2011年 3月  Oh the shark has pretty teeth dear, and he shows them pearly white ...  2 3 4 5 


 1日 0時,メールを開くと卒業生のN氏からFacebook経由でメッセージが届いていた。慌てて,Facebookにアクセス・・・。同時に,やはり卒業生であるK先生が友達かもしんない・・という感じだったので,ご挨拶して5分後に友達になった・・・。みんな結構してるんだね・・・。ビ・ツ・ク・リ。早朝熊谷へ。東京駅の新幹線ホームにはスキー客があまりいなかった。熊谷駅南口からタクシーに乗ると運転手はYさんで,「今朝も5時から待ってて,先生が一番最初のお客さんだよ・・・。」。南口プールには2時間以上もお客さんが来なかったのか・・・。キビしい・・・。7時半過ぎ研究室着。研究室に入ると,2年・鈴木実氏からの戸隠や福島のお土産・戸隠てぬぐい会津絵ろうそくが置かれてた・・・。謝謝。9時過ぎ,情報メディアセンター石松次長が来室。先週末にソウルへ旅行されたようで,蜂蜜ゆず茶のお土産を頂く。謝謝。11時より,学部CPU室小委員会。30分強ほどで終了。白木洋平助教より北海道へ研究出張された折のお土産(スープカレー)を頂く。謝謝。11時45分より,小委員会メンバーで,退職される先生を囲んですみれ食堂にて昼食会。研究室で徹夜。



 2日 10時40分より,定例学科会議。13時半終了。13時半過ぎより,臨時教授会。終了後続いて臨時研究科委員会。14時終了。その後,帰京し,神楽坂善國寺でのお通夜に向う。ご焼香の後,経済学部守谷両時教授と通夜振る舞いを少しだけ受け,お寺を出た後,やはりお通夜に参列されてた友永昌治情報メディアセンター長とともに3人で,神楽坂を下る途中にある山形料理のお店・もー吉へ寄って帰宅。このお店には山形出身の守谷先生が昔よく通われていたのだそうだ・・・。お店のオーナーは守谷先生と小中高が同じだと話してくれた。事前自己申告制で近代文・古典・漢籍の名文といわれる部分の暗誦だけの入試もいいのでは・・・という話にもなったな・・・。暗記は知識力のまさに基盤だ・・・。


 3日 上巳の節句。午前中,所用で東京駅その周辺に出かける。帰宅後,パソコンに向って仕事。例の事件で予備校生が拘束されたらしいけど,あれは国家試験でも,小中高の入学試験でも,中高大の期末試験でも物理的に隔離された会場で行なう筆記試験ではありうる話だけどな・・・。今回,大学入試で様々な対策が言われてるけどその辺はどうなんだろうと・・・徒然に思う・・・。


 4日 3月入試日。9時に大崎校舎へ出かけ入試業務の担当。夕方近く終了。19時過ぎ,赤坂・祢保希NDP社・大平麗子氏と会う。先週大平氏は高知工科大学でのMoodleカンファレンスに出張し,初めての高知を体験してきたそうだ。週刊新潮・今週号の週刊新潮掲示板で大学時代茶道部で一緒だった東京外語大学鶴田知佳子教授が出ていた・・・・。ここ10年ほど会ってないな・・・。


 5日 午後1時からの上智数学科最後の講演会「Sophia Mathematics」を聴きに出かけるため,上智大学へ。キャンパス内で偶然といえば偶然に神戸大学大学院野海正俊教授と会ったので一緒に会場に入る。講演会は司会も講演もすべて英語で行なわれた。理工学部学部長・早下隆士教授の学部改編を説明しながらの開会の辞で始まり,数学科46年の歴史については学科主任・筱田健一教授と内山康一名誉教授が開設前史から詳細にまとめ上げてくれていた。数学とコンピュータと題しての講演も東北大学大学院宗政昭弘教授が自身の数学教室での経験もふまえながらだったので興味深く聴くことができた。その後,外部研究員・天納之士氏+川又益美氏と懇親会の開かれるスクワール麹町へ出かけ時間つぶし・・・。18時に富士市役所市民部長・藁科靖氏と4人で会場に向う。18時半より開始。卒業以来の懐かしい顔にも多く出会った・・・。20時過ぎに閉会。後1ヶ月ほどで数学科は組織上無くなる・・・。無くなるのはやはり淋しい・・・。その後,野海正俊教授+福井大学・佐分利豊教授と赤坂・祢保希へ出かけ,久しぶりに色々と話して帰宅。


 6日 6時,実家へ。帰宅後,某編集業務。


 7日 早朝熊谷へ。東京駅新幹線ホームのキオスクは日によってというか担当者によって営業を始める時間が違う。大体顔馴染みの人なんかは5時50分くらいから営業している。しかし今日の売り子の人は普段の人とは違った・・・。6時前,1日早い駅売りのサンデー毎日や週刊朝日を売っていないかのぞいていると,お客さんが見え「営業は何時からですか」と尋ねると,その必ずしも若いとはいえない女性担当者は「本当は6時15分からなんですけどね。」「いま売ってもらえますか」「はい・・・」とイヤイヤそうに答えていた・・・。さらに,6時15分過ぎに見ているとキオスクのサイドにあるドリンクボックスのシャッターを開けていなかった。ボクらから見れば横着な売り子さんくらいにしか見えなかったナ・・・。いつも6時前には新幹線ホームのキオスクは営業をしていたので,てっきり6時から営業なのだと思っていた・・・。いつも月曜日だと,キオスクをのぞいただけでサンデー毎日と週刊朝日が差し出されるのに気分のよくない1日のスタートだったかも・・・。7時半過ぎ研究室着。しばらくして雪が降り始める。研究室で事務雑務を4時間ほど続ける・・・。夕方帰京。雪はすっかり上がっていた。熊谷駅の新幹線ホーム待合室で旧知の人を見(かけ)た・・・。友人との会話中だったので話しかけなかったけど元気そうだった・・・。19時帰宅。


 8日 昼過ぎ,大崎校舎へ。午後1時半より遠隔教育推進委員会。1時間ほどで終了。15時過ぎ,新橋・美々卯で外部研究員・天納之士氏と会う。


 9日 3月9日という歌がある・・・。午前,少々寒い冷たい京都へ。3ヶ月ぶり。RIMSその他で当面する資料等をかきあつめ,遅い夕方帰京。途中,携帯に連絡が入り,某先生ご令室様の訃報に接する。


10日 起床後から某雑務が続く。朝,大学教授より講義の件で連絡が入る。遅い午前,某修理に社の人が自宅に見える。その後も続・某雑務。夕方から雑務が軽減される・・・。


11日 最近亡くなられたの夢を見た・・・。早朝実家へ。所用を済ませ,一旦自宅へ戻り,雑務。14時過ぎ,石原都知事の四選目指して再出馬というニュース速報を見てから,東京駅での所用を済ませた後,その足でお通夜に出かけようと地下鉄・神谷町駅へ。東京駅で下車するため霞ヶ関駅で丸の内線に乗換えて1分くらいすると地下鉄が倒れるんじゃないかと思うくらいに車内が1分ほど揺れ,即停車。緊急アナウンスが流れた後も2・3度横揺れがあった。アナウンスも「しばらくお待ちください」から「ただいま保安員が手作業で銀座駅まで安全を確認していますが,いつになるかわかりません・・・」と変化した。それでも予想したよりは早く徐行運転を開始し,隣の銀座駅で乗客全員が強制的に下車させられた。地下鉄構内にも地上にも多くの人で溢れかえっていた。実家へ携帯電話も通じず,災害時には役に立たないことを実感・・・。目的地の東京駅を目指すため,もしかしてJRは動いているんじゃないかと銀座から有楽町駅を目指すと,駅では乗客が駅構外に追い出されていた。仕方なく歩道が人で溢れかえる中,東京駅まで歩いた。さらに地下構内に入ると,大丸東京はシャッターが下りてるし,全ての店は営業を停止していた。行列になってるところは公衆電話。東京駅へ来た意味がなかったことを悟り,お通夜へ出かけるため交通機関の復旧を願って16時頃まで構内にとどまる。その内「本日は復旧の予定はありません・・・」というアナウンスが流れ,気持ちのふんぎりがつきお通夜を諦め地上に出て自宅を目指して歩き始める。皆,歩いていた・・・。自宅へ戻るとエレベータはやはり止まり,部屋の中もいくつか倒れたり本が飛び出したりしていた。ガスも使用できない状態になっていた。自宅の固定電話からも電話がつながらず困っていると,携帯電話が鳴った。共同研究代表者(3/12;PS)としてスペインでの国際学会に出張されている大阪国際大学福田真規夫教授からだった。横浜在住のご息女に連絡が取れず心配しているとのことだった。こちらの地震状況を伝えると,すぐにでも帰国したそうな声にかわった・・・・。22時過ぎ,エレベータやガスの復帰は明日午前まで待ってくださいと館内アナウンスが流れた。自宅にいても時々揺れるし,携帯電話の緊急地震警報は何度も鳴るし・・・。上海在の立正卒業生からも心配メールが届く。学科Staffメールにも緊急対応メール等が流れる。アカデミックキューブも某所が幾分破損したとか,3号館トイレにクラックができたとか,研究室でも書籍書類が飛び出したようだった・・・。ボクの研究室はどうなんやろ・・・。


12日 朝7時,ガスがもうすぐ復旧すると英語でのアナウンスが流れる・・・。30分後,復旧。エレベータは午後あたりになりそうだ・・・。その後,実家の状況を確認。11時前,昨日果たせなかった所用で,地下鉄で東京駅へ。ダイヤも乱れ,待ち時間が多かった。日比谷線は混んでいたけど,丸の内線はまあまあの混み具合。地下鉄東京駅改札を出ると,JR東京駅地下丸の内側みどりの窓口に並んでいる人の数が半端じゃなかった。計300mくらいあったような・・・。地下構内ではまだまだ通路で寝ている人々を見かけた。東京駅近辺で所用を済ませ,次の用事のために新橋に向おうとJRの改札に入ると,山手線乗客が地下通路まで長い行列になっていたので,東海道線側へ。と思ってホームに出ると人で溢れかえっていた。そこで30分並んだけど,乗車できる時間までさらに40分並んでいなければならないらしく,バカらしくなって,地下鉄で向うことに。地下鉄は,丸の内線も銀座線もJRの混み具合や間延びしすぎたダイヤが信じられないくらいに空いていた。新橋で所用をすませ,タクシー乗り場で20分待ってタクシーで帰宅。学生へ安否伺いのメールを出す。明日の某学会全国大会のために昨日帰国した韓国・啓明大学青木智子教授は昨日神楽坂での出版打合せの後,自宅まで3時間歩いたらしい。25000歩だったとのこと。しかし。帰国のかいなく明日の大会は地震のために急遽中止となったらしく,ナンのために帰国したのか・・・とボヤいてました。


13日 12時前の上越新幹線で熊谷に向おうと東京駅に。しかし,人の少ない東京駅にも関わらず,すでにダイヤは30分遅れ気味だった・・・。大学へ着いて,研究室のある4階でエレベータを降りると米林学部長がいた。二言三言交わした後,研究室に入ろうとすると学部長も一緒に見えて研究室の中を見せてってって言ったので,一緒にのぞくと室内は悲惨だった・・・。少しだけ片付けたけど,やる気が失せてそのままにして,別雑用を片付けて帰京。17時,京橋・美々卯産総研中村洋介先生+大学評議員・金居央氏と会って,そば点心。中村先生による「生活に役立つ地震ミニミニ講座」を拝聴。お店の係長に伺うと,お店スタッフのご家族が被災していたりだとか,節電協力でお店は19時LOとか,地震の影響はいたるところに・・・。


14日 東京電力計画停電でも上越・長野新幹線は正常運行するとのことだったので,早朝,熊谷へ出かける。高崎線等の首都圏にない在来線が終日運休ということで,上野や大宮から多くの乗客が新幹線に乗り込んできた・・・。7時半過ぎ,研究室着。昨日は実験室の方は見なかったけど,やはりスゴいことになってたよ・・・。某大学の某先生も,地震後初めて向かう研究室へ入るのが恐ろしいと言ってた・・・。さもありなむ。教職員学生は今日はどうするんだろう。一方,未だに被災地に住んでいる先輩・後輩・知人に連絡が取れない。その中の1人についてはネット上でも安否情報を問う質問が流れていた・・・。新幹線で帰京。新幹線は正常運行ということだったけど,間引き運転だった・・・。


15日 昼,新橋・美々卯にてP件で外部研究員・天納之士氏と会ってランチ。帰宅して,久しぶりに整数計算。地震後心配していた被災地在の後輩・知人の無事がわかる。その内の2人はネット上で確認できた。他の先生方と相談して,明後日からの大阪出張を地震の影響(ご家族被災の方もいる等)で急遽取り止めることに。22時半過ぎ,震源地域の異なる地震。揺れた。日本が揺れている・・・。


16日 早朝,熊谷へ向かう。地下鉄で電車を待っている際にケータイを忘れたことに気づき,いったん自宅へ戻る。それでも東京駅には5時50分過ぎには着いた。東京駅の新幹線ホームはいつもよりさらに乗客が少なかった。また高崎線が動き始めたせいか,上野・大宮駅での乗客も少なかった・・・。大学へ着くと,アカデミックキューブの前で社会福祉学部・Y教授とバッタリ。その後,3号館へ向かいエレベータに乗ろうとすると右脇に停電についての掲示があった。しかし。この情報は分かった時点でe-mailで自宅へも送信して欲しい。大学へ来て停電だったら,結局仕事にならない。7時40分過ぎ,研究室着。8時半,地震による研究室片付け仕事人としてアルバイトの鈴木実氏が来室。室内の惨状に驚きつつもせっせと精を出してくれる。13時半より教授会。15時半前に終了。続いて研究科委員会。16時10分終了。しばらくして帰京。


17日 早朝実家へ。一旦帰宅し,15時に大崎校舎へ。途中,ゼミOBの三浦一城氏より地震お見舞いメールが届く。謝謝。三浦氏は被災はなかったものの令夫人の実家が被災されたそうだ・・。16時より,合同EP委員会。17時半前に終了。政府から対国民メッセージが出されたことによる・・・。しかし,誰かも言ってたけど,言い方が非常に失礼。「この寒さで,暖房が・・・」。そのために停電がいつ起きるかわからないってのは被災地の人に対して失礼だろう。停電するならするで,可能性の理由など話さず断行すれば良い。今の政府リーダーはどこかみっともないナ・・・。帰宅すると,日本数学会よりこの20日から23日まで早稲田大学で開催される日本数学会年会を中止する旨の案内が届いていた。


18日 今日も早朝実家へ。午後,某件で韓国・啓明大学青木智子教授に連絡をとると,丁度,金浦空港に降り立ったところで,日本からの乗客という理由で入国審査時に放射能検査を受けたそうだ。17時,新橋・美々卯社・氏と会い,地震の話の後,JPCATSの件で打合せ。20時前に終了。


19日 朝4時半過ぎ,両親と柏の寓居へ向う。地震後出かけていなく不安だったので。両親の話だと5時−7時台のタクシー予約は既に予約で一杯だったとのことだった。寓居では,ピアノや本棚が20cmほどずれていた。ライフラインを復旧させ,墓参して帰京。墓苑は被害を受けていなかった。10時45分に自宅着。夕方,所用のため新橋に出かける。


20日 何人かの先生方から電話が入り,地震の件で互いが持っている安否情報等を交換。その中で,都内の某大学は東北大学と同様に5月始業という情報もあった・・・。石巻市で瓦礫の下から2名救助の朗報は周りを驚かせた。


21日 春分。都内で5月始業を決定や検討している大学が増えているらしい。早朝,コンビニへ出かけてみた。数日前よりは幾分品揃えがよくなっていた。テレビでのAC広告も買占め控えようが始まったことだし・・・。


22日 朝,大阪国際大学福田真規夫教授よりHP掲載用のスペインの写真が届く。謝謝。夜,東京工芸大学佐藤東九男名誉教授のご案内で麻布十番にある南イタリア料理店・メリディオナーレ千葉商科大学上山俊幸教授とともに出かける。ご夫婦で営んでいるこのお店の奥様が佐藤先生+上山先生のかっての教え子なのだそうだ。2時間ほど料理とワインを堪能して帰宅。


23日 早朝熊谷へ向かう。東京駅新幹線ホームもひっそり閑としたもんだ・・・。7時半過ぎ3号館へ入る。エレベータに乗ろうとすると地震。4階に上がって研究室に入ると,また地震。2つとも大きく揺れた・・・。8時半前,まだ片付いていない研究室の整理にアルバイトの鈴木実氏が来室。謝謝。午後,情報メディアセンター・石松次長が来室。雑談の後,帰京。16時半,JPCATS論文誌の件で千葉商科大学上山俊幸教授とともニッセイエブロへ出かけ,小一時間種々打合せ。上尾在のSさんも地震時は帰宅できず大変だったと話してた。その後,新橋・美々卯へ。帰宅すると,ゼミOGの氏より地震お見舞いメールが届いていた。ご本人を含め岩手のご実家も無事だったとのことだった。よかったよかった。


24日 亡妹の命日。妹の遺していた書籍を整理していた中に「授業を変えれば大学は変わる」があったので読んでみる。大学の卒業式典は中止となり,学位記授与式だけが催されることとなる。今日は1時間遅れで研究室着。1時間遅れるとコンビにも弁当類はすっかりなくなっていた・・・。14時より,学科単位で学位記授与式。地震被災者への黙祷で始まる。東北大学出身の米林学部長の挨拶は被災者へのこみあげる思いを鎮めあたわず,時折言葉をつまらせながらだった・・・。学位記授与の後,ご退職される3名の先生よりご挨拶。終了後,臨時学科会議。雑用を済ませ帰京。19時前に帰宅。しばらくして情報メディアセンター・石松次長よりF社・I氏が来熊していると連絡を受けたのだけど・・・。


25日 早朝熊谷へ。今日も一昨日に続いて8時半からアルバイトの鈴木実氏に書籍の整理等お願いする・・・。夕方,帰京し,18時,赤坂・祢保希でA社O氏,A大学Z教授等と会う。その後,ツムアインホルンに寄って,谷口先生の奥様・谷口光子氏の個展を堪能。


26日 10時前,大崎校舎へ。10時20分より,NPO法人JPCATS総会。11時過ぎより,任意団体・JPCATS常任理事会。12時より,任意団体・JPCATS論文誌編集委員会。13時より任意団体・JPCATS役員会。14時より任意団体・JPCATS総会。14時20分,NPO法人JPCATS緊急総会。これで,任意団体JPCATSは年度末で解散となり,4月1日よりNPO法人JPCATSでの正式活動となる。終了後,14名ほどで新橋・美々卯へ。全員昼食も摂らず会議などが続いたので,松花堂弁当を食べる。その後,半分ほどでケントスへ。ケントスは震災+某件で久しぶりの再開し始めたということだった。詳細な事情を常連の画商・稲垣哲行さんやザ・フレイムスのボビーやユキエさんんから伺った。現在進行形の大変さらしい・・・。


27日 3時頃から,メインで使用していたパソコンの状態がおかしくなる。停電と同様,利用できないと不便で仕方ない・・・。夜,実家より某件で連絡が入る。


28日 2時過ぎ,やっとパソコンを利用できる環境になる。メールその他の確認。早朝実家へ。


29日 区役所,実家へ寄り,昼,新橋・美々卯で外部研究員・天納之士氏と会い月替りランチ。


30日 早朝熊谷へ。7時半過ぎ研究室着。9時より学科会議12時半過ぎ終了。その間,アルバイトの鈴木実氏に研究室雑用をお願いする。14時前,ゼミOG千田晴佳氏が来室。しばらくして,CPU室勤務を3月で退職する2人が平山智子氏とともに現れ,銀座コージーコーナー銀座スイーツを頂く。謝謝。夜,今年度一杯で退職される先生と赤坂・祢保希で会い,個人的に送別会。しばらくして某先生も現れる。その後,二次会へ移動してから田中宏和氏も合流。


31日 早朝実家へ。一旦帰宅した後,再度実家へ。その後病院へ。夜帰宅。再び所用で小1時間ほど出かけ,帰宅後即就寝。