2013年 4月 I just called to say I love you ... And I mean it from the bottom of my heart ...  2 3 4

 1日 早朝,熊谷へ向かう。自宅を出て地下鉄の入口手前で忘れ物をしたことに気付き,再び自宅へ戻る。この時間のここからの自宅往復時間はもったいない。新幹線車内にはまだこの時期でもスキー客がいた。熊谷駅から大学への道は結構靄ってい手,荒川の川面もモヤで全く見えなかった。タクシー運転手のKさんは「うん,風が吹いてないからね・・・。」。7時半過ぎ研究室着。9時半過ぎ,某大学某学科・某教授の訃報が入る。以前からこの学科は在職中にお亡くなりになられる方が多いとの噂を聞く・・・。ご冥福をお祈り申し上げます。11時より入学式に出席。12時過ぎより,学科新任教員とともに学科教員全員で昼食会。13時半より学科会議。15時半より専攻会議。18時終了。久しぶりの会議はとても長かった・・・。夜,久しぶりに管財部・石松次長と2人で飲みに出かける。ばんや楽で最終まで。積もる話山積で楽しかった。石松次長はKH氏のことをとても気にしてた。その心情は石松次長にしかわからないのだろう・・・。23時にお開き。大学へ戻る。



 2日 今日も熊谷滞在予定だったけど,昨夕発生したトラブルのために急遽帰京することに。大学を出るとき再び管財部・石松次長と出会った。雨中帰京後,所用を済ませ,実家へ。その後,Y講師と会って,再び実家へ。そして帰宅。


 3日 雨が続く。早朝熊谷へ。早朝の東京駅新幹線ホームにはまだまだスキー客が多い。7時半過ぎ研究室着。風も強く,ビニール傘が一瞬にして壊れた・・・。9時より新入生学科ガイダンス。12時前には終了。夕方まで雑務+仕事。18時より,熊谷市内の鳥きちで情報系教員で新任の先生の歓迎会。n次会のnが増えるごとに参加人数が1人ずつ減っていった・・・。そして0になる手前でお開き。大学へ戻る。先日の卒業式後のさよならパーティに出席できなかったので,今日,その時に各教員に頂けたらしい表彰状というものを人づてに頂いた。ところが,表彰状の日付は「平成二十五年三月二十七年」となっていた・・・。あかんやろ・・・。


 4日 早朝から研究室で種々事務作業を続けて,午後に帰京。


 5日 今日,3号館CPU室で某導入機材設定があるということを思い出し,急遽,熊谷へ出向。9時半過ぎに研究室着。10時よりの立ち合いに少し顔を出し,その後学部事務室へ。12時半過ぎ,GIPについて情報メディアセンターへ申請していた件が,どちらの手落ちだったのか不明のまま,今日のCPU室での作業は取りやめとなる。ある意味時間がもったいなかった・・,と思う。このために熊谷に時間を短縮して出向した交通費もバカにならない。昨年度1年間,ドイツでの在外研究をされていた大学教授と久しぶりに話す。年度ギリギリ一杯まで滞在してたそうだ。羨ましい限り。夕方帰京。某IT関係者と赤坂・祢保希で会って帰宅。色々な情報が入ってきてボクとしては勉強になる。


 6日 教材作成とWebClassの往復で一日が終わる。友人の先生等と某市場に出かけるも悪天候で早々に退散。


 7日 超早朝からWebClassに入り浸り,教材・資料作成に没頭・・・。椅子に長く座り続けて下腿部が変な感じ・・・。一昨日,大学教授と話した東北数学雑誌(Tohoku Mathematical Journal:東北大学の発行する紀要(理科報告))の件。門外漢の人は「紀要」だからといって小馬鹿にするのかもしれないが,このTMJは数学の世界では知る人ぞ知る日本では最高位の世界的な数学雑誌。フィールズ賞を受賞したGrothendieckも受賞10年前に世界的論文「Sur quelques points d'algebre homologique, I / II」を投稿していたことでも有名だ。この論文は今でもホモロジー代数研究者には入門必読書とされていると聞く。紀要紀要と小馬鹿にしてはいけない一つの例・・・。先日の話では,学位取得を考えている或る先生が,何を思ったか紀要はカウントされないからと,ここへの投稿を取りやめたというアンビリな話を伺ったので・・・。


 8日 超早朝,実家で所用を済ませてから熊谷。7時半過ぎ研究室着。1・2と連続授業。昼過ぎ,C機構・O理事長より,4月20日18:30−20:30に高知県黒潮町佐賀漁港で行われる「津波災害による高台避難の誘導に関する公開実験」(土木学会地震工学委員会+高知県黒潮町+(財)JIFIC)の詳細が入ってくる。出張することにした。よく災害発生時にケータイやスマホで・・・という提案もあるけど,甚大な災害の発災直後に果たして可能なのだろうか・・・。この辺はそれぞれの意見が分かれるところ・・・。遅い午後,ゼミ4年・A氏が来室。色々と話した。夜,管財部・石松次長と研究員・楠野葉瑠香氏とでばんや楽で食事・・・というより飲んだって感じ。お開きの後,大学へ戻る。


 9日 管財部・石松次長よりHP用の写真五葉送付いただいたので,1・2時限の授業終了後に差替え。撮影されたのは熊谷情報メディアセンターのMさんということだった。4時限目はゼミ3年生にプログラマー適性検査(3部:90分)を実施してみた。少し就活への刺激になったかな・・・。夜,白木洋平専任講師と鳥きち@熊谷で食事。隣のお客さんの話声が大きくて会話が成立しなかったので,お店の方には申し訳なかったけど早々に退散して場所を味千両@熊谷へ移す。で,10時5分過ぎには大学研究室へ帰室。少しお仕事。


10日 午後,C機構・O理事長より,4月20日に高知県黒潮町佐賀漁港で行われる「津波災害による高台避難の誘導に関する公開実験」の件で連絡が入る。当日の町民参加者は100名,他自治体関係者が100名で総勢200名+NHK等のメディア関係者ということだった。17時半,ポータルサイト一部不具合の件で,画面確認のため,情報メディアセンター・中里氏が来室。ブラウザIEのバージョン10によるものだった,まだ動作保証されていないということで,この件に関しては,しばらく別ブラウザを使用することに。今日は,夕食は外食に出かけることなく研究室で。で,そのまま研究室で仕事を続ける。途中,2時間ほど仮眠。


11日 昨晩からの仕事をそのまま続けて10時半過ぎに一旦終了。2時限目は4年のゼミ。昼,熊谷情報メディアセンター・箕村氏に端末配置の件で色々と教えてもらう。午後,帰京。実家へ寄ってから久しぶりの自宅へ戻る。帰宅後,情報メディアセンター・友永昌治センター長より,(ボクも執筆している)立正大学情報メディアセンター紀要第1巻第1号を本日送付したとの連絡を受ける。謝謝。


12日 早朝所用で出かけ,10時過ぎに一旦帰宅。午後の所用外出まで時間があったので,夢の中に出てきた計算にトライしてみる。午後,再び所用で出かけ,16時過ぎに終了。その後,T先生と新橋・美々卯で会い,昼間の整数計算の打合せをして帰宅。規則性はないものの何らかの公式は得られるのではないかと内心期待している。しかし,期待なければ失望なし・・・。


13日 昨日の計算をしながら,付値の独立性定理を思い出す。昼,市川へ。駅の立ち食い蕎麦屋さんで,大学教授とばったり。世間話をしながら一緒に千葉商科大学へ出かけ,13時からのJPCATS論文誌編集委員会に出席。関西や名古屋からも出席された先生がいた。9名の出席。結構議論白熱。16時過ぎに終了。


14日 終日,授業準備。夜になってからT先生より一昨日の整数計算についての検討結果が届く。


15日 0時を過ぎても準備は続く。2時に就寝。1時間ほどで起きてしまったのと夢の続きを見たかったのとで,再度就寝。4時半過ぎに起床。色々と準備をして熊谷へ向かう。熊谷駅から乗車したタクシーの運転手さんはYさんだった。今朝は5時から待っていて,僕が最初の客だったらしい。2時間以上も待っていたんだなぁ・・・。7時半過ぎ研究室着。1・2時限と授業。研究室へ戻る前,新任のY教授の研究室へ伺って,先週発生したWebClass不具合をチューニング。原因は不明。とりあえず結果オーライということで。夜,学部事務室・氏(修士)+専任講師(博士)と熊谷市内・鳥きち枯山水で食事がてらお酒も。翌日になってお店を出る。大学へ戻る。


16日 T先生より送付された整数計算結果を眺めながら色々と関係を類推してみる。1・2・4時限と授業。終了後,帰京。大学を出る前,退職されたばかりの福岡孝昭先生に会った。「いまだに研究室の片付けをしてるんですよ。」。福岡先生の元気ハツラツな姿を見て,「若いなぁ・・・」。18時半前より,目黒の目黒茶屋にて10名ほどで志茂田景樹先生を囲んで3週間ほど遅れのお誕生会。20時半にお開きして,近くのピアノバーでカラオケ。ボクは途中退席し,皆さんにご挨拶をして自宅へ戻る。


17日 久しぶりに夢を見たという記憶がなかった。それだけ爆睡したのだろうか・・・。ボクとしてはとても残念な気分。7時半過ぎ研究室着。授業を終えた遅い午後,M学部長のところへ白木洋平専任講師とともに出かけ,某件のブリーフィング+α。学部長と会っている頃,社・F統括部長が来学されていたということだった。ご挨拶できず申し訳ありません。夜,数人の先生方+卒業生と鳥きちで食事。


18日 2時限目のゼミ終了後,帰京しようと思ってたら,研究室で片づけておかないといけない仕事があることに気付かされもう一泊して明日帰京することに。午後,一昨日の志茂田景樹先生とのパーティのときに知り合ったオランダのワーゲニンゲン大学社会科学部のPierre von Mouche教授から数学の面白いPPTを送ってもらった。von Mouche教授はもともと数学で学位を授与されたそうで,パーティのときも僕の(かっての)専門分野のことを詳しく知っていた。この分野では知らない人はいないネーター環の話題のときには(ご尊父がドイツ人のせいか)Emmy Noether女史のことを誇りにしてる感じだった。それはそうだろう。現在の可換代数分野の基礎を築いた人だから・・・。夕食は研究室で簡単に済ませる


19日 研究室で8時半まで仕事をしてから帰京。実家で所用を済ませて帰宅。午後,別件所用で出かける。帰宅後,再び外出。18時半過ぎ,新宿・美々卯大学教授+大学教授と会う。四方山話をしてお開き。


20日 羽田8時半発の便で高知へ。到着後,今晩,土木学会+JIFIC+黒潮町主催で町民200名ほどの協力を得て行う公開実験の関係者で土木学会側7名+企業の方々8名とでレンタカーにて黒潮町へ。到着後,今回の土木学会側の委員長であるC機構・O理事長をチーフにエイト日本技術開発氏+神奈川大学教授+同大学名誉教授+フジタ研究部・前研究部長+電力中央研究所研究員とで港湾空港技術研究所氏の到着を待って,8名で黒潮町佐賀漁港での「津波災害における暗闇時高台避難の誘導に関する公開実験」の打合せ。18時半より区長,黒潮町長,JIFIC・審議官+O理事長の挨拶と実験手順の説明で開始。町民の意識の高さか,120−130名の実験参加者+数10名の誘導担当の町民の方々が参集してくれた。暗くなるのを待って,19時過ぎから開始。雨と寒さは想定外だった。公開実験の後,町民の方々に再び集まってもらってアンケート依頼。すべて終わったのが20時半。それから,降りしきる雨の中,宿泊場所の高知市内・リッチモンドホテルへ。22時半到着。しばらくして,ホテル1階のお店にて30名ほどでお疲れさん会。すべてが終わったのが次の日の4時。


21日 7時半起床。少々眠かった。9時過ぎ,高知駅,ホテルから近かったので福岡孝悌子爵の生誕地碑や親戚の叔母が店を出している日曜市へも出かけ,叔母+従姉妹にご挨拶。ホテルへ戻り,空港へ。15時頃羽田着。その後,O理事長と反省会をしてから実家へ。そして夕方帰宅。


22日 早朝,実家経由で熊谷へ・7時半過ぎ研究室着。某教授より依頼を受けたアンケート用紙の印刷をして授業に臨む。1・2時限終了後,研究室で授業資料をUP。14時半過ぎ,事務室へ所用で出かけると,時間帯が丁度よかったのか,コーヒー+お菓子を頂いた。謝謝。夜,熊谷市内の熊谷市医師会看護専門学校で教鞭をとられている短大S先生と久しぶりに会って,鳥きちで食事。S先生は熊谷でお店に入ったのは初めてだということだった。その後,駅前のR,少し離れたDで卒業生も含めてお酒。少々遅くなった。大学へ戻って教材作りに専念。


23日 亡父の誕生日。朝日を浴びても,昨日の疲れは回復しなかった。トシちゃんだ。授業に向かう前,学部事務室に立ち寄ると,高橋事務長から上野・うさぎやどらやきを頂けた。謝謝。午後再び,学部事務室へ出かけると今度は,事務室の氏(修士)より韓国のお土産を頂けた。謝謝。夜,高橋事務長+白木洋平専任講師と熊谷市内・卯月で食事。その後,Jazz喫茶でリクエストをしまくり,高橋事務長もMJQDjangoをリクエストしてた。昔から,好きな曲らしい。DJANGOといえば,近くに同じ名前のお店がある・・・。その後に出かけた最終店でやっと落ち着く。でも,早めにお開きして大学へ戻る。


24日 1時限目授業。13時半より,教授会。座席配置が大きく変わると聞いてたので早めに出かけて席取り。続いて,研究科委員会。今日は異例の早さで終了した。教授会85分,研究科委員会45分。これも新学部長M先生のなせる技か・・・。会終了後の先生方の笑顔が印象的だった。やたら長い会議は会の中での議論の質向上にはよくないのかもしれない・・・。研究室で少し雑用を片づけて帰京。東京駅でのタクシー行列はとても長〜い長〜い行列だった。実家へ。そして自宅へ帰宅。


25日 11時過ぎ,羽田国際線ロビーにゼミ生+白木洋平先生+白木ゼミ学生+社・氏が集合し,出国審査の後,ロビーのラウンジで軽食を摂りMU538便で上海へ。16:40頃,上海・虹橋空港着。上海誠日塾人材資源諮詢有限公司乾亘董事長と日本から別ルートで上海に見えた学科1期卒業生の金居央氏が出迎えに来てくれ,チャーターバスとともに,上海美豪酒店へ。チョットしたトラブルはあったものの無事にチェックインを済ませ,乾董事長が予約してくれていた近くの上海料理・榮歓大酒店へ。19時半過ぎから,総勢16名で円卓を囲んで自己紹介をしながら食事。


26日 山下ゼミと+A社O氏+金居央氏+2日間お世話になる付添通訳W嬢と朝7時にホテルを出て,復旦大学,そしてW嬢が(大学院)在籍している同済大学と訪問して,10時過ぎに富士通(中国)信息系統有限公司に訪問し,社内見学の後,人事部・冨士田氏より1時間強ほど中国や会社業務内容についてのプレゼンを受け,質疑応答。謝謝。昼食は,昨年同様,会社を出てすぐのHootersで摂る。14時,内田洋行オフィス設備(上海)有限公司へ出かけ,杉本総経理より,1時間半ほどプレゼンを受け質疑応答。謝謝。15時半過ぎ,会社が入っているビル1階で,やはり7時過ぎから上海市内でフィールドワークをしていた白木ゼミ一行と待ち合わせ,バスに合流して16時過ぎに上海誠日塾人力資源諮詢有限公司へ出かけ,乾亘董事長より1時間半プレゼンを受ける。その後,質疑応答。謝謝。夜の食事は東北料理の東北人へ出かけて,かいこのから揚げ等。学生の評判は毎年のことながら微妙・・・。


27日 社・氏は早朝南京市へ出かける。白木ゼミ+山下ゼミ+乾董事長+金居央氏+各通訳2名(W嬢+Y嬢)で,7時20分にホテルを出発し,上海環球金融中心に出かける。ここの受付会場整理では鹿児島から来ているという日本人女子留学生がアルバイトしていた。「日本語が上手ですね。」と褒めたら「日本人です」と答えられて・・・。環球金融中心を1時間ほど見学の後,豫園へ出かける。その後,昼食へ向かう途中,チャーターバスが接触トラブルを起こし,公安が来たり等で40−50分ほど時間を無駄にする。昼食は昨年同様,日本領事館近くの千秋膳房・古北店で摂る。その後,賽博数碼広場美羅城百脳匯へ出かけ見学&調査。その後,上海博物館へ。ここで,乾董事長は所用のためお別れ。しかし,ここでも少しトラブルらしきものが発生したので通訳W嬢に同行していただいて某学生が豫園近くへ戻る。夜は,毎年恒例になっている来福楼火鍋逞庁へ出かける。白木ゼミ+山下ゼミ+金居央氏+各通訳2名の方で火鍋を食べる。食事を終え,学生をホテルへ送り届けてから,白木先生+金居氏+通訳2名の方とホテルオークラ上海の33階にあるスカイバーで気持ちの良い通訳や案内&フォローをして頂いたW嬢+Y嬢へのお礼の喫茶。スカイバーから見える月がとても綺麗だった。月亮代表我的心・・・。


28日 6時20分にホテルを出て虹橋空港へ。昨晩から火鍋後遺症(?)の学生が数名いたとの申告があった。MU537便で13時10分に羽田着。中国渡航に際しての事前の諸心配事は杞憂に終わってよかったよかった。15時前,京橋・美々卯で山下ゼミ生+白木先生+白木ゼミ生の一部+社・氏とで遅い昼食&解散式。少し遅れて,上海浦東空港−成田空港経由で帰国した金居央氏も合流。


29日 この4日間の疲労で終日爆睡。深夜になって,お二人のI先生を囲んでの会が開催されていたことを知る。出席できず申し訳ありませんでした・・・。


30日 昼,実家へ。その後,所用で出かける。所用を済ませ,T先生と新橋・美々卯で会う。しばらくしてから,C機構・O理事長も見える。