2013年 8月 I just called to say I love you ... And I mean it from the bottom of my heart ...  2 3 4

 1日 ほとんど寝ないまま研究室で朝を迎える。7時過ぎの研究棟玄関の気温は23.8度,湿度93%,気圧999hPaだった。早朝のQ&Aアワーを終え,整数計算をしながら帰京。実家へ寄ってから帰宅。昼,数学科同窓の講師+元社・Y氏と美々卯で昼食。その後,ホテルオークラ別館・カメリアへ寄って帰宅。



 2日 早朝,所用で出かけ,10時半に一旦帰宅。高松出張の日程が決まる。整数計算で一日が終わる。


 3日 柏の寓居へ。夜一旦帰宅。


 4日 早朝,母と一緒にタクシーで柏の寓居へ。乗車したMKタクシーBMWで乗り心地はそれなりによかった。先日京都でMKを利用した際にはMKポイントカードがあるとかでカードを交付してもらったけど,ポイントカードは東京だけないらしい。20分ほどで着いた。早い。その後,墓参に出かけ,再び,そのタクシーで帰京。


 5日 久しぶりに実家へ寄ることもなく,地下鉄で東京駅へ。7時半過ぎ研究室着。学生に課している課題の一部は学内専用イントラネットでしか検証できないので,じっくりと提出課題の検証。夜,学生部・石松部長+白木洋平先生+学部事務室・田中宏和氏+職員のT氏とで鳥きちへ出かけ食事。その後,1か月前のことはおいといて,皆でDjangoへ出かけて,大学へ戻る。


 6日 3号館4階は7時から廊下のワックスがけが始まった。ワックスがけの後,乾燥するのに扇風機を使っても1時間ほどはかかるということだから,早朝からとりかかるのは正解なのかもしれない。清掃の方が,各?研究室へ「早朝からご不便をおかけします」とご挨拶に見えた。8時よりQ&Aアワー。途中(昨晩はほとんど寝ないままでパソコンに向かっていたので),小1時間ほど横臥。夕食は研究室でコンビニ弁当を摂る。


 7日 立秋。「秋きぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞおどろかれぬる」(藤原敏行),「秋来ぬと合点させたる嚔(くさめ)かな」(蕪村)。諸事多く終日研究室で過ごす。隣の研究室では4日間の「セミナーの基礎」が始まってるようだった。「秋・・・隣は・・・する人ぞ」(ばせを)。はるか昔のゼミ卒業生からFB経由で連絡が入る。元気そうだった。


 8日 5時50分,前日から予約していたタクシーで熊谷駅へ。6時過ぎの新幹線改札口はまだ閉まっていてすでに20人くらいの行列だった。その内,4・50人ほどになり,6時15分に改札がオープン。乗車すると,高崎始発のたにがわ470号はほぼ満席。座れない人もそれなりにいた。だから,皆,早くから並んでいるんだなと納得。ところが,もう一つ。大宮駅到着5分ほど前に乗降扉のところに結構人が並んでいて,それは不思議には思わなかった。ところが,大宮駅で扉が閉まっても行列はそのまま。20数分先の上野駅で降りるのに大宮駅到着前から並んでいるなんて・・・・。初めての光景。乗り継ぎの連絡電車の発時刻が結構タイトなんだろうか。東京駅へ到着後,実家へ。その後,自宅へ。10時半過ぎからのEP委員会@大崎校舎の準備を少々。その後,大崎校舎へ出かけ委員会作業。14時に終え,M名誉教授と近くの書店に寄って帰宅。


 9日 以前から気になっていた書籍を購入することができたので早速読んでみる。ある程度は予想される内容でもあったので40分ほどで読了。何かを明白に主張しているというよりは,レポート感想文のような気がしないでもなかった。


10日 早朝実家へ。帰宅すると,もう6時過ぎだった。2期の授業資料の作成を少々。そしてBeamerを少し勉強してみる。すんなりとはゆかなかった。


11日 早朝,JICS関係の編集作業。午前,EP委員会関連作業。午後,某原稿に向かう。16時前,雷鳴と雷雨。もうしばらく降っててほしかった。ふと,ヨハン=シュトラウス2世の「雷鳴と電光」を思い出したので久しぶりに少し聴いてみた。雷といっても俳句の季語では,春だと春雷,夏だと雷,遠雷,軽雷,秋だと稲妻,冬だと寒雷・・・。この雷はさしずめ稲妻というべきだったか・・・。


12日 今日も,早朝からEP委員会関連作業。遅い午後,所用で外出。所用を終えた後は実家へ寄って帰宅。高知の江川崎で最高気温の歴代記録が出たけど,その内全国至る所で記録更新が始まるのではないだろうか。久しからざる「(日本一の)暑さ」自慢もはかなきものにて,かく程なくうつろひさぶらふなり・・・(熊谷?拾遺物語)。けふもよひのしじまをうがついなづまとしゃぢくのやうな雨。


13日 亡父の三回忌。昼過ぎ,パソコンに向かって仕事していると,大学教授よりSkypeが。先生とゼミ中だということで,K先生等のお姿も見えた。炎暑の日にお疲れ様・・・。Z教授とJPCATS大会関係のお話を少々。午後,実家へ出かけ,亡父三回忌の回向。夕方,情報メディアセンター長+講師+Z教授+大学後輩のX社・N氏と新橋・美々卯に集い,炎夏の小宴。その後,赤坂・祢保希へ。


14日 アタマの中に昨晩の残滓が残ったままで2時過ぎに起床。終日,この残滓に悩まされる。朝,ゼミOBの工藤崇祐氏より徳島の柑橘類が沢山届く。謝謝。御礼メールで上京の有無を問うと,夏季休暇も明日で終わってしまうので(次回に)・・・と。


15日 大学の事務システムリプレイスに伴いWebClassは15日まで利用停止とアナウンスされてたので,今日までガマンしてたらそうでもなかった。いくつかのコースの利用履歴では学生は結構アクセスしてた。WebClassには各課題ごとの評価状況/再提出状況を発表していたので,学生はやはり−それなりに−成績のことを気にしてるのだろうか。いずれにしても利用しなかった日数時間,なんだか無駄にしたような気分になった。数学用語の訳語語源を調べてみる。


16日 6時過ぎのポータルサイトの動作が変だった。早い午前,所用で出かける。所用を終え,11時半に帰宅。ところが,11時半過ぎに所用先のS氏より再び連絡が入り,所用のため出かけることに。S氏の強引さがなければ出かけなかった・・・。結局所用が終えたのは15時。しかし,ここ数日の予定を聞かれ,所用先で色々と考えさせられることが表面化。う〜む。今日の予定が大幅に狂ったので,一旦自宅に戻り,その後,実家へ出かけ,17時某打合せのために赤坂エクセルホテル東急ロビーへ。18時過ぎ,赤坂・祢保希でT先生等と3人で会う。3人が出会った頃からの話に終始。2時間ほどで帰宅。自分の宿命や運命をそれなりに悟れたかのような一日だった。L氏や報せてくれたS氏にはそれとなくわかる話なのかも・・・。


17日 昨日の昼間の件でよく眠れず,結局1時に起きてしまう。早朝より不思・・・のまま,いくつかの準備をしておくために外出。ところが午後になって,午前中より大切な仕事が入っていたことに気づくという大失態・・・。 It's too late now. I can do nothing anymore ... . しばらく呆然自失。I looked blank for a while.


18日 一昨日の予託衝戟と昨日の改悛を引摺ったまま一日が終わる。明日の大崎校舎でのEP委員会中止を連絡。


19日 3時起床。案の定,寝てる間に風邪をひいていた。JICS関連の作業を少し進める。


20日 熊谷出向の予定を急遽変更。早朝,都内での所用を終え一旦帰宅。昼,再度別所用で出かけ,それを終えてから東京駅経由で実家へ。


21日 0時前に起床。念のため再度就寝。それでも2時前には起床。仕方なく仕事を始める。EP委員会作業で利用するLaTeXシートを自分なりに標準化する。しばらくして,5日前のことなどもあったので部屋の片付けを少々。4時過ぎにゴミ出しに出かけたら,意外に(この時間帯でも)ごみ出ししている人々がいることに気づかされる。夏だからか・・・。何度か地下のごみ集積所まで往復。某件でネット検索している途中で,ネット上で非難されているらしい某論文を見つけた。コメントは控えるけど−確かに卒論レベルなのかもしれないけれど−,著者等以上に問われるべきは発表を許可した学会なのだろうし査読した委員先生方なのでは?とも思う。9時過ぎ,C大学上山俊幸教授と高松へフライト。小学校以来の高松。高松空港から,高松観光コンベンションビューローのU部長やN係長とともにビューローへ出かけ,まずはI専務理事にご挨拶。高松の中央通りは珍しくクスノキ並木だった。その後,多くのコンベンション施設を案内いただく。猛暑の中,案内してくださる方々も大変だったと思う。あっという間に17時になり,JRホテルクレメント高松にチェックインして,17時半より,4人で会食。20時過ぎにお開きして,ホテルへ戻る。高松への機内の中で思いついた計算を2時間ほど行ってから就寝。


22日 久しぶりにL氏が夢に出てきた。9時に昨日のメンバー4人で出発して,ユニークベニューを視察。屋島,盆栽出荷で世界一の鬼無の女性・盆栽作家(匠)のお庭を訪問。屋島では,瓦投げを体験。開運・厄除けになるとのことらしい。栗林公園では同公園のT参事より詳細な解説とともに急ぎ足で2時間ほど視察。同公園の某所でL氏と瓜二つの方を見かけた。驚いた。30分前に空港へついて帰京。昨日もそうだったけどANA操縦士のランディングは2回ともヒドかった・・・。本場のうどん食感比較のため新橋・美々卯で確認してから帰宅。2日間とも体調はすぐれず,昨年11月の東京駅事件のような状態寸前のままの視察だったので,U部長やN係長,上山教授にはご心配をかけ通しだった。


23日 実家経由で大崎校舎へ。10時半よりEP委員会作業。しばらく作業をした後,所用のため大学を出る。大学を出る頃,雨がパラつき始めたけど。所用先近辺ではその気配はなかった。所用を終え帰宅する頃になると再び雨がパラパラ。友人から,@ris.ac.jp宛にメールを出したけど・・・・とスマホにFwdメールが入り,帰宅してパソコンで確認すると,その3通とも届いていなかった。大学Web(Matrix)メールのいつもの尋常でないバグか?


24日 亡妹の誕生日。自宅でEP委員会作業とGE委員会作業。月曜夕方にGE委員会(分科会)が開かれることに。2日前の資料整理。初代研究室秘書より久しぶりにメール。港区内に引越してきたそうだ。ご主人は最近ジムニーのラジコンに凝ってるとか・・・・。


25日 早朝実家へ。帰宅後,先日の整数計算の整理。(今にして思えば,大昔に気づいていて当然のことだったけど)気づいてなかった視点だったのでそれなりに満足。少々蒸し暑い。


26日 早朝から,JICS全国大会予稿集原稿の編集作業。16時半に作業をとりあえず終了させて,大崎校舎へ。でも,JICSの作業はほぼ終えたような感じ。17時半過ぎより,岡村副学長+経営学部・松村教授とGE委員会分科会。ある程度の議論を終えてから,赤坂・祢保希,六本木・ケントスと3人で急ぎ足でハシゴして帰宅。帰宅後,JICSの作業をして就寝。


27日 早朝,熊谷へ。7時半過ぎ研究室着。白木洋平先生より,FD研修でのお土産,浜松の春華堂・うなぎパイを頂く。謝謝。Y嬢より,富士山のお土産・ミニチュアクランチチョコレートを頂く。謝謝。終日,研究室で仕事。夕食も,研究室で簡単に済ませて,実験室で仕事。トイレの神様に嫌われてるらしく,少々BNP気味・・・。ウ〜ン・・・。


28日 ゼミOBで日本学術振興会特別研究員(DC1)の高科直氏より来月末からカリフォルニア大学デーヴィス校に1年間滞在してくると連絡が入る。いい仕事をしてきてください。9時過ぎ,学生部・石松部長が来室。石松農園の谷中生姜,そうめん南瓜,(所謂)南瓜,馬鈴薯を沢山頂く。謝謝。10時40分より臨時学科会議。議案1つだけにつき,即終了。13時半より臨時教授会。学科会議と同様,即終了。S教授より,朝永振一郎著(江沢洋編)「科学者の自由な楽園」(岩波文庫)に所収されている「数学がわかるということ」を紹介して頂く。興味が湧いたのと文庫本になっていたので発注。まだ,トイレの神様に嫌われているようなので,夕食は摂らず水だけを飲みながら実験室等で色々と仕事。朝永博士の話題で,数学科同級生のご尊父である故・武谷三男博士の「データだけではない。論理がいかに大切かを訴えつづけた。・・・の影響が人体許容量の範囲内として膨大な観測結果を示す米原子力委員会に対し,許容量の概念は加害責任の回避に通じるとして論理的誤りを指摘,後に米学会を動かした。」(2000年5月30日朝日新聞)の記事を思い出した。


29日 研究室を8時半前に出て帰京。実家へ。その後,実家近くのミナト理容室へ。ミナト理容室は今月いっぱいでお店を閉じるとのことだったので,今日出かけた。ここに通い始めたのは1998年3月だった,丁度,(当時経営学部長だった)加藤吉則名誉教授+亡妹と3人でフィリピン大学へ経営学部との交流提携調印で出かける日の午前だった。ボクは理容室を出て,雨中そのまま成田へ向かった。そんな日だった。ミナト理容室のマスターはいつも丁寧なのだけど,今日は最後ということもあってか(ボクはいつもよりも)丁寧に感じた。お店を出るとき,15年の御礼とともに次からのお店・セイワ理容室を紹介いただいた。お店を出て,T講師と新橋・美々卯で昼食を摂りながらお話。今日のトリビア:今発売されているパソコンの多くは無料で(郵便局が引き取りに来て)リサイクルされるということを初めて知った。例外はソニー社の製品だけということも知って,なぜか悲しかった。世界のソニーがあまりにもセコすぎるやろ・・・。


30日 早朝所用で出かける。所用を終え,実家経由で大崎校舎へ。10時半よりEP委員会。途中,M先生がけがをした。痛そうにしてたけど大丈夫だっただろうか。委員会作業を終え,実家経由で帰宅。ところが,夕方近くから体調がおかしくなり,その内痛みで七転八倒状態に。その状態が翌朝の11時まで続く。余程気絶してた方が楽だったんけど,そうもいかないこの身体・・・。


31日 11時過ぎ,体も消耗しきってったので就寝。2時間ほど熟睡できた。疲れは残ってたので再度就寝夕方起床。先日のこともあり,ネットで武谷ピニロピ物語を拝見。その内ドラマ化,映画化されるかもね・・・。炎暑・酷暑・豪雨で大変だった8月も今日で終わりとなると,それはそれで名残惜しい・・・。