらいに)再び睡眠,3)1セットで起きたときに見てた夢を再び見たくて,すぐさま睡眠に戻る,4)1セットの後,1−2時間仕事をして,再度睡眠・・・。4パターンだった。カオス授業用に,レミングがの頭数が4年ごとにガクンと減ることを題材(出典:Number Mysteries(by Marcus du Sautoy))にして,Excelでロジスティック写像パターンを8種類ほど作成してみた。


 9日 2時起床。しばらく仕事して。早朝,雨中熊谷へ向かう。東京駅へ向かう途中,不在票を持って芝郵便局のゆうゆう窓口に出かけたら,24時間だった営業時間が変更になっていた。7時から21時。知らなかった。ネット調べると,ここ数年間で,徐々に都内23区のゆうゆう窓口が24時間営業を廃止しているということだった。ボクにとっては不便(極まりない・・・)。熊谷駅からのタクシー運転手は久しぶりに七福のYさんだった。昨日はお孫さんの成人式だったとかで,お祝を下話を聞かせてくれた。7時半過ぎ研究室着。夕方になって,持参したはずの物がないことに気付く。自宅に置いてきたのかなと思い,1801熊谷発の新幹線で帰京。自宅で,探したけどなかった・・・。どこへおいてきたのか,それともいつの間にか失くしてしまったのか・・・・。早朝叶わなかったゆうゆうう窓口にも出かけ,2015熊谷着の新幹線で戻る。都内滞在1時間時弱・・・。もったいない時間だった。それにしても困ったことに変わりはない・・・。非常勤講師探しのメールが入ってくる。


10日 2時半から研究室で雑務。この時間帯だと,まだ各研究室で徹夜している学生等を見かける。只管,教材作りに精を出す・・・。時間のかかる検査がいくつかあったので,早朝病院へ出かける。病院からの帰り,入院中,数学演習授業をご担当いただいたN先生に会った。研究室へ戻ると,生物系研究室の卒論生が数名統計解析の質問に見えた。ノンパラは結構面倒だ・・・。16時過ぎ,天納之士講師が来室。ゼミ実験室に寄付して頂けるパソコンの件で打合せ。17時から来年度センター予算の件で情報システム課・菅野課長と打合せ。18時前,T大学S先生が来室。お年賀を頂いた。謝謝。S先生とF氏とで熊谷市内に出かけて食事。お目当てのお店をいくつか回ったけどお休みだった。で,駅ビル内のお店に入李,1時間ほど食事して大学へ戻る。


11日 1時半起床。睡眠パターン2)だった。ここ数日,ロジスティック曲線の生物学上での歴史をGauseのStruggle for ExistenceやChapmanのAnimal Ecology With Especial Reference to IncectsPearlのジョンズ・ホプキンス大学時代の業績をネット上で読んだ。最近では,昔の書籍がフリーで読める(DLできる)のでとても便利。10時半過ぎより学科会議。12時半過ぎに終了。13時半過ぎより大学院専攻会議。15時終了。研究室へ戻り,15時半,学生インターシップの件で,F社・Y課長+S氏が来室。F氏と面談。Y課長は入社時,メインフレーム全盛の頃(Mシリーズ)で,熊谷にF社の工場がありよく通ってました,言語もCOBOLでしたね・・・,懐かしいですと話されてた。ボクも,かってMシリーズで開発もしていたし,学生教育もMシリーズの端末で行い,上梓した教科書の内容もMシリーズの端末画面で(日本語COBOLやJCL等)説明したので話が弾んだ。帰京された後,研究室の所用で,熊谷市内・ピーアイピーへF氏とともに出かける。所用を済ませ,藍屋で夕食を取る。30分ほどでお店を出て大学へ戻る。藍屋では某御膳の単品版を注文したけど,御膳版の写真と出された単品は若干違うし,みぞれ(=大根おろし)仕様だったけど,みぞれは,かたくて古そうだった。作り置きしてからの時間がかなり経ってるようだった。大学へ戻ると白木研では卒論打上げナンとかをしていた。F氏もその打ち上げに参加したようだった。2期の情報SA研修のスケジュール調整が入る。


12日 2時半起床。研究室で雑務。一昨年12月,北沢俊幸講師から譲ってもらったマングローブ,研究室で育てているけど,なかなか大きくならない・・・。(社)私情協が主催する大学1・2年生対象の「社会スタディ」の案内が届く。参加費無料なんだし,立正の学生も積極的にこういうチャンスを生かしてほしい。昼過ぎ,2期情報SA事後研修会の日程が決まる。16時前,F社・S部長+T氏+H氏が新年のご挨拶で来室された。F社が東京オリンピックのゴールドパートナーであることから制作されたというネックストラップを頂いた。謝謝。非常勤講師探しの件も一段落。


13日 2時半起床。3時から研究室で雑務。4時までは短く感じたけど,6時までは随分と長く感じられた。8時半過ぎ,学部事務室へ卒論の受取りに出かけ,その後。情報システム課へ。一旦,研究室へ戻る。2時限目の授業では,久しぶりにカオス(理論)をテンコ盛りでお話。授業を終え,帰京。東京駅へ着いてから,実家経由で,品川・情報システム課へ。メールの件でM課長より報告と対処を伺う。所用等を済ませ,帰宅。


14日 2時起床でパソコンに向かう。FBを見ると,友人等が面白い記事を提供してくれていた。「坂本龍馬の新たな文書が発見,そこに「新国家」という言葉が出ていた。「国家」の語源によれば,明治になって今の意味に当てられる,それまでは中国で「皇帝の別名」だったという。」。やはり,明治の頃,輸入学術語「statictics」が論争の末に「統計学」と収まるまでに,「『手偏』に『多』,『チ』を偏にしてその右に『寸』,『チ』を偏にしてその右に『久』の三字)もしくは「『手偏』に『多』,『知』を上にしてその下に『寸』,『知』を上その下に『久』の三字)という新漢字を案出し,「スタチスチク」と読ませる案を出したり(by 杉亨ニ/世良太一),紆余曲折していたことなどもそうだろう(←この話は,今手元では確認できないので勘違いかもしれないが,昔,立正大学に在職されていた美添泰人シャープOBがVR図書館開設」や「(フロリダ州の図書館では)なぜ図書館員は不要な本を除去するアルゴリズムと闘うために違法行為を行なったのか?」等。大学も図書館にVR別館を構築すればいいのに。ただ,この不要な本を除去するアルゴリズムと闘うという話は,この図書館アルゴリズムに限らず,ボクらの日常でも同様のことは起きている。夕方,この日記を見て,友永昌治図書館長より本学でも計画中とのコメントを頂いた。本学の目玉となるよう早く実現しますように.在学中,端末室のインストラクタもしてくれていて,一緒によく食事にも出かけ,25年ほど前に法学部を卒業されたK氏より久しぶりの連絡があった。IT系の仕事に就いていたけど,ご両親の介護もあり,自宅近所の会社での事務仕事をすることにしたと話してたい。齢を重ねれば,やがて,いずこも同じ介護の道・・・


15日 今日も2時起床でパソコンに向かう。センター入試第2日目。数学T・Aの問題[2]の中で,「共分散」の出題があった。数学T(統計)・指導要領の中には「共分散」という用語は出てこないので,驚いてたら,直後に説明がなされていた。でも,この説明で受験生は理解できるのだろうか。平素の大学授業での学生の理解度を考えると危ないな・・・。Webシラバス仮入力。吹雪の中での女子駅伝。来年からは日程をズラしたらどう?


16日 0時起床。少しばかりパソコンに向かって,一旦,2時に就寝。再び,3時起床で仕事を始める。早朝熊谷へ。駅南口近くのコンビニに寄って大学へ。乗車したタクシーの運転手の方が「あのコンビニがあったところは,バブルがはじけるまでは,3階建ての焼き肉店があって,凄く繁盛してましたよ。いつ行っても待ち行列で・・・。おあーなーは荒川沿いのゴルフ場も持ってたし,あの近辺の土地もたくさん持っててね・・・。南口のパチンコ店があったところもそうでしたよ・・・」。驕れる者久しからず・・・。10時前,斎藤学長と高橋総務部長が来室。その後,午前の授業を終え,しばらく研究室で雑務を済ませてから横浜へ向かう。17時過ぎより,インターナショナルコンチネンタルホテル(ヨコハマグランド)で大学数学科同級生の神部社長が起業したソリッドレイ研究所創立30周年記念パーティ。友人にも声をかけたかったけど,神部社長厳選の招待客ということだったので・・・。放送メディア業界・ゲーム業界・VR学界関係等幅広い方々が参集していた。心理学部・櫻井広幸准教授も少し遅れて出席。会社創立の頃から会社にはお邪魔していたので,昔からのメンバーにもご挨拶。パーティの進行はイジりー岡田だった。乾杯の発声は東大教授・河口洋一郎先生だった。久しぶりにお会いした。情報文化学会を立ち上げた頃,よくお会いしてた。20年ぶりだった。学科の青木和昭助教が前任校で所属されていた研究室の東京農工大大学院・藤田欣也教授にもご挨拶した。しばらく,パーティを楽しんだ後,ボクは体調のことを考え,早めに退席。久しぶりの横浜ではあった。帰宅。


17日 1時起床。地磁気が反転(カタストロフ)した数10万年前の年代名について,日本の千葉県に由来する「チバニアン」(千葉時代)とイタリアの「イオニアン」が命名権争いをしているらしい。そもそも欧米中心の学界なんだから,たまには日本に譲れば。高校の同級生・S氏が検査入院で上京すると連絡が入李,会うことになった。お酒はNGとのこと。早朝,熊谷へ。通勤時,眠たかった。天納之士講師が来室して,パソコン設置の件で確認。試験採点があるとのことで,あっという間にソクサリ。夕方,今期の非常勤授業を終えられたS先生が来室。熊谷駅ビルの登利平に出かけてF氏と3人で夕食。S先生の大学では出されるお弁当はいつも登利平のお弁当なのだそうだ。90分で大学へ引き上げる。


18日 2時起床。3時から研究室で雑務。4時過ぎに食事。9時を過ぎるとお腹も空いてくる・・・。12時15分より,環境科学研究所談話会。立正大学カウンセラー・住沢佳子先生による「人型シールPSSによる人間関係理解」。このPSSは住沢先生の特許らしい。13時15分に終了。13時半より,教授会。続いて,16時25分より研究科委員会。18時終了。研究室へ戻ると,F氏が仕事していた。会議中にF社T氏がリクエストしていた(人気のある)F社の今年のポスターを持参してきてくれていた。謝謝。F氏に研究室雑務をお願い。しばらくしてF氏は帰宅。その後,S教授が来室。1964年の冊子「情報処理」Vol.5 No.4(情報処理学会)を戴く。謝謝。京都大・奥川俊二先生の「双児素数について」という小論が掲載されていた。S先生は「双子素数」を(このように命名されている素数の存在なのだろうけど・・・)驚いていた。これについては,最近面白い画期的な結果がでているというお話をさせていただいた。ザン=イータンによる「隣り合った素数の間隔が70000000以下のものが無限組存在する」だ。さらに,これはまだ20代の気鋭の数学者・ジェームズ=メナードによって「600」まで引き下げられている。今週末の出張をO大学F先生に連絡。


19日 0時前に起きてしまった。折角なので少し整数計算。再び就寝。3時すぎから研究室で雑務(That's 無)。卒論発表会が目前に迫り,全員のTeXレジメが仕上がった。後はPPTとリハ。14時半より,品川−熊谷遠隔で情報環境基盤センター管理者ミーティング。16時半に終了。明日の天気が気になる。文科省での天下り。どこの省庁もしているのに,弱いなぁ・・・文科省。今度は再び都庁の天下り問題だな・・・・。ゼミ生の数学演習問題にお付き合いしてから就寝。。


20日 大寒。3時から研究室で元気に雑務。今日,雪は降るのだろうか。レミオロメンの粉雪を聴いた・この曲を聴くとあるひとのことをいつも思い出す。そして,3月9日も・・・。ネットを見ると占いでは「今日は集中の日」らしい。何に集中するかな・・・このままいること寒い冬こえられぬ。昼前に帰京。熊谷駅までタクシーで行こうと思い電話したら,この寒さのせいか全車出払ってて今からでも30分ほどお待ちいただくことになるといわれ,バスで向かう。帰京後,実家経由で自宅へ戻る。自宅で,数時間仮眠後,パソコンに向かう。仮眠中,過去見たことのない変わった夢を見た。21時,所用が再び発生し,実家へ。


21日 3時起床で仕事。体重が何十年ぶりかで55kg台に。喜ばしい,けどすぐリバウンドしそうな気がしないでもない。ひときわ軽くなった身体で京都へ。O大学F教授と学会の件その他でお会いする。このたび名誉教授になられるとのことだった。もう少し早く上洛すれば,雪化粧の京都を拝めたらしい。そういえば,F先生は情報環境基盤センター・M課長のことを褒めていた。先日の京都国際会館で開催されたAXIESで満席のセッションで発表していた「全学クラウド基盤構築への取り組み」はズバ抜けて秀逸だったと・・・。ダイワロイネットホテル四条烏丸泊。


22日 1時過ぎ起床で雑務。しばらくして,LMSにて学生のレポート2課題を採点。それなりに時間はかかった。途中,ホテル1Fで朝食を摂り,8時頃には終了。9時過ぎ調査その他の件で東大路から京大へ。午後はナンかのイベントがあるようだった。ところで,私立中学では,ライバル校を意識して午後入試を始めているところがあるらしい。そのうち私立大学も早朝入試/夕方入試なんかが出てきたりして・・・。ホテルに戻り,LMSで再びレポート評価及びそのフィードバックをUP。夕方,小雨が降り始め,ビニール傘を求めてコンビに飛び込む人々がちらほら。ダイワロイネットホテル四条烏丸泊。


23日 0時少し前起床でパソコンに向かう。FBに面白い事が出ていた・・・・「今年の2月は,日月火水目金土がそれぞれ4日ずつあって,しかも823年ぶり・・・」・・・?と思ってたら,ある意味当たり前・・・。1時間少々仕事して再度就寝。3時に再起床。頭も本稼動。早い午前,所用を済ませ帰京。東京駅着後,実家経由で,12時半過ぎ品川校舎・情報環境基盤センターへ。東川部長としばらく雑談した後,13時半からEP委員会。16時前に終了。センターに戻り,少し仕事。17時前に大学を出て,17時半より,TOSA DINING>おきゃくで高校同級の坂本氏+所用で都内に見えたF氏と会う。著名なワインソムリエでこのお店のGMである高校後輩・濱田千佐氏がお店にいたので少しお話。アルバイト学生は土佐女子高出身者だったので,その学生はボクらの同級生から授業を受けていたとも話していた。高知関係のお店に来ると世間は狭くなる。坂本氏とボクはお酒を飲むこともなく,乳酸菌たっぷりのホット・碁石茶を頂く。20時前にお開き。帰宅。今日は水分を摂りすぎた・・・。


24日 2時半起床。雑務は毎日毎日増えてゆく。某大学某先生の教授昇任の報せが届く。おめでとうございます。早朝,病院へ。検査いくつか。その後,研究室へ。14時半過ぎより,経理部課長によるセンター予算ヒアリング。部課長+課員とともに出席。16時前に終了。その後,所用で熊谷市内へ出かける。ついでに,あるお店で(有名だと評判だったので)お弁当を購入。しかし,最近,人工××料等が入った食べ物には敏感になっている自分からすれば,このお弁当は食べてはいけなかった。体調がおかしくなり(ひどい痒み),半分ほど食べて廃棄することになった。他の食べ物でもこうはならないのに,このお弁当,きっと使用している人工××料等の量が半端ないんだろう・・・。高村元学長から「数式処理ソフトを購入したいけどどのようなものがよいか?」と連絡が入った。ありきたりのMapleもしくはMathematica/Maxima/MATLAB あたりというご返事を差し上げた。大学ではMapleが利用できるとも。高村先生のどういった研究場面で使用するのだろうか?


25日 今日から学内では学期末試験週間。2時半から研究室で雑務。9時,天納之士講師がゼミ実験室のパソコン設置+ネットワーク構築のために来室。お世話になります。その後,事務室へ。トレイに学生部・石松部長よりのお土産・桜えびの舞が入っていた。謝謝。天納氏が設置してくれたパソコン,快適。早速,TeXをインストールしておかないと・・・。学科のコピー機リプレイス時期になったらしい。RISOの印刷機もそろそろのことらしいので,是非検討してもらいたいことがある。現在使用している,印刷機はモノクロなので,利用者によってはカラーでなければならないことを優先してコピー機で数十枚コピーしている。しかし,数十枚の場合,明らかに印刷機の方がコストが安い。この際,印刷機もカラー対応(最近の印刷機のカラーはコピー機に引けをとらない仕上がりだから)にして,しかも,USBもしくはネットをかませて利用したほうが断然よい。印刷スピードもコピー機をはるかに超える。現状では,少なくとも,個人的印刷と大量印刷とは別々に考えて機器を選択したほうが良い。学内の某学部ゼミ大会の時には,コピー機を利用しているらしいけど,なぜネットワーク上のRISO印刷機を利用していないのか不思議・・・。


26日 3時から研究室で雑務。試験週間の成果が建屋内も静か。専門分野は他分野ながら,数学及び数学教育に理解のあるS先生から時々様々なご意見やコメントを戴く。今日もS先生の同級生(数学科出身)で大学数学教育を担当されていたK先生の某紀要原稿を読ませて頂いた。(一昔前の)高等学校学習指導要領批判に始まるものだった。確かに,ボクらの頃は,高校の数学の中で簡単な微分方程式も習ったし,ボクらが学習した数学単元の1/4から1/3くらいは落ちていると思う。運良ければ,大学の授業で習えるくらいだ。担当教員も数学出資者は少なく,数学への興味の薄い教員が担当しているともいえる。しかし,どの教科もそうかもしれないが指導要領の批判より,指導要領の在り方を変えた方がよいのではないかと思う。指導要領をいくつかの2−3位のレベルに分け,高校にそのレベルを選択させて授業を行わせる。午後、何人かの学生が締切遅れのレポートの件で来室。木石の回答をさせてもらった。夜,ゼミ仮配属が決まる。ゼミ生の・M氏の卒論発表PPTを添削。


27日 3時から研究室で雑務。熊谷のタクシーは7時からの営業なので,6:50大学始発のバスで熊谷駅に向かう。東京駅から実家経由で品川校舎・情報環境基盤センターへ。8時35分着。東川部長と峰内課長からある件を含めいくつか報告を受けた。から9時半より,品川−熊谷遠隔で第4回センター運営委員会。欠席学部は2学部。メール更改の件と先月のAXIES出張報告等。10時半に終了。センターに戻る。しばらくして,心理学部・櫻井広幸准教授が来室。先日のソリッドレイ研究所創立30周年記念パーティの話を伺った。僕が早めに退席した後,ビンゴゲームが始まり,ハワイペア旅行チケット2組,プレステ,ロボット掃除機等,豪華賞品が山盛りだったらしい。その後,所用を済ませ,16時からの(品川)予算ヒアリングは部長+課長に一任させていただいて,13時過ぎに大学を出る。新橋で所用を済ませてから帰宅。


28日 2時起床でパソコンの前に座る。3年前の話だそうだけど「光が無限に抜け出せない領域という意味でのブラックホールは存在しない」とホーキング博士が主張しているとのことだ。記事の見出しは「ブラックホールは存在しない」だったので,??と思えて記事を読むと,「光が無限に抜け出せない領域という意味で」と書いてある。量子力学の時代に古典力学のイメージに固執していると誤解してしまう。学内の遠隔システム構築の時にVR関係でお世話になったA社社長だったY氏。昨年癌のために急逝された。そのY氏を偲ぶ会が青山葬儀所で催され,その様子を知ることができた。ボクよりもずいぶん若かったのに無念だったろう。ついに行く道とはかねて聞きしかど昨日今日とは思わざりしを(在原業平)。友みなのいのちはすでにほろびたりわれの生くるは火中の蓮華(川端康成)・・・。天納之士講師より,スパイウェア・Windows10の対処方法が送られてくる。


29日 3時起床。卒論発表会での学生の発表PPT添削。気象予報士試験日。近畿大が大学図書館分室として建設する図書館では,蔵書の3割を漫画2万3千冊で収蔵するということだ。ボクなら引きそうなところだけど,編集工学研究所の松岡正剛所長が監修するということなので安心できる新しい試みかな。曾っての規制緩和で都内の大学が都心回帰がブームだったけど,ここにきて再びバックカレントの様相・・・という記事を見つけた。「政府は有識者会議を設置し,東京の大学の地方移転促進を検討へ」。確かに東京に集中しすぎるよ。ある先生は東京大学高知校を作ってほしいとFBに書いてたな・・・。整数計算成果なし。


30日 2時起床で仕事。某学生からギリギリで送付されてきた卒論発表のPPTを添削。学術会議で議論されている「軍事研究に対し大学はどう向き合うか」だけど,そもそも戦争(軍事)研究で生まれた学問(例えば,OR,暗号(理論),・・・)も洗えば,トリガーとなって国家予算がついて誕生した技術(コンピュータ,GPS,・・・)もある。視点を変えれば,多くの学問・科学が軍事に結び付くといえるのに,要は学術に向かうモラルとか哲学とかの問題だろう・・・。今日から都内のタクシー初乗り410円らしいけど,朝5時台に走っているタクシーは昨日からのクルマだから無理かな・・・?今日の7時以降か?で,乗車してみた。運よく今朝5時出庫したタクシーだった。ドライバーの方から「今日から初乗り410円なんですよ」「昨日からのクルマは730円ですけど」。今日の朝8時には全車410円となるらしい。いつもと少々違った位置で乗車したけど,80円安い料金で東京駅丸の内口に着いた。7時半過ぎ,熊谷駅からの秩鉄タクシーで大学着。研究室に着いて直ぐに学生が来室。締切遅れのレポートの件だった。先日同様,木石の回答をさせてもらった。9時より,情報系研究室合同卒論発表会。ゼミ生・3年F氏が各発表者に盛んに質問をぶつけていた。昼休憩の後,13時半より,品川−熊谷遠隔で大学HP委員会。研究室に戻り,ゼミ生・佐野氏が来室。しばらくお話。尊厳死法制化の是非が議論されている。マズローを出すまでもなく,尊厳死も人間の欲望の一つだと考えると,人間の場合,あらゆる欲望はやがて権利として法制化されるのだろうか・・・。メールシステム更改アナウンスの件で学部長より連絡。早速センターに連絡。


31日 2時半から研究室で雑務。昼間,久しぶりに熊谷市内でいくつか所用。八木橋デパートに初めて入った。閑散としてたけど,最近のデパートはこんなものかな。靴の修理を依頼したら1ヶ月半ほどかかると言われた。予想を大きく上回る遅さだった。一旦大学へ戻り,夕方,ゼミ生3年と熊谷市内・市場の食卓に食事に出かける。食事中,A大学Z教授より,セキュリティポリシーの件で問合せが入る。最近の文科省からの通達によってA第アg区でも制定することになったようだ。20時前には研究室へ戻る。