2015年 2月 ... it's a sin to tell a lie ...  2 3 4

 1日 あるアドバイスから無為に暮らした感のある睦月を過ぎてやっと如月。成績処理を少しずつ始める。



 2日 5時過ぎ所用で実家近辺まで出かける。早朝から冷たい風が強く吹いていて寒かった。よくない癖というか,ナンというか,しなければいけないことが山積のときに限って,それとは関係のない整数計算をしたくなる。いけないことだと思いつつ,今日も仕事の途中から,成績処理そっちのけで整数計算に没頭・・・。よくないことと思いながら,よくないとも思っていないから,いつまでもこんなこと続けているのだろう・・・。


 3日 節分。入試第1日目。9時半過ぎに品川校舎へ出かけ,入試業務。終了後,直帰。帰宅後,整数計算を続ける。ここ数日こんな日が続くかな。福沢諭吉翁の命日。


 4日 立春。−袖ひぢて むすびし水の こほれるを 春立つけふの 風やとくらん−。しかし,明日は雪降る日らしい。入試第2日目。3時起床。久しぶりに朝食を摂る。今日も9時半過ぎに品川校舎へ出かけ入試業務。終了後,直帰。昨日同様に過ごす。


 5日 5時過ぎ,実家へ。所用を終え,7時前に自宅へ戻る頃には小冷雨がパラつき始めていた。雪になるのかなぁ・・・。夏なんかだと,気温を数度下げるプロジェクトとして打ち水を一斉に行うというイベントが地域ごとに催されているけど,こんなとき,一斉に広い空き地で100mおき位で大々的に焚き火プロジェクトをすると気温が数度下がって降雪がなくなったりするのでは?と思ったりする・・・。打ち水のときと違って誰もしないのは,消防法なんかに抵触するからなのかな・・・。入試第3日目。昨日同様品川校舎に出かけ,入試業務。18時半前に終了。終了後,五反田駅近くの東海酒家に出かけ,食事して帰宅。降雪積雪予報が当たらなくてよかったよかった。


 6日 遅い午後,急用で品川校舎情報メディアセンターへタクシーで向かう。滞在時間15分強で所用を済ませ,タクシーで帰宅。センターのスタッフよりお土産にみかん5個を頂く。謝謝。


 7日 夕方,大学院口頭試問を終えた千葉商科大学上山俊幸教授と新橋・美々卯で会う。その後,上山先生とともに美々卯・新宿店へ。そこで,福島大学・中村洋介准教授が主催した学科卒業生・M氏の入籍祝いの席へ。M氏のご主人,卒業生のI氏,渡来靖先生,白木洋平先生,学部事務室・田中宏和氏が集まっていた。お店のYマネージャから,全員にお祝いのシャンパンをサービスして頂いた。謝謝。


 8日 少し遅めの朝,熊谷へ。9時,研究室着。引っ越し等で何人かの方々が作業をしていた・・・。そういう季節なんだ・・・。あることに気付いた。なんだか自由になったような解放された気分・・・。


 9日 朝6時過ぎ,学部事務室へ出かけ,トレイの確認。学生部・石松部長よりのタイ出張のお土産・ドライマンゴが入っていた。謝謝。夕方仮眠をとっている間に,4年・T氏よりDEMELショフィンガーが届いていた。有り難く頂きます。謝謝。21時から研究室で仕事。久しぶりにTeXで。故・永田雅宜先生の誕生日だった。亡くなられて6年半・・・。


10日 冬はつとめて。・・・。のいと白きも,またさらでもいと寒きに,エアコンなど急ぎおこして・・・。寒い寒い・・・。10時半より学科会議。13時40分に終了。昼食休憩を挟んで,14時半より大学院専攻会議。30分強で終了。研究室へ戻り,本年度の学部FD活動報告書の作成に取り掛かる。夜,白木洋平先生と熊谷市内の豊年万作・左門で2時間ほど食事して,再び研究室へ戻る。


11日 建国記念日。3時過ぎから研究室で仕事というか雑務。昨日から始まっていた研究棟内のドラフトチャンバー工事。昼過ぎ頃から若干騒音が出たけど,−事務室から言われてたほど−あまり煩く感じることなく本日の作業は終わっていった。


12日 1時半過ぎより研究室で雑務や仕事。2月中旬に入れば3号館4階も夜中は静かになる。学部事務室・田中宏和氏より,江戸り彩おかきを頂く。謝謝.10時半より,学部教務委員会.11時40分に終了。その後,高知から届いた無農薬ぽんかん(小玉)5kgを周りにお裾分けしてから,学部長室へ。所用を済ませ帰室。しばらくして,SkypeでA大学Z教授とICCAT2015のSpecialSessionの打合せ。夕方,1年・K氏が提出ノートを取りに来室。TPPによって,私権である著作権の侵害罪が非親告罪になるらしい。よけいなお世話という気がしないでもない。もしそうなったら,国内の教育・研究の現場は少なからず混乱するだろう。夜,熊谷市内の軍鶏吉でM学部長,山田淳一先生,白木洋平先生,李盛源先生とともに,学事課・高橋和子課長を囲む会。2時間半ほどで二次会へ移動。二次会は一昨日出かけたご近所の豊年万作・左門へ。ここでは−「は」というか「も」というべきか−,高橋課長は「顔」だった。で,お店から日本酒1本サービス頂いた。流石リューセキながれいし。ここでは山田先生の教え子がアルバイトしているとのことだった。1時間ほどでお開き。内3名は大学へ戻る。


13日 3時から研究室。13日の金曜日で赤口。今年はさらに3月,11月と2回あって両日ともに大安。結局,終日なんやかんやで研究室で雑務。


14日 1時から−久しぶりにradikoを聴きながら−研究室で久しぶりの某原稿を書きながら過ごす。本日で,熊谷キャンパス連続滞在7日目。午前から大学院2月入試と学科有志会が始まる。学部事務室の個人トレイにベトナムのお菓子が入っていた。誰からは不明だけど,たぶんきっと石松学生部長・・・。謝謝。15時半過ぎ,臨時研究科委員会。すぐに終了。帰室後,しばらくしてから帰京。帰京の新幹線で大宮から乗車された福島大学・中村洋介准教授と偶然でなく必然的に3号車でバッタリ。中村先生より大変珍しい茜霧島と赤霧島を頂く。謝謝。東京駅で待合せをしたS先生とともに3人で,実家経由で赤坂・祢保希へ向かう。皆で竜馬鍋を食べる。祢保希・赤坂店は5月から半年間大幅改装・建替えのためお休みするそうだ。赤坂店はビル1棟そのものだから時間がかかるのだろう。その後,ケントスへ。ボーカル・ボビーのお誕生日で,昔のバンド仲間が飛び入りで順次ボーカルをつとめてた。そしてひさしぶりぶりの自宅へ。


15日 3時起床して,昨日日本女子大のS先生よりお送り頂いていた「國文目白」第53号−田中功名誉教授追悼号−を読み始める。パソコン利用技術学会で常任理事や論文誌編集委員長を永く務められ,一昨年の春,癌のため亡くなられた。遅くなったけど,論文誌で追悼号を発行するにあたっての資料の一つとして送っていただいた。早朝実家へ。9時過ぎに自宅へ戻り,再び追悼号を開く。


16日 本学の源流・飯高檀林の宗祖・日蓮聖人の誕生日。早朝熊谷へ。東京駅の上越・長野・東北新幹線ホーム(20・21/22・23番線)では6時前の段階では22・23番ホームがいつも空いている。でも,20−23番ホームで6時前の段階で開いているキオスク(6:10からの営業だけど,いつも5:50頃には営業を始めてくれている)は22・23番ホームの2号車付近だけで,他は6時40分からの営業となっている。なぜ乗客数の少ないほうのキオスク1店だけを優先的に開店させているのだろうか。今日はいつもより,車内のスキー客が多かった。7時半過ぎ研究室着。13時半より,学内で研究出版倫理セミナー&エルゼビアの電子ジャーナル利用法を受講。終了後,事務室前を通りかかったところで,石松学生部長に呼び止められ,先日頂いたベトナムのお菓子の食べ方について説明を頂く。やはり石松部長からのお土産だった。あらためて謝謝。


17日 1時半過ぎから研究室で雑用その他。Adobe社のソフト,今に始まったことではないけど,パンピーにはあまりに高価・・・タカビーだなぁ・・・。激おこ。本大学でも,Adobe製品はホンのわずかしかライセンス契約していないのも頷ける。NPO法人等は特別割引してくれているんだから,せめて教育機関での利用は安くしてほしい。夜,心配な話を伺った。


18日 少し遅めの3時から研究室でFD活動報告(案)作成作業。13時半より教授会。終了後,環境科学研究所臨時所員会議。引き続いて,大学院研究科委員会。その後,研究科委員会FD懇談会。16時45分頃終了。研究室へ帰室すると,ゼミ実験室で,4年・丸山拓己氏が仕事していた。18時,丸山氏と豊年万作・左門へ出かけ食事。お店で,先日お世話になったスタッフ・Eさんや,大学院・M2・T氏に会った。驚き。サービスして頂き,さらに恐縮。2時間半ほどで,丸山氏とともに大学へ戻る。丸山氏はゼミ実験室へ,僕は研究室へ。


19日 雨水。土脉潤起。今日も少し遅めの3時半から研究室でもろもろの雑務。10時−来年度からのシラバス記載は第三者による点検が入ることになり−その添削結果を事務室へ受取りに。結果を見て,う〜ん・・・。亡くなられた某先生の業績リストを一つ一つ詳細を調査しながらの確認作業。記載が不明瞭で確認することができないものもいくつか・・・。眼も手も疲れた・・・。今日も,4年・丸山拓己氏がゼミ実験室に見えたけど,夕方には,教習所へ出かけた。既に1年のときにオートマで免許は取得しているのに,内定企業からの指示でマニュアル免許を取得しなければならなくなったとか。時期が時期だけに実習の予約をとるだけで四苦八苦しているとのことだった。19時半過ぎから研究室で少し仮眠をとり,23時前から研究室のパソコンに向かう。


20日 前日からそのままradikoを聴きながら作業・・・と思ってたら,やはり耳には煩くて,ながら族はとり止め。10時過ぎ,今日も4年・丸山拓己氏がゼミ実験室に来室して作業。ボクは昼前に帰京。実家へ。その後,某先生と美々卯・新橋店でランチする。お店で今年初めて坂本さんに会った。ここでは,某先生にご馳走していただいた。お礼に京橋店に出かける。今日は1階に若松係長がいた。いつも1階で見かけるスタッフから「私の父も立正大学卒業なんです。」と声をかけられ,少しお話。


21日 久しぶりの自宅でゆっくり過ごす。しかし,一日が終わる頃,無為に過ごした一日を反省。後悔先に立たず。


22日 再び木曜日に続けていた作業に戻る。確認しながらの作業は,いまさらながら大変だ。でも,これもナンとかのため。作業中の息抜きにネットサーフしてたら,某大学某先生がノオミ=ラパスによく似ていることに気づいた。早速報せてあげる。以前から噂されていた私学助成がさらに厳しくなるようだ。私学経営はさらに厳しくなる。以前から想定されてたことなので,これに対応すべき準備をしてこなかった私学経営陣はどのような財務感覚なのだろう。


23日 2時起床で仕事。昼前,やっと確認作業が終了。そして,午後は所用で出かける。この時期にしては,暖かすぎ・・・。17時半,所用を終え帰宅。今年のアカデミー賞が決まった。助演女優賞のパトリシア=ア−クエットはドラマシリーズ「霊能者 アリソン・デュボア」で主演していたのででナンとなく親近感を覚える。このドラマに興味をもった理由は,実在している霊能者だということと夫が実際に数学者だということだった。ちなみに姉のロザンナ=アークエットは(「シェーン」のリメイクといわれるB級映画?)「ボディ・ターゲット」で昔一度拝見しただけだ・・・。


24日 早朝熊谷へ。今日の新幹線は混んでいた。学生にとっては春休み本番か。駅から乗車したタクシーの運転手はピッカピカの新人だった。礼儀正しかった。でも,ガッチガッチの安全運転で少々イラだった。しかし,(当然のことながら,ゆっくり走行を)ドヤすわけにもゆかず,それでいいんだろうと諦めた。大学へ着く前に寄ったコンビニでは,白木ゼミ・4年のA氏がレジでアルバイトしてた。7時40分研究室着。13時半より,グラグリッド三澤直加氏による「学びを加速させる視覚化の方法」のワークショップに教職員+院生等ともに参加。三澤氏は産業技術大学院大学でも教えられているようで,今度知り合いにも聞いてみよう。お手伝いには,ボランティアで常葉大学の女子学生の方々がレコーダー&ファシリテータ役で見えていた。とて1年生徒は思えない優秀な&出来る!学生さんばかりだった。あなおそろし。最後は皆で記念撮影をして17時に終了。夜,参加者有志っていうわけではないけど,後藤真太郎教授,李盛源先生,事務室・田中宏和氏で豊年万作・左門へ出かける。後藤先生が帰宅された後は,大学へ戻り,研究室で3人で雑談。


25日 昨晩(というか今朝)が遅すぎて,研究室で仕事を始められたのが朝5時30分から・・・。9時,久しぶりに帰省から戻ってきたF氏来室。研究室雑務をお願い。謝謝。その後,MediaDEPO導入済のパソコンを借りに授業支援室へ。その帰りに事務室へ寄る。そこで,学生部・石松部長より高松出張のお土産・くつわ煎餅を頂く。野球部の高松合宿に出かけられていたとのことだった。謝謝。16時10分より,第5回情報メディアセンター運営委員会。18時10分に終了。情報倫理規程違反の件が主だった議題。研究室へ帰室後,しばらく雑務してから仮眠。


26日 0時過ぎから研究室でボチボチ仕事を始める。9時半過ぎ大学を出て帰京。雨が降り出し始めた。帰京後,実家経由で祢保希・赤坂店へ。千葉商科大学上山俊幸教授,NF氏と日替わりランチを摂る。


27日 以前取り掛かってそのままにしてた整数計算に再び没頭。そのことに関してある不等式を示すことはできたけど,その整数計算のゴールに有効かどうかは不明。不等式も評価を厳しくしていないので,用いるたびに議論に少しずつ影響がでてくるのかもしれない。ただ,数10年,この不等式を思いつかなかったことが口惜しい・・・MAPLEのメルマガで「守谷良二先生作成の,Maple初心者向けテキストの続きがアップされました。今回は,線形代数編です。(2)を掲載致します。・・・行列の練習問題と解答も付いています。」と流れた。ボランティアとはいえ,大変な作業だと思う。


28日 2時起床で,再び整数計算。昼,S先生と新橋・美々卯でランチを摂りながら2時間ばかりお話。その後,実家へ寄り,喫緊の所用を済ませてから帰宅。先日公開された文部科学省の「平成26年度『設置計画履行状況等調査』結果」。今年は例年になくマイナーマスコミの反応が大きかった。その中に「意外!出席状況を成績評価基準にするのはNG」というコメントがあった。(文科省がそのように厳重注意するのは)当たり前だろう。現在,立正大学でもシラバスに記載させたりしているけど,なかには勘違いする学生も現れ「真面目に出席していたのに落とされた」と主張する学生が以前からいる。その授業での成績は(多分)試験やレポート等で評価されるものだから。『出席』を前面に出すのはおかしい。教員側にも責任はある。『出席点』なるものを公然と学生に発表しているからだ。逃げるニ月も終わりか・・・。