武谷三男 (たけたに みつお)

理論物理学者,哲学者

 1934年,京都大学理学部卒。
 1953年−1969年,立教大学理学部教授。
 2000年4月22日 午前4時12分,88歳で逝去。

 京大在学中には滝川事件抗議運動に参加。卒業後,治安維持法違反で検挙される。
 1930年代半ばから,湯川秀樹博士らとともに原子核内で陽子や中性子が結びつくしくみを研究した。
 自然認識は現象論,実体論,本質論を経て発展するという「三段階論」を提唱。こうした方法論は,中間子の存在を予言した湯川博士の仕事にも影響を与えた。
 戦前から原子核物理学を研究し,戦後は核実験に反対し,原水爆禁止運動の前面に立ち,原子力開発で自主・民主・公開の3原則を唱えるなど,科学技術の負の部分に警鐘を鳴らし続けた。原子力をめぐって,放射線の“許容量”という言葉の使い方を批判し,より微量の“警告量”の必要性も説いた。
 この原子力平和利用3原則は1955年に制定された原子力基本法にとり入れられた。
 著書に“死の灰”“科学者の社会的責任”などがある。最後の著者は2000年に出版された“危ない科学技術”。
 元日本学術会議会長の伏見康治氏の談話“湯川秀樹博士の仕事を科学史的に分析した。三段階論など,他人の意見を借りるのではなく,深く考えて,自分独自の考えを提唱する人だった。関西の大学に研究用原子炉をつくろうとした際,反対運動に来られて困ったこともある。距離はあったが,同じ時代に似た分野で仕事をし,優れた識見をもった人だった。”