[山下研究室・人物情報データベース](1999/05/15 現在) 司馬光 字(あざな)は君実(くんじつ),諡(おくりな)は文正(ぶんせい)。山西省 夏県の人。北宋の名臣で歴史家。神宗,哲宗に仕えたが,神宗の頃,王安石の新法 に反対し,安石が宰相時は洛陽で15年もの間閑職にあった。 神宗死後,哲宗が位につくと尚書左僕射[さぼくや](宰相)となり,新法を 次々と廃した。いわゆる「利百ならざれば法を変えず」という保守精神の持ち主で, 当時の旧法党の代表的人物であった。宋代の名宰相の一人といわれる。 死後,太師(三公の一),温国公を贈られ,司馬温公といわれた。著書に編年体 の歴史の大作「資治通鑑(しじつがん)」がある。1086年,68歳にて没。