2012年11月 Memories are all I have to cling to ... What about the night we cried Things like a lover's vow ... * 2 


 1日 午前は自宅で事務仕事。遅い午後,所用で出かけ,夜,来週の本学科での授業をして頂く高校同級生Y氏と白木洋平専任講師と新橋・美々卯で打合せその他。今日も,ホテル・オークラ別館・カメリアでコーヒーを飲んで帰宅。



 2日 朝から所用で出かける。珍しく歩いて出かけた。昼前に終了。帰宅後,事務仕事。ここ半年ばかり目が急に疲れやすくなってるので,目を労わるためにディスプレイを見続ける時間をそれなりに調整しているのだけれど・・・。数学科時代の友人・T氏からご子息がアメリカの高校の面接試験で出された問題として『10個の箱に10個づつボールが入っている。その中の一箱だけは他の90個のボールより重いボールが入っていて、その余の90個のボールは同じ重さである。一回だけ秤を使うことが出来る。どうやってその箱を見つけるか?』の解を問われた。理論上1回では絶対には無理だと思ったけど,出来たみたいだったので,そういうコメントをFB上で出したところ,やはり皆が否定的だった。僕の早トチリかな・・・。だったようだ・・・。


 3日 終日,事務仕事。夕方,友人から連絡があり,新橋・美々卯にて平生の歓。出張が多いようで,その中の岡山と浜松のお土産を頂いた。謝謝。官公庁の依頼による講演が次第に増えてきたとかで,来年度から政府の某委員にも就任されるようだ。その魯陽の戈がうらやましくもある。


 4日 知人から職場での上司によるパワハラ・セクハラについての相談が入る。上司であることをいいことにプライベートな事にまで介入してくるのだそうだ。こういった話はよく聞くし,今回が初めてではない。職場内の委員会に提訴してもウヤムヤにされるという話もよく聞く。6・7年かかっているケースもある。例外もいくつかあった。そういったそれぞれのケース経緯を説明するだけにとめた。ここ数日の作業に明け暮れ,更にいろいろあったので不眠のまま。


 5日 昨日からの作業を続け,午前実家へ。自宅へ戻り,遅い午後所用で出かける。帰宅途中気分が悪くなり,車道よりへふらっとヨロめき,危うく車と接触するとこだった。運転手が怒ってた。もう少し車道から離れて歩いてれば・・・。で,しばらく歩道のプラタナスに20分ほどもたれてから帰宅。もたれているとき数人の人から大丈夫ですか?と声かけられた・・・。帰宅して数時間横臥。22時すぎに目覚め,朝まで机に向かって仕事。


 6日 朝2時,情報メディアセンター年報(初刊)第1号に掲載される原稿ゲラが届く。脱稿から半年。でも19頁もよく掲載してくれたと思う。田中大臣の件でモメてるけど,大学・学部の新設関係についての流れは,毎年一次審査結果が6月にあり,その後9月の第3木曜に設置審答申が発表され,それを受けて10月末に文科大臣の決定がなされる。だから,10月末を過ぎるまでは先走ってはいけないのがルールだと思う。準備をしてきたんだからという話もあるけど,準備をしてきて6月や9月の設置審の答申で不認可になるケースだって結構ある。たった1か月や数か月の差でこんなにクレームが出てくるとは・・・。過去に9月の(設置審答申)不認可で苦い思いをした大学は今回のこの騒動をどう思っているんだろうか・・・。それにしても,この20数年間,ほとんどの新設大学・学部はそれなりの必要性を説いて認可されてきたんだから・・・。お役所らしく書類に不備がなければ受理する姿勢は変わっていない。それで平均年10校以上も認可してきてて・・・。文科省も言ってることとやってることが矛盾してるだろう・・・。


 7日 早い午前,所用があり東京駅へ。地下1階の八重洲−丸の内連絡通路を歩いている最中,2日前より深刻な状態になってしまい,JR東日本関係会社の方々にお世話になってしまった。謝謝。帰宅後,横臥して体調を整える。夜,今年度のJPCATS全国大会実行委員長の友永昌治情報メディアセンター長と大会打合せ+ゲラのお話で会う。負薪の憂いを心配して頂いた。謝謝。21時には帰宅。


 8日 今年の一の酉。前職の頃はいつもバスの中から賑わいを見れてたなぁ・・・。中学の頃からこの日だけはアラン=ドロンの誕生日だってことを覚えてる。そういえば,今秋の叙勲では本学関係者はいなかったのだろうか・・・。学外では色々と情報が入ってくる。この時期になって,17日後のJPCATS全国大会での発表申込みが舞い込んできて関係者一同???。昨日のことがあったので,今日は外出を避ける。出身学部の50周年記念誌が発刊されたことをFBで知る。発行部数が少ないようで,関係者全員にはなかなか行き渡らないらしい。しかし,予算を計上する際の見積もりはどうだったんだろう。少々不親切かも・・・。


 9日 日本数学会から季刊の「数学通信」が送られてきた。読み進めてゆくと,その中に今夏台北市で開催された国際数学オリンピックの結果が掲載されてて,隣の研究室の後藤教授のご子息(筑波大学付属駒場中3年)が銀メダルをとったことが報告されていた。ご子息は将来数学者になるのかなぁ・・・。でも日本の場合,国際数学オリンピックメダリストは数学者にならないという伝説もある。早朝熊谷へ。7時半過ぎ研究室着。机に某プレゼントが置かれていた。謝謝。10時過ぎ,高校同級・理事が白木洋平専任講師とともに来室。2時限目の環境情報学概論・特別授業を講義していただく。謝謝。終了後,Y理事とともに帰京。東京駅で別れて,実家へ。夜,知人等と会食。


10日 早朝,実家へ。昨晩,学会出張で上京されている岩手県立大学岩田智准教授からの着信に気づかず,実家から帰宅後,お詫びの電話を。ところで先日の不認可騒ぎで,文科省B高等教育局長が自らA県に不認可の電話をしたと国会答弁してたけど,まず高等教育局長自ら口頭で通達するなんてありえない。余程よくて課長。B局長は,かってA県副知事だったことから,A県の大学新設については申請前の段階から便宜を取り計らってたんだなと思えてきた。国会も局長自らの通達を不審がることもなく・・・。これは通達ではなく,かっての仕事仲間に個人的に不認可になりそうだと情報を伝えただけならわかるんだけど・・・。もしそうだとすると,あの段階では正式には不認可を伝えていなかったことになる・・・。夕方,福島大学中村洋介准教授+某氏と新橋・美々卯で会う。


11日 カオスの学習中に出てくるSharkovskyの順序というのを,10年ほど前に友永昌治教授に教えてもらったことを思い出し,関連論文を再び読んでみる。


12日 遅い午後,大崎校舎へ。全国大会会場の下見。準備その他で近所のいくつかのお店にも出かける。文具事務用品店・Okajimaは山手通りの反対側に移転していた。


13日 早朝より,所用で外出。JPCATS全国大会の件は友永昌治情報メディアセンター長と携帯でやりとり。夜,今年度の情報メディアセンター報告会の案内が届く。しばらくの間寓居へ。


14日 昨夕から,今朝8時半まで仕事を続け,それから2時間ほど睡眠。10時半に起床して再び仕事。今年は生活リズムに結構波がある。途中,Mathleticsをモニター使用してみたが,内容は面白そうなのだけど利用方法が今一つだったので,また,再チャレンジすることに。モニター利用してるせいなのかも。昨日同様,JPCATS全国大会準備の件で大会委員長を務められる友永昌治情報メディアセンター長より頻繁に携帯に連絡が入る。お忙しくさせてしまい申し訳ありません・・・。謝謝。忙しくもけふも計算に勤しむ・・・。


15日 今年のボージョレ解禁日。江戸っ子は初モノが好きだとはよく言われる有名な話だけど,最近の世界標準では日本人は初モノが好きだ・・・。初モノを食べると長生きするってのもあるし,ボクもどちらかといえば初モノ好きだし・・・。超超早朝,友人より朗報が入ったと連絡が入る。おめでとうございます。今朝も8時過ぎから2時間ほど睡眠。最近は2時間睡眠。こういうのは朝型なのか夜型なのか・・・。けふも算術に勤しむ。


16日 メールで学会関係(や大学関係)の事務処理が飛びかう。今年はサバティカルという気がしない・・・。昔のときもそうだった・・・。こうやってサバティカルが終わってしまうのはナンとも情けない。少年老易学難成 一寸光陰不可軽 未覚池塘春草夢 階前梧葉已秋声


17日 午前,学会の大会事務作業。夕方前,雨にもめげず風にもめげず,寓居近辺を散歩してみる。寓居最後の夜だったので,徹夜で計算に勤しむ・・・。


18日 早朝,寓居生活が一段落したので久しぶりに帰宅。自宅へ戻って,ここしばらくのメモを書き出し。部屋のいたるところにポスト・イット。これがまたあらたな原稿となる・・・。メモは大切というが,著名なグラフィックデザイナーの福田繁雄氏はメモをとることを極端に嫌ったという。あるアイデアが浮かんだ時メモをとって,のちにそれを生かすというのは本当のアイデアではなく,メモを取らずにいてなお同じものが後に体の底から浮かび上がってきたとき,それがその人の真のアイデアなのだと・・・。


19日 早朝から所用で出かける。所用の一つを終え,10時半過ぎに一旦帰宅。12時過ぎ,再び自宅を出て,先日の東京駅ハプニングでお世話になった方への御礼を宅送するためホテル・オークラ別館に寄ってから再び所用先へ。14時半にひとまず終了。その後実家へ。


20日 采薪の憂を心配してくれるメールがよく来る。季節?の変わり目のせいかもしれない。


21日 早朝,自宅を出て東京駅へ向かう途中,忘れ物に気づき,一旦自宅まで戻る。ギリギリ新幹線始発にセーフ。熊谷へは12日ぶりかな。7時半過ぎ研究室着。しばらくして,管財部・石松次長が来室。学内外の四方山話など。その後,大学発行IDカード用写真撮影。研究室へ戻り,25日にゼミ学生が発表予定のプレゼン等をリハ&確認。時間の都合で3年生のリハだけ拝見できなかった。熊谷滞在6時間で帰京。実家へ。夜,学会出張で見えているR大学教授とS大学教授の3人で会う。それぞれの大学内にある専門分野ごとの研究倫理規程の話やImpactFactorの裏話は勉強になった。


22日 昼過ぎ,東京ビックサイトでの産業交流展へ。最初に案内されたのは,スペクトルメータの会社だった。数種の機器を拝見。わずか数分でセシウムのピークが明白に見えた。この辺は少々素人だったけど,立正大学でも大気中浮遊塵中のCs137,Cs134,K-40の核種を分別出来そうでは?と思った・・・。価格は少々高いけど,一般的にはお買い得だと思った・・・。社長さんが30分ほど熱心に説明してくれた。謝謝。次は超伝導の会社と順次訪問・・・。面白かった・・・。案内していただいたT先生に謝謝。


23日 ここしばらく2時間睡眠が続いている。サバイバル・タイムが少なくなってきてるのだろうか。で,体をシャキッとさせるために入浴を試みたら,眠くなった・・・。シャキッとしない結果に。終日ほぼ自宅で過ごし,明後日の学会大会の事務準備作業などしながら計算を続ける。明日の件で何人かの先生方から連絡が入った。明日は「情報と社会」研究会や大会準備があるのでビミョー。


24日 朝,実家へ。昼前,大崎校舎へ。久しぶりにC先生と偶然会い,しばらく積もるお話。14時から「情報と社会」研究会。出席者17名。(財)山形コンベンションビューローの阿部主幹も見えられた。立正大学・国文学科を平成元年3月に卒業されたそうだ。ボクはその4月に立正大学に着任した・・・。当時の大学校舎を懐かしがっていた。17時半前に終了。名古屋から見えられた先生方や学生さんは帰名。それ以外のメンバーで,大学近くの多幸安で懇親会。


25日 7時20分,大崎校舎へ。JPCATS全国大会の準備を皆さんと始める。8時半より受付開始。無事終了して,16時50分頃より学生食堂で懇親会。18時前に中締め。その後,10数名で二次会に出かけてお開き。


26日 朝,冷雨の中,正井泰夫先生の訃報が入る。ご冥福をお祈り申し上げます。志茂田先生の近刊本を読んでみる。


27日 早朝,所用で出かける。早く出かけたので,10時半には帰宅できた。その後,仕事三昧。夜,妹と博多で会って以来2か月半ぶりに赤坂・祢保希で会う。結構いろいろな話をした。その後,母や妹家族がよく出かけるという紀尾井町のオーバカナルへ案内してもらって赤のグラスワイン2杯で帰宅。


28日 早朝実家へ。そのまま熊谷へ。7時半過ぎ研究室着。日本学術会議のS氏と若干のやり取りしながら締切が明後日になっている3年後の募集について申請書を提出。15時半に大学を出て帰京。


29日 ここ数日の寒さ等で,とうとう風邪で寝込んでしまう。何とかは枯野をかけ廻るってカンジだったけど,光も見えた・・・。


30日 午前,実家へ。昼過ぎ,大東文化大学天納之士講師と2時間ほど会う。その後,風邪薬等買って帰宅。薬を飲んで温かくして横臥。