2016年 9月... more than the greatest love the world has known ...  2 3 4 5

 1日 4時起床で仕事。9月長月。そろそろ夜長を感じるようになるのかな。朝,米原へ向かう。駅到着後,タクシーでCS研合同研修会が開催される長浜ロイヤルホテルへ。12時開始ギリギリに間に合った。合同研修会に参加するのは7年ぶり。懐かしい方々にもお会いできた。久しぶりにお会いしたCS研会長の明治大学・阪井和男教授の挨拶で始まり,地域活性化総合研究所・福山宏氏による「被災地での活動の振り返り」,富士通九州システムズ・田口雅晴氏による「震災とICT−熊本地震を振り返って−」の特別講演。次にワークショップ。まず,東海大学・會澤信氏による事例紹介の後,富士通総研・古本勉氏による8グループに分けてのワークショップ。16時15分に終了。結構ハードだったけど,スケジュールがタイトで時間が少なかった。ワークショップをすると「研修」って感じがする・・・・。続いて,賛助会員16社によるITソリューション紹介。18時に終了。プレゼンに見えていたNDP社・T社長にご挨拶。ルームインの後,18時半からバイキング夕食を兼ねた懇親会。参加者は190名と多かった。某社部長から「大学入試新テスト、記述式問題の実施・採点方法の検討進捗状況」も伺えた。二次会は遠慮し,帰室後,退院されたS先生より人事案件の連絡。長浜ロイヤルホテル泊。



 2日 6時にお願いしていたタクシーで米原駅へ。名古屋駅経由で帰京。実家へ。その後,S先生と新橋・美々卯で2時間ほどお会いする。久しぶりの新橋店。マネージャが新宿店にいたY氏に交代してた。その後,再び実家へ。そして帰宅。


 3日 4時半過ぎから外出。実家経由で帰宅。今はもう存在してはいあないと思うけど,昔,青数協(青年数学研究協会)という団体があった。主に東大在籍学生を中心とた高校生等も活動する数学愛好家の30名弱の団体だった。40数年前の青数協同人誌(セミナー・ノート Selections)を書棚の奥から探し出した。なぜかというと,今読んでいるW.Narkiewicz著−N訳「素数定理の進展(上・下)」(丸善)の訳者の名前に青数協メンバーの中に見覚えがあったからだ。やはり間違いなかった。当時,N氏は東大医学部の学生で,セミナー・ノートで発表している整数論の研究ノート数編を読みながら,−面識がないながらも−何故数学科に進まなかったのだろう・・・もったいない・・・と思ったものだ。メンバーの何割かはすでに著名な数学者/物理学者/医学者等として大成している。N氏の訳者紹介欄を見ると,その後,医学部を卒業し,さらに物理で院を修了し,現在はある大学の教授をされていた。ネットでN氏の出身高同窓会報などを読むと35歳から数学を始めたとあった。他人の人生をとやかく言うべきではないことは承知しているけど,N氏が29代から30代前半を数学の世界で生きていてくれたらいくつかの数学シーンも変わったのではとも思う・・・。過ぎ去った日々に「もしも」が適用されないことは自明の理だけど。


 4日 昨日の続きで,。「もしもあの人が数学を続けていたら・・・」と回想。やがて追憶となる。我ながら暇なことしてるな・・・。


 5日 3時起床で仕事。品川校舎へ。今日も情報環境基盤センターはロックされてて入室できなかった。9時半過ぎにN課員が出勤してくれたのでやっと入れた。センター内で所用を済ませ,10時過ぎから合同EP委員会&作業。12時頃終了。会議弁当はもも天豚ロース生姜焼き(弁当)[756円(税込)]。一緒に作業していた先生方からMaple T.A.や無償ソフトとなったSASの近況を伺った。卓越した統計ソフトSASの無償化は正解だったと思う。SPSSのように元来フリーで普及し評判の良かったソフトが,その後有料化され,さらにIBM社に買収されてから,さらに利用料金が2・3倍に跳ね上がり(サービスが低下し),最近(販売実績も利用者数も)衰退の一途をたどっている事実を示せばわかりやすい。ついでに,IBM社のソフト買取の実績を見ると,買い取った後,そのソフトは値上がりをし,やがて売れなくなり手放すという気がしてならない。大昔に高い普及率を誇ってたLattice-Cのときもそうだった。その後,センターへ戻り,雑務の後,あおい書店に寄って帰宅。ここは,いつも1週間前に発売された売れ残りの週刊誌を平気で並べている。すでに,今週発売の週刊誌が発売されているにも関わらず。バックナッバーとして置いてるのか・・・・。


 6日 今年でダダイズム100周年。ダダのジャーナル無料DLサイトを見つけた。今朝も,品川校舎の情報環境基盤センターへ。今朝は昨日と違い,すでに開いていた。M課員しかいなかったので,M課員が開けてくれたようだった。大学近くのファミリーマートで偶然会ったB大学E教授とセンターでしばらく四方山話等。所用を済ませてからE教授とともに赤坂・祢保希でかなり遅い昼食。Aランチを頂いた。しばらくして小笠原・父島から帰港したF氏も交えてカメリアで小1時間喫茶して帰宅。F氏から小笠原名物・亀カレーを頂く。謝謝。帰宅後即就寝のところ,熊谷(石松学生部長,情報システム課・N氏+H氏,F社I氏等)からお誘いの電話が入る。少々離れすぎていることもあり,皆の衆にはご遠慮申し上げた。メンゴ。


 7日 早朝熊谷へ。天気予報では自宅近辺は雨だったけど,まだ降っていなかった。大宮駅までは曇天。しばらく過ぎてから土砂降り・・・と思っていると乾いた道路が見えてきたり,熊谷まで雨に濡れた風景とまったく濡れていない風景が交互に続く。熊谷は雨で濡れていた。8時前に研究室着。机の上に,李盛源先生からしろえび小判あらびきコショウ味のお土産,関根一希先生からロシアのお土産・チョコレート菓子が置かれてた。謝謝。その後,所用でAC事務室へ。石松学生部長より石松農園で獲れた新生姜と根生姜を沢山頂く。謝謝。ところで,昨日の熊谷の件は,石松部長自身も帰宅途中に呼び出されたとのことだった・・・。10時半より学科会議。12時40分に終了。14時より大学院専攻会議。15時に終了。小池都知事が給与半減改正案を提出したことで,都議会議員報酬が問題になるようだけど,8月17日の日記に書いたように,これだけは言える。私立大学教職員99.9%の(本務校から支払われる)年収において,定年までに頂ける年収最高額よりも都議会議員報酬は上に位置している。


 8日 4時過ぎから研究室で雑務。午前帰京。実家経由で教育改革ICT戦略大会が開催されている私学会館アルカディア市ヶ谷へ。休憩時,大会運営委員の友永昌治図書館長と会う。午前中は座長を務められたということだった。午後の後藤真太郎教授(+北沢俊幸+山下倫範+小松陽介)の発表等を聞き,しばらくして私学会館隣のコンビニで夕食を購入。いざ家路につこうとしたら,後藤先生から電話が入り,新橋・美々卯へ一緒に出かける。東大在学中のご子息を数学者としてどう育ててゆくかで,二人で熱い議論。共通の知人である数学研究者等も複数人登場して面白かった。


 9日 重陽の節句。早朝,熊谷へ。7時半過ぎ研究室到着後,8時より12時まで担当ルーム生の面談。20名中10名が見えた。WebClassで利用している学習カルテメニューを一部追加修正。


10日 4時過ぎから研究室で仕事。TeXでの可換図式で使用する左向き丸矢印の位置で一苦労。7時過ぎ,5000通もの(迷惑)メールが飛び込んできた。いつものことか・・・。メーラーがおかしくなった。午前,帰京。新幹線東京駅着は遅延。実家経由で帰宅。帰宅後も研究室で受信していた5000通のメール処理で一苦労。年に1・2回しか発生しない現象だと説明を受けていたのに・・・。どうしても騙された感が。


11日 人生の半分はどのあたりだと感じるのか?で,ジャネーの法則での計算考えてみた。人生の後半も後半いいとこだった。15年前,WTCでのテロ時,熊谷校舎近くに住む数学科後輩が現場に居合わせ,国際電話をもらった。彼はしばらく帰国できなかった。それまで毎年のようにNYに出かけていた彼は二度と米国で休暇を楽しむことはなくなっていた。


12日 今日は新聞休刊日らしい。昔,新聞配達をしてた頃,こんな日の前日は喜んだものだ。都庁予算の異常すぎる様々な問題,明らかに天下り/わたりを見据えて(出向先での便宜供与/年収確保)のものだと思う。都議会議員もその業界に群がり,彼らもまた都庁職員の退職後のお世話をせっせとしているように見える。都庁職員+都議会議員+関連業界の互助会図ができているんだろう。今,都議会議員や業界団体がまったく静かなのは当面の証拠隠滅を粛々と進めているためのような気もする。10時前,所用で品川校舎情報システム課へ。11時,B大学E教授が所用で来校。12時半,研究室のF氏が研究室雑務の件で来校。その後,コンビニでビニール傘を購入,遅い昼食に出かけて帰宅。腰痛。帰宅後雨が降り出す。


13日 よく眠れない。睡眠不足。肩凝り。10時半過ぎ,品川校舎・情報環境基盤センターへ。昨日,大学を出た後,友永昌治図書館長が見えたとのことだった。東川部長といくつか打合せの後,14時より,第2回立正大学教学情報化推進委員会。終了後,永井学長補佐+東川部長+菅野課長と熊谷案件のご相談と打合せ。センターへ戻り,F氏より研究室雑務の進捗状況の連絡を受けて帰宅。


14日 早朝,新大阪へ。一先ず,数学ソフトウェアとフリードキュメント XXIII(日本数学会)の開催される関西大・千里山Cへ。三井ガーデン大阪淀屋橋泊。


15日 久しぶりに,ガーデンホテルの朝食バイキング@味菜蔵を食べた。1360円。以前の営業は朝だけだったけど,昼夜も営業していた。その後,ラウンジにあるPCでメールを確認し,日本数学会・秋季総合分科会@関西大(第1日目)へ。代数分科会には興味ある題目はなかったのでグラフに近い話題のあった応用数学分科会あたりを散策。三井ガーデン大阪淀屋橋泊。


16日 日本数学会。秋季総合分科会@関西大,第2日目。今日は可換環関係の題材がいくつかあったのでそちらに赴く。早めにホテルに戻って整数計算。三井ガーデン大阪淀屋橋泊。


17日 日本数学会。秋季総合分科会@関西大,第3日目。I先生によるいつもの完全数の話題を拾う。明日の4日目には参加せず帰京。今回は体調も良くなかったので関西の友人等と会うこともなくアルコールもなく静かに過ごせた。それで正解だった。帰京後,実家へ。その後,事前に連絡のあった卒業生・毒島氏と赤坂・祢保希で2時間ほどお会いして帰宅。相変わらず元気だった。


18日 午前,IIIAR研究会で品川校舎へ。情報環境基盤センターにはM課長+S課員が出勤していた。ネットワーク工事関係での出勤だった。研究会その他が終了後。B大学E教授と都内で1時間ほど食事して帰宅。


19日 敬老の日。午前,熊谷へ。F氏も小笠原研究出張のとりまとめで研究室に来室。午後,数学科同級生O氏より,10月8日に津田塾大学での第27回数学史シンポジウムで研究発表をすると連絡が入り,お誘いを受けた。元気そうだった。飯高先生もスピーチするようだ。この前の数学会と同じネタかな?


20日 4時から研究室で雑務。今日が補正の締切だった。今度の日曜日の入試業務の件で種々連絡。早い午前に帰京。実家経由で品川校舎・情報環境基盤センターへ。F氏も所用で品川校舎へ。久しぶりにI大学T教授,R大学W先生もセンターに見える。しばらく四方山話。両先生とF氏とで食事を摂り,台風接近で早々に帰宅。後で,今日2つの委員会開催があり失念していたことに気付く。申し訳ありませんでした。


21日 10時,自宅からF氏に研究室雑務を遠隔で依頼。昨日連絡を受けていた同僚の某先生・ご尊父の訃報が入る。ご冥福をお祈りいたします。


22日 秋分の日。体調がますますヒドくなる。気分転換に某数学論文4頁ほどをTeX入力。続いて琉球大出張の準備。


23日 秋の長雨。だから九月のことを長月という。それにしてもよく雨降りが続く。自室で転寝。研究室で仕事しているような幻覚にとらわれた・・・・。一炊の夢とでもいうべきわずかの間のことだった。ところで,霊界に夢という概念はあるのだろうか・・・・。ネット調べてたら・・・・


24日 夕方,学科同窓会の件で幹事の仲谷貴志氏+川中子渉氏と赤坂・祢保希で会う。同窓会運営にはそれなりに難しい面もあるな・・・。二人とも遠路はるばる都内まで出かけてきてくれた。謝謝。途中,今年度卒業生の小久保雅人氏に連絡をとりアドバイスを頂く。帰宅の時間もあるので,19時半にお開き。


25日 3時起床で雑務。熊谷校舎でのAO入試日。人生に「たられば」はない。「もしあのとき・・・だったら」に拘泥し続けると,今の自分も否定しなければならなくなる。早朝熊谷へ。8時前に研究室着。地理学科M教授と雑談の後,9時半より入試業務。昼食休憩をはさんで14時半過ぎに終了。石松学生部長からのお土産・黒あめ那智黒を頂き,研究室へ戻る。謝謝。そして,CS研の案内を読んでいたら,久しぶりに「橋本メソッド」という言葉を見つけた。さかのぼること20数年前,情報文化学会立ち上げ時,学会内でことあるごとに情報文化論を熱く語ってくれた岡山大・橋本勝教授のメソッドだ。懐かしかった。


26日 3時過ぎから研究室で雑務。早朝大学を出て,実家経由で10時に品川校舎・情報環境基盤センターへ。センター内で所用を済ませ,11時からEP委員会。14時半に終了。センターへ帰室。しばらくして久しぶりに友永昌治図書館長とセンター内で一緒になる。16時半までセンター内雑務をすませ帰宅。体調がよくないのでしばらくして即就寝。


27日 自宅で静養。研究室のF氏より天納之士講師より巨峰を頂いたとの報告や研究室雑務で問合せあり。


28日 早朝熊谷へ。7時半過ぎ研究室着。F氏は始発のバスで来校し,すでに仕事を始めていた。机の上に,T大学S先生からのお土産・万能塩鰹茶漬けが置かれていた。謝謝。昨日頂いていた巨峰を口に入れる。しばらくして,ゼミ生3年・山口氏より愛媛のお土産・一六タルトを頂く。昔,松山に住んでいた頃によく食べた。謝謝。昼,FJM社が異動のご挨拶で来室。Tさん,長く本学をご担当いただきありがとうございました。


29日 3時過ぎから研究室で雑務。ゼミで久しぶりに4年生に会う。横書き文書を「、/。」とするか,もしくは「,/.」「,/。」で記述するかについては,数多の議論があるけど,内閣官房長官発「公用文作成の要領」(依命通知)(ここでは「,/。」)に準拠すべきだと思っている。30数年間,学生にはそのように指導してきた。今日,裁判文書もそれで統一されていることを知った。したがって,弁護士の書く文書も,裁判文書と同様「,/。」であるということだ。


30日 1時半から研究室で雑務。午前,帰京。実家経由で品川校舎・情報環境基盤センターへ。所用を済ませ,12時からEP委員会作業。終了後,センターへ戻り所用。友永昌治図書館長も見えた。17時前,ゼミ卒業生で,現在シンガポール国立大学に研究滞在中の高科直氏と新橋・美々卯で会う。昨日帰国し明後日シンガポールへ戻るそうだ。しばらくして,3年・F氏も駆け付けたので3人でうどんすきを食べる。途中,高村弘毅元学長から電話。品川で鰻を食べてるとのことだった。ボクもご相伴にあずかりたかった。2時間半ほど3人でお話をし,喫茶に出かける2人を見送って,ボクは帰宅。キャスター降板関係の記事を読んでいて「卑怯者を探す愚かさ」という記事を見つけた。引用すると,『いやいや,そりゃあ,卑怯者はいるでしょう。当たり前です。この世から犯罪はなくなりません。ぼくらは,それを前提に社会を作っていかなくてはいけないのですよ,制度を作る以上,一定の不正は,「必ず」あります。「本当は弱者のふりをした卑怯者は混じっていないのか?」というのは,まさに愚問です。そりゃあ,いますよ。社会というのは,そういうものです,特別なことではない。恐ろしいのは,そういう一方的な「処罰感情」が,ほんとうにサポートを必要としている人を萎縮させ,孤立させてしまうことです。・・・』。これを書いたイケダハヤトのプロフィールを拝見すると,東京での暮らしを離れ,現在高知県に住んでいるという・・・。そのライフスタイルにも共感を覚えた。